シューベルト ミサ曲第2番 ト長調 D.167とスターバト・マーテル ヘ短調 D.383 を聴いている。 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒ放送交響楽団・合唱団(1983年録音)。元々合唱音楽出身のケーゲルの宗教曲は、ドイツ・レクイエムに代表されるように質も高く荘厳さが重視されどれも美しくお気に入りだ。
ミサ曲2番は。キリエは、流麗かつ哀愁を持つシューベルトらしい曲で、ソプラノの独唱が配され一つの歌曲のようである。グロリアは、いきなりの上昇音階で湧き上がるコーラスは、さぞかし楽しかろう。クレドは、独特の4拍のリズムをきざみ(拍子は2/2)信仰の告白のコーラス。その裏で流れる弦楽の流麗さがお気に入り。中間部のコーラスは高揚感をもって歌い上げる。サンクトゥスは、和声的な「サンクトゥス」とフガートの「ホザンナ」の対比を楽しみたい。だがあっという間に終わる。ベネディクスは、ソプラノの美しく優しい独唱に続き、テノールが乗っかり。最後にベース登場。後半はアレグロで、コーラス陣の活気あふれる賛歌。アニュス・デイは、ソプラノ・ベース・ソプラノの独唱に導かれコーラスが3たび応える。ここには、第6番アニュス・デイのような暗黒面は存在しない。只々美しい。
次にスターバト・マーテル。
シューベルトには、ト短調 D.157というもう一つ「スターバト・マーテル」がある。こちらは、ラテン語で、今日聴いている ヘ短調 D.383 は、ドイツ語によるもの。スターバト・マーテル(聖母はたたずめり)は、ヤコボーネ・ダ・トディの詩(ラテン語)を用いて作曲するのが通例であるが、シューベルトは、ドイツ語歌詞の為、併せてドイツの詩人で神学者であるクロップシュトックの詩(少し自由)を用いたとされている。荘厳で深々とした出だし、情感豊かな独唱、慈愛に満ちた曲想。特に好きな第5曲は、女声部のみで始まり、混声になることで哀歌の重みが増す。後段も女声部のみで始まるが、そこには希望の光が見えるだ。ホルンをうまく用い弦楽は終始お休み。第6曲は、テノールの独唱をオーボエが裏で支えるという構成。こうして天才シューベルトならではの色彩感の中で進んでいく。
家にばかりいるので、どうしてもクラシックの寄稿が増えるが致し方なし。
ミサ曲2番は。キリエは、流麗かつ哀愁を持つシューベルトらしい曲で、ソプラノの独唱が配され一つの歌曲のようである。グロリアは、いきなりの上昇音階で湧き上がるコーラスは、さぞかし楽しかろう。クレドは、独特の4拍のリズムをきざみ(拍子は2/2)信仰の告白のコーラス。その裏で流れる弦楽の流麗さがお気に入り。中間部のコーラスは高揚感をもって歌い上げる。サンクトゥスは、和声的な「サンクトゥス」とフガートの「ホザンナ」の対比を楽しみたい。だがあっという間に終わる。ベネディクスは、ソプラノの美しく優しい独唱に続き、テノールが乗っかり。最後にベース登場。後半はアレグロで、コーラス陣の活気あふれる賛歌。アニュス・デイは、ソプラノ・ベース・ソプラノの独唱に導かれコーラスが3たび応える。ここには、第6番アニュス・デイのような暗黒面は存在しない。只々美しい。
次にスターバト・マーテル。
シューベルトには、ト短調 D.157というもう一つ「スターバト・マーテル」がある。こちらは、ラテン語で、今日聴いている ヘ短調 D.383 は、ドイツ語によるもの。スターバト・マーテル(聖母はたたずめり)は、ヤコボーネ・ダ・トディの詩(ラテン語)を用いて作曲するのが通例であるが、シューベルトは、ドイツ語歌詞の為、併せてドイツの詩人で神学者であるクロップシュトックの詩(少し自由)を用いたとされている。荘厳で深々とした出だし、情感豊かな独唱、慈愛に満ちた曲想。特に好きな第5曲は、女声部のみで始まり、混声になることで哀歌の重みが増す。後段も女声部のみで始まるが、そこには希望の光が見えるだ。ホルンをうまく用い弦楽は終始お休み。第6曲は、テノールの独唱をオーボエが裏で支えるという構成。こうして天才シューベルトならではの色彩感の中で進んでいく。
家にばかりいるので、どうしてもクラシックの寄稿が増えるが致し方なし。
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