2006年11月26日日曜日

十字架上のキリストの最後の7つの言葉

Uccg1193emersonsq久しぶりにCDを購入。
ハイドン作曲 弦楽四重奏曲版 「十字架上のキリストの最後の言葉」~エマーソン弦楽四重奏団 である。輸入版を買ったので、1000円程安かった。

はじめ司祭による言葉と管弦楽という編成で作曲されたこの作品は、後に作曲者自身によって弦楽四重奏曲用に編曲され、これが人気を呼び、さらには独唱、合唱、管弦楽による大規模なオラトリオ版も作曲された。スペインのカディス大聖堂の依頼により作曲されたもので、聖金曜日に、福音書の七つの言葉を読み瞑想する時間に演奏されるための音楽となっている。調性は、ニ短調。
  • 序曲
  • 第1ソナタ 「父よ!彼らの罪を赦したまえ」 Largo
  • 第2ソナタ 「おまえは今日、私と共に楽園にいる」 Grave e cantabile
  • 第3ソナタ 「女性よ、これがあなたの息子です」 Grave
  • 第4ソナタ 「わが神よ!何故私を見捨てたのですか?」 Largo 
  • 第5ソナタ 「渇く!」 Adagio
  • 第6ソナタ 「果たされた!」 Lento
  • 第7ソナタ 「父よ!あなたの手に私の霊を委ねます」 Largo
  • 地震 Presto e con tutta la forza
ほとんどが緩徐楽章からなるこの異色作の演奏には、静謐なテンションの持続、響きの純正さ、デリケートなニュアンスといった要素が求められる。

演奏のエマーソン弦楽四重奏団は、アメリカが建国200年を祝った記念すべき年である1976年に、フィリップ・セッツァーとユージン・ドラッガーというジュリアード音楽院に学ぶふたりのヴァイオリニストが、同窓生の他ふたりと一緒に結成した弦楽四重奏団である。
エマーソン弦楽四重奏団というこの演奏団体の名称は、アメリカの偉大な哲学者であるラルフ・ウォールド・エマーソンの名前に由来するものである。エマーソン弦楽四重奏団の結成後すぐにときめきと頭角を現し、2年後の1978年にはナハトマジーク室内楽賞を受賞した。そして、1980年にワシントンD.Cスミソニアン・インスティテートのイジデント・クワルテットになった彼らは、その2年後にはニューヨークのリンカーン・センター室内楽協会の第1レジデント・クワルテットにも迎えられ、それ以後は、ハートフォード大学のハート音楽学校で教授活動と演奏活動を行うレジデントになり、1983年にはアスペン音楽祭のレジデント・クワルテットとしても活動するようになった。1985年に初めてヨーロッパに演奏旅行を行なってセンセーショナルな成功を収めた彼らは、間もなく現代を代表する弦楽四重奏団のひとつとして数えられるようになったが、高度な演奏技術とシャープなモダンな感覚を兼備」した彼らはそれによって伝統と矛盾することのない新鮮でみずみずしい演奏様式を打ち出している。(グラモフォン:コメントより)

管弦楽版は持っていたので、とにかく「弦」が聴きたくて。聖堂で聴くには、管弦楽版のほうがいいかもしれないが、弦の引き締まった音は、第一音から背筋に電気が走るのだ。十字架のキリストを瞑想するには、弦楽四重奏曲があっているかもしれない。素人には、音楽性はわからないが、序曲と終曲{地震}以外、7つの言葉に合わせソナタが並ぶという異色さは、ハイドンならではかもしれない。
それでは、序曲introduzione_i__maestoso_ed_adagio(クリック)をお楽しみください。

2006年11月4日土曜日

芸術の秋 - モーツァルトを語る 第5弾

Mozart21 やはりこのところ、モーツァルト生誕250年でTV番組がよく組まれている。
昨日も日本テレビで天才の謎をテーマに2時間番組が。
ミーハーの私はつい見てしまう有様。
そういえば、月9の「のだめカンタービレ」も娘の影響で見ているこの頃である。
2台のピアノのためのソナタ 二長調 K.448が、早速出てきたのには驚かされた。なにせモーツァルトは、<2台のため>は1曲しか作曲していないのだから。

さて第五弾は、「大ミサ曲ハ短調K.427」である。
これは、残念ながら未完の曲である。「クレド」は、途中のエト・インカルナトゥスは一部未完であり、クルチフィクスは書かれていない。「アニュス・デイ」は完全に欠落している。現在は、未完部分を補ったアロイス・シュミット版かロビンス・ランドン校版、最新のレヴァイン版が用いられる。
この曲は、誰からの依頼でもなく自分のために作曲されたものらしいが、初演でのソプラノは妻 コンスタンチェがつとめている。「キリエ」のソプラノの独唱にまず圧倒されてしまう。あわれみたまえ とはこういう音なのかと信じさせるにたるメロディーである。その音の先にキリストの十字架が臨める。(カトリック教徒でもないのに)不思議だ。グロリアの最終節の壮大なフーガは見事で、まるでオペラのラストのような輝きを放つ。クレドは、やっぱり エト・インカルナトゥス・エストのフルートとソプラノの美しい掛け合いだろう。神の恩寵はこうしてもたらされると言われれば、納得するかもしれない。ちなみに私のCDは、ウィーンフィル:レヴァイン指揮 ソプラノは、キャサリン・バトルである。

ブラボー アマデウス!!

それではkyrie_eleison(クリック)をお楽しみください。

2006年11月3日金曜日

芸術の秋 - モーツァルトを語る 第4弾

Mozart_1756 第四弾は、「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466」である。モーツァルトには、短調のピアノ協奏曲が2曲しかない。20番と24番だ。どちらも名曲である。この曲は、低音域で蠢く悲劇的な音で始まる。悲しみを奏でるピアノは圧巻。弦楽器のシンコペーションは重苦しく、哀願するピアノはカデンツァまで一瞬の緩みもなく続く。心を突き刺すようなファルテシモは、暗闇に出会った死神への驚きのようで恐怖がつきまとう。つづく第二楽章は、ロマンスと呼ばれている。変ロ長調による陽だまりのような甘美なメロディーで始まるが、突如として中間部のト短調では、嵐のような激情につつまれる。また、変ロ長調に戻り安らぎを迎える。第三楽章は、明るいリズムでハッピーエンドのようなエンディングを迎える。何故、この時代(宮廷音楽花盛り)にこのような曲が書けるのか?天才としか言い表せない。さて1984年アカデミー賞作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門の受賞に輝いた「アマデウス」に、この第一楽章と第二楽章が使われている。第一楽章は、サリエリが、父レオポルドに扮するためにマスクを買い、モーツァルトに鎮魂ミサ曲を依頼する場面で使われ、第二楽章は、ラストのサリエリが車椅子で去ってゆくエンディング、エンドロールに使われている。とにかくブラボー、アマデウス!!
それでは、第二楽章k_466_2 (クリック)をお楽しみください。