2007年2月25日日曜日

3分間~モーツァルトを語る 第12弾

Photo_2 誰もがこの3分間で優しい気持ちになれると思っている曲を紹介しよう。

第12弾は、「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調 K424」です。

友人のミヒャエル・ハイドンはコロレド司教から6曲のヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲を命じられるが、4曲を完成させたところで、病気になってしまう。当時ウィーンに住んでいたモーツァルトは、妻のコンスタンツェとともにたまたまザルツブルクに帰省した際、ミヒャエル・ハイドンが病気で役目を果たせないでいることを知り、ミヒャエル・ハイドンの手法にならって急遽作曲したのが、K423,K424の2曲である。たった2日で仕上げたといわれている。ミヒャエル・ハイドンといえば、こんにち欠番になっている交響曲第37番の本当の作曲者で、時間がない売れっ子だったモーツァルトが急遽、序奏をつけて演奏した曲です。それで、現在は欠番にしているか、序奏のみ演奏するかのどちらかになっているのです。

さてK424に戻ります。
第一楽章の出だしは、弦楽四重奏曲のK387の第4楽章の出だしと同じ音使いで始まります。その後の歌うようなヴァイオリンは美しくヴィオラを従えて軽やかに踊っていきます。
第二楽章のアンダンテ・カンタービレは、人の心を優しくしてくれます。腹が立って納まりがつかない時はこの曲を聴いてください。きっと心が静かになれます。

それでは、第二楽章をお聴き下さい。
k.424 - 2.Andantecantabile(クリック)。

2007年2月24日土曜日

オーボエの名曲~モーツァルトを語る 第11弾

Df3c07aab5d714f7ce1am 第11弾は、オーボエとまいりましょう。
といっても「のだめの黒木君」のオーボエ協奏曲ハ長調K314ではありません。
期待された方、ごめんなさい。いずれそちらも紹介します。
「オボーエ四重奏曲ヘ長調K370」である。名オーボエ奏者にして友人のフリードリッヒ・ラムのためにミュンヘンで作曲されました。第2楽章には、めずらしく「カデンツァ」の機会が与えられています。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロはオーボエの引き立て役に留まることなく、時には主役のオーボエと積極的に対話をしていくところも魅力の一つです。しかし何といってもオーボエの美しい音に皆魅了されずにはいられないでしょう。オーボエ奏者にとっての至宝の一曲です。今日は、病気のため頭がさっぱり廻らず、うまい言葉がでてきません。

それでは、mozart_k.370 (クリック)お聴きください。演奏はAmerican Baroqueです。

風邪の日はバロック?

昨日の午前中から、完全に風邪をひいた。私の場合、咳も鼻水も熱も出ない。ただ身体が異常に痺れてだるくなるのだ。いつものことだ。1年に1度、この2月~3月初旬にかけて必ずと言っていいほどこの日が来る。何もしたくない。本当なら、玄関側のベニハナトキワマンサクを移植したかったのだが、今日は無理。こんな日は、バロックを聞いておとなしくしていよう。

まずは、ブランデンブルグ4番でも聴こうか。

bach_no.4 in G Major BWV 1049 - I Allegro (クリック)。

2007年2月18日日曜日

雨の日は何故か

雨に日は、何故かペルゴレージ「スタバト・マーテル」が聴きたくなる。
スターバト・マーテルとは、13世紀のイタリアの修道士、ヤコポーネ・ダ・トーデが書いたとされるラテン語詩で、18世紀には「聖母マリアの七つの悲しみの祝日」のためのセクエンツィアとしてローマ教会の公式ミサ典礼曲に採用された。普通、「悲しみの聖母」と訳されることが多いだろうか。わが子イエス・キリストが磔刑となった際、母マリアが受けた悲しみを思う内容となっている。
ペルゴレージのスターバト・マーテルは、ソプラノとアルトの二重唱に弦楽というシンプルな編成で、美しいメロディとハーモニーを響かせる30分ほどの音楽で、病弱であったペルゴレージの最後の作品でもある。ペルゴレージは、若くして26歳でこの世を去っているのだが、病床でこの曲に取り組んでいたところは、モーツァルトを彷彿させる。

