2007年12月31日月曜日

ほめたたえよ ~ モーツァルトを語る 第39弾

Photo 第39弾は、「ヴェスペレ「証聖者の盛儀晩課」 Vesperae Solennes de Confessore ハ長調」から第4曲・第5曲をお届けする。

ヴェスペレとは、カトリック教会で信徒が集うミサの他に、聖職者が行なう1日8回の聖務日課の内、日没時に行われる祈り(晩課)のことで、宗教音楽の歴史上ミサに次ぐものだ。「ヴェスペレ」の歌詞はラテン語だが,ミサ通常文ではなく,旧約聖書からのいくつかの詩篇(psalms)に加え,最後に新約「ルカ福音書」からの聖母マリアによる賛歌「マニフィカト」に作曲するという形式が決まっていた。

以下がその6曲である。

第1曲 ディクシト。(主は言われる) ハ長調 
第2曲 コンフィテボル。(主をほめまつる) 変ホ長調
第3曲 ベアートゥス・ヴィル。(幸いなるかな ) ト長調
第4曲 ラウダーテ・プエリ。(ほめたたえよ) ニ短調
第5曲 ラウダーテ・ドミヌム。(主をほめたたえよ) ヘ長調
第6曲 マニフィカト。(吾が魂は主をあがめ) ハ長調 

全ての章は、次の歌詞で終わる。
Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto.   
父と子と聖霊に栄光あれ。
Sicut erat in principio, et nunc, et semper,   
始めにありしごとく,いまも いつも,
et saecula saeculorum. Amen. 
世々限りなく。アーメン。

さて第4曲の減七度歩行の主題にもとづくフーガは、聴くものを虜にする。そしてK387の第4楽章で見せたポリフォニーとホモフォニーの結合はここにも見られる。第5曲のソプラノソロは、上質のアリアのようだ。また合唱のメロディーはこの上なき優しさに包まれており、最後のAmenはまさに天上の音楽と感じるのは私だけだろうか。
アルフレッド・アインシュタイン「モーツァルトのこのような楽曲を知らない者は、モーツァルトを知る者とは言えない。」

それでは聴いて下さい。

mozart_k.339 4. Laudate Pueri.mp3 (クリック)
mozart_k.339 5. Laudate Dominum.mp3 (クリック)

2007年12月30日日曜日

Mozart_ 46 Symphonies

年末で、昨日自宅へ。今年は、暦の関係で6日間も正月休みがある。ラッキー。
今日は当然の大掃除。合間に久しぶりにitunesを開いて、暫く見ているといい物を発見!!

ベルリンフィル・カール・ベーム /Mozart 46Symphonies」

なんと丸ごとダウンロード1,500円。もちろん早速、購入。非常に得した気分。

46編は、1番・4番~36番・38番~47番・55番・旧ランバッハ+新ランバッハ(レオポルド作)。
レビューによると昔は、32、000円もしていたらしい。

2007年12月22日土曜日

空に舞う蝶 ~ モーツァルトを語る 第38弾

Photo

第38弾は、「フルート四重奏曲第1番 ニ長調 K285」。
以前にも何度か書いたが、フルートはモーツァルトが嫌いで、我慢のならない楽器だったそうだ。
でも本当だろうか。モーツァルトのフルートの曲はどれもすばらしいのだ。このフルート四重奏曲、フルート協奏曲K314、フルートとハープのための協奏曲K299、魔笛での主役級の使い方などなど。とてもいやいやで作り上げたなんて思えない。

さてK285だが、優しく頬をなでる風のように爽やかなアレグロの出だしに、思わず空を見上げたくなるのは私だけだろうか。喜びを素直に表現したくなるメロディー。でもモーツァルトは、喜びはいつまでも続かないと教える。短調への移行、でもまた長調へ。喜びと切なさで揺れ動く心を表わしたような展開。第二楽章、ロ短調のアダージョは、えもいえぬ美しさだ。アンリ・ゲオンは「蝶が夢想している。それはあまりにも高く飛び舞うので、紺碧の空に溶けてしまう。」と書いているが、聴いていてその映像が浮かんできそうだ。ピチカートに支えられ{紙で作られた蝶}が空へ消えてゆく。これはフルートでしかなしえない映像だと思う。

それでは、聴いてください。
1allegro_quartet_k.285, in D (クリック)
2_adagio_quartet_k.285, in D (クリック)

2007年12月5日水曜日

早い帰宅

今日は珍しく早い帰宅。音楽三昧でゆったりと過ごしている。
先ずは、シューベルトの弦楽五重奏曲、弦楽三重奏曲。
今は、ショスタコービッチのチェロ・ソナタ。
そしてエレジー。
宮崎も昨日から流石に寒くなってきた。山の方では、霧氷ができたらしい。でもまだコートは着ていない。日曜のゴルフ、午後は半袖でよかったくらいだ。でも明日あたりコートを出してみるか。

それでは、ショスタコービッチのElegy for Tow Violins, Viola and Celloをお聴きください。

elegy_for_tow_violins_viola_and_cello (クリック)

2007年12月2日日曜日

心模様 ~ モーツァルトを語る 第37弾

第37弾は、「ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K491」を選んだ。
24番は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンと、2管編成の近代オーケストラの 木管楽器を勢ぞろいさせた唯一の協奏曲である。
また20番とこの24番だけが、27曲あるピアノコンチェルトでは短調である。第一楽章の半階音のユニゾンから早くも聴き手の心を不安にさせる。減七度の跳躍音程は我々を深い闇の淵に連れて行く。そして、ピアノが鳴る。なんと悲しい音であろう。この悲しみはいつまで引きずるのだろうか。絶望への坂道を何度も降りてゆく。第2主題の長調を迎えてもわずかな光しか見出せない。見せ掛けの明るさ。そんな慰めなき長調の中、フルートがまた我々を闇に連れ戻す。そこには蠢くピアノのアルペジオ。そしてクライマックスのカデンツァ。暗闇の中で魂だけが揺さぶられてゆく。生への不安・恐怖・あきらめ。生きる答えを見出せないまま終末を迎える。
第二楽章は、優しい朝の目覚めのようなメロディーから始まる。平行調の変ホ長調だ。そこには優しい光がある。しかし、フルートとオーボエとファゴットが登場すると再びハ短調へ戻り、まだ心から安らげないことを知る。でも光のほうへ少しずつでも歩いてゆきたい。ピアノがすこしづつそう囁く。そして木管楽器がすべて登場した時に始めて闇はすべて消え去る。
第三楽章は再びハ短調。しかしそこには決然とした心が溢れ出る。第一楽章の闇の中での心の迷いを消し去る意志がそこには聴こえてくる。確信を告げる変イ長調のクラリネットの登場。しかしピアノは、まだ迷いを拭いきれない。しかし伸びやかな旋律を木管達が奏でた時に強く生きてゆこうとするは意志は明確になる。でも今から続く生は決して平坦な道ではない。そういってこの曲は終る。すさまじい心の葛藤と叫びを感じずにはおれない。


それでは聴いてください。内田光子でおおくりします。

_k.491(クリック)