今夜の一枚。グルダの弾き振りによるモーツァルト ピアノ協奏曲20番、23番:北ドイツ放送交響楽団(1993Live)を。
グルダの20番と言えば、74年のアバド;ウィーンフィルとの競演、23番と言えば、83年のアーノンクール;コンセルトヘボウとの競演が有名ですが、今日はこちらで。
グルダの鼻歌も椅子の軋み音も一つの贅沢として聴いておこうか。
””モーツァルトがそこに居て弾いてるかの如く””と言えば大袈裟か。
トラックの最初は、23番です。
第一楽章アレグロ、何と優しく柔らかなピアノの音であろう。NDRとも思えぬ優雅な弦の響きも素晴らしい。中間部のピアノタッチは、まさに天上からこぼれ出るような音色。もうこの第一楽章だけで誰もが感激してしまうでしょう。
第二楽章、有名な短調のアダージョ。グルダは少し早目のテンポで淡々と弾いていく。深い情念的なものではなく、哀愁さが滲み出たタッチとでも言ったらいいだろうか。
第三楽章、アレグロアッサイ。NDRの木管群とピアノの融合、哀しみと喜びの感情をウェーブのように揺れ動く気品を備えたこのフィナーレを見事に表現してくれている。
そして、20番。
第一楽章、アレグロ。冒頭のデモーニッシュな低弦の凄みはさすがNDR。
ここでは、グルダは一音一音を確かめるようにタッチしていきます。それでいて疾走感を失わず、どこまでもナチュラルに音の粒を飛ばしていきます。オーケストラもアバドの時のモタモタ感は解消されている。そしてベートーヴェンのカデンツァがまた素晴らしい。ライブでの高揚感と相まって、まるで一個のソナタのよう。天才グルダの体現を感じます。
第二楽章、ロマンス。慈しみのフレーズから突如現れる短調の調べが特徴的であるが、ここでもアバド盤よりも速いテンポがしっくりきます。
第三楽章、ロンド アレグロアッサイ。
憂いを含んだニ短調のアルペジオ。和らぎと荒ぶる魂の揺れ動きをグルダの流れるような繊細なタッチが表現し、一気呵成にカデンツァまで突き進む。そして再びベートーヴェンのカデンツァ。この後フィナーレにおいてニ長調のコーダが、やっとこの曲の重苦しさから解放してくれる。
これは、モーツァルト好きには、堪らない一枚です。
グルダの20番と言えば、74年のアバド;ウィーンフィルとの競演、23番と言えば、83年のアーノンクール;コンセルトヘボウとの競演が有名ですが、今日はこちらで。
グルダの鼻歌も椅子の軋み音も一つの贅沢として聴いておこうか。
””モーツァルトがそこに居て弾いてるかの如く””と言えば大袈裟か。
トラックの最初は、23番です。
第一楽章アレグロ、何と優しく柔らかなピアノの音であろう。NDRとも思えぬ優雅な弦の響きも素晴らしい。中間部のピアノタッチは、まさに天上からこぼれ出るような音色。もうこの第一楽章だけで誰もが感激してしまうでしょう。
第二楽章、有名な短調のアダージョ。グルダは少し早目のテンポで淡々と弾いていく。深い情念的なものではなく、哀愁さが滲み出たタッチとでも言ったらいいだろうか。
第三楽章、アレグロアッサイ。NDRの木管群とピアノの融合、哀しみと喜びの感情をウェーブのように揺れ動く気品を備えたこのフィナーレを見事に表現してくれている。
そして、20番。
第一楽章、アレグロ。冒頭のデモーニッシュな低弦の凄みはさすがNDR。
ここでは、グルダは一音一音を確かめるようにタッチしていきます。それでいて疾走感を失わず、どこまでもナチュラルに音の粒を飛ばしていきます。オーケストラもアバドの時のモタモタ感は解消されている。そしてベートーヴェンのカデンツァがまた素晴らしい。ライブでの高揚感と相まって、まるで一個のソナタのよう。天才グルダの体現を感じます。
第二楽章、ロマンス。慈しみのフレーズから突如現れる短調の調べが特徴的であるが、ここでもアバド盤よりも速いテンポがしっくりきます。
第三楽章、ロンド アレグロアッサイ。
憂いを含んだニ短調のアルペジオ。和らぎと荒ぶる魂の揺れ動きをグルダの流れるような繊細なタッチが表現し、一気呵成にカデンツァまで突き進む。そして再びベートーヴェンのカデンツァ。この後フィナーレにおいてニ長調のコーダが、やっとこの曲の重苦しさから解放してくれる。
これは、モーツァルト好きには、堪らない一枚です。
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