さてこの曲は、12章(曲)からなっていますが、とにかく一曲目から惹きこまれ美しさを持っています。たまには、こういう曲を聴く休日があってもいいかな。

歌詞)

悲しむ聖母がたたずんでおられた。
十字架の下で涙にむせばれていた。
御子が十字架にかかっていたからです。
嘆かれ
悲しまれ、苦しまれる聖母の魂を
剣が刺し貫いていたからです。
おお、なんという悲しみと傷つき方だろう、
祝福された
神のひとり子の母だったというのに。
聖母は悲しみ、苦しまれていた。
聖母はふるえ、見つめておられた。
誰も知らぬ人はいない御子の救いのわざを。

涙しない者がいるだろうか、
キリストの母を目にして。
そのような苦しみの中の聖母を見て。

悲しまない者があろうか?
あわれみ深い聖母のことを思い浮かべて。
御子と共に苦しまれた聖母のことを。


ご自分の民の罪のために
イエスが責められ、
鞭打たれるのを聖母は見ておられた。


愛する御子が

死の苦しみに打ちすてられ、
息絶えるのを見ておられた。
ああ、愛の泉である御母よ、
わたしにもあなたと同じ悲しみを感じさせ、
あなたと共に苦しませて下さい。
聖母よ、お願いします。
十字架の傷を
わたしの心の力とさせて下さい。

あなたの御子が傷つけられたのは
わたしのためでした。
わたしにもその苦しみを分け与えて下さい。

あなたと共に真実の涙を流し、 
十字架の苦難を味合わせて下さい。
わたしが生きている限り。

十字架の下であなたと共に立ち、
進んであなたと
悲しみを共感したいのです。

乙女の中でもすぐれた乙女よ、
どうかわたしを退けずに
一緒に嘆かせて下さい。
わたしにキリストの死と
受難の道を歩ませて下さい。
わたしにイエスの傷をもう一度つけて下さい。

わたしに傷を負わせて下さい。
十字架を味合わせて下さい。
御子の愛に報いるために。
地獄の火と炎から
乙女よ、わたしをお守り下さい、
裁きの日には。

わたしを十字架によって守護し、
キリストの死によって守り、
わたしを恵みで満たして下さい。
この体が死を迎える時、
わたしの魂に
天国の栄光を与えて下さいますように。
アーメン。

12曲目「肉体は死んで朽ち果てるとも」は、以前(06/5/1)、映画「アマデウス」で使われていたと書いたが、今日は、第5曲目「Quis est homo~涙しなものはいるだろうか」を紹介する。
まず、ソプラノとアルトが語り合うように交互に歌い始める。終盤突如として、鞭打ちのような8分音符の連打が入る。それでは、お聴きください。音源は、古楽器による、アレッサンドリーニ/コンチェルト・イタリアーノ盤です。弦は一声部ひとりだけ(5人)の最少人数編成。ほとんど室内楽です。鋭角的な古楽器奏法でアクセントを効かせ、歌唱も表情たっぷり、聖母マリアの慟哭を見事に表現した、個性的で緊張感あふれる演奏です。05pergolesi_quis_est_homo(クリック)。

2007年2月12日月曜日

アリアのごとく~モーツァルトを語る 第10弾

Colmar11 記念すべき(自分だけだが)第10弾は、「ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216」である。

モーツァルトは、ヴァイオリン協奏曲をわずか5曲しか(7曲ということもあるが)書いていない。それも、19歳(1975年)にしか作曲されていないのだ。(不思議です:名曲K364はありますが)
とにかく3番の明朗にして優雅な美しい旋律には溜飲が下がります。
第一楽章は、ソナタ形式。まず重音で始まるリズミカルな第一主題(おしゃべりをやめない貴族らを音楽に惹きつけるがごとく)、ホルンが引き継ぎオーボエが応える流れるような素朴な第二主題、そして壮大な展開部へ。
そして第二楽章には、まいります。あの映画「アマデウス」でのサリエリのように楽譜を落としてしまいそうです。弱音器をつけた弦の合奏と柔らかいフルートの音色の中で、独奏のヴァイオリンがデリケートな情感をもって柔らかく進んでいきます。優しい心を歌うアリアのように。
第3楽章はアレグロのロンド形式で書かれていますが、主題の間に挿入された民謡調の軽快なアレグレットのメロディーがまたかわいらしいこと。しかし終わり方がちょっと淡白だけど。いずれにしてもどの章でも、時折覗かせる短調がまた抜群の味付けとなっている。

それでは、その中でやっぱり第二楽章をお聴きください。
演奏は、アーノンクル+クレーメルです。グリュミオーを期待した方々すいません。
k.216 - 2.Adagio (クリック)。

2007年2月10日土曜日

ノクターン

ノクターンといえば、ショパン?
いえいえボロディンを忘れては困ります。
今日は早くにリビングで爆睡したためこんな時間(2:30)に目が冴えてしまってます。
そこで夜想曲を聴きながら・・・。ロシア五人組の一人ボロディンは、化学者でもあったとか。
弦楽四重奏曲第2番ニ長調 第Ⅲ楽章 Andante 通称「ノクターン」はクラシックファンならずとも、ひょっとしたら一度は誰もが耳にしたことがあるかも。CMや美しい風景のバックで流すには最高の一曲だからです。癒されますねえ。

それでは、ボロディン四重奏団の演奏でお聴き下さい。borodin_2(クリック)。

私はもう一眠り。

2007年2月3日土曜日

ローディー~モーツァルトを語る 第9弾

Lodi_piazza_della_vittoria 第九弾は、モーツァルト14歳の作品「弦楽四重奏曲第1番 ト長調 K.80 {ローディー}」。

モーツァルトは、13歳の時に始めてのイタリア旅行に出かけている。
1969年12月13日から1971年3月28日までの1年4ヶ月もの旅行だ。
その旅行でミラノからボロ-ニャに向かう途中「ローディー」という町で書かれたとされるのがこの作品だ。ローディーは、イタリアのロンバルディア州の県都で現在は人口4万強の小さな町である。最初は、第3楽章まで出来ていて18歳の時最終楽章のロンドを書き加えている。第1楽章のアダージョの透き通るメロディーは美しい。そしてこの曲は、モーツァルト独特の所謂、モーツァルト音型なるものが様々に登場する。「あっこの音!」ってな感じで。それでいて何故か聴いていてホッとする曲だ。14歳でね~。天才モーツァルトの将来を予見する1曲ではないだろうか。この曲の構成は極めて単純なためハーモニーは重要な要素です。

それでは、透明で明るい音色の今はなきイタリア弦楽四重奏団でお聴きください。K.80.mp3 (クリック)。

2007年2月1日木曜日

アンダンテ カンタービレ

最近、TV・漫画「のだめカンタービレ」のおかげでクラシックブームだという。
秋川雅史の「千の風にのって」が紅白出場でオリコン1位になったりもしている。

それにしても確かにカンタービレという言葉が有名なった。
さて私にとってカンタービレといえば、やはりチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11の第二楽章~アンダンテ・カンタービレということになろうか。
1876年12月、モスクワにきた文豪トルストイに敬意を表して、ニコライ・ルービンシテインは特別の音楽会を催した。この時「アンダンテ・カンタービレ」が演奏され、チャイコフスキーの隣に座っていたトルストイが感動のあまり、この曲を聴きながら涙を流しはじめたというエピソードは有名である。妹アレクサンドラの領地ウクライナのカメンカで職人がを歌っていた「ワーニャは長椅子に座って、コップにラム酒を満たす、満たしもやらずもエカチェリーナのことを思う」という歌詞の民謡をもとにしているらしいが、それにしても美しいメロディーである。どこまでも広がる大地を思い浮かべながら聴くといい。心を落ち着けたい時、心を休めたい時、ぜひどうぞ。

それでは、andante_cantabile(クリック)をお聴きください。演奏はエマーソン四重奏団です。