2016年12月30日金曜日

第九_フルトヴェングラーより


本日仕事仕事納めでした。
やっとゆっくり年末の第九が聴けます。
やはりフルトヴェングラーの白鳥の歌とも言うべき「第3楽章」をもつ1954/8/22のルツェルンの第九(フィルハーモニア管)でいきたい。
とにかく第九は第3楽章が好きでたまらない。
冒頭、クラリネットとファゴットで始まる導入部、チェロのGESの音でもう参ってしまうのだ。「伝七捕物帳」ならぬ「減七とりこ調!!」。
その後のヴァイオリンのメロディ(第一主題)の何と美しいことか。そして、ここもチェロの裏の動きがうっとりさせる程いいのだ。
(第二主題)は、あろうことか第2ヴァイオリンとヴィオラがメロデイーラインを奏でる。この中庸の音色がまた心を惹きつける。このあと第1ヴァイオリンに引き継いだところからは変奏部へ。おっとそうこうするうちに、ファンファーレが来ました。もうすぐ第4楽章へ向かいます。長くなりそうなので、このあたりで、書くのは止めて、曲に没頭してまいります。それでは!!

2016年12月25日日曜日

モーツァルト 交響曲集_ペータ・マーク

今日は、年賀状を作成中です。
聴いている音楽は、ペータ・マークのモーツァルト 交響曲集。
オーケストラは、イタリア・ヴェネト州のパドヴァを本拠とする室内オーケストラ「パドヴァ・ヴェネト管弦楽団」。
今、聴いているのは大好きな38番ニ長調 K.504「プラハ」。
こちらは、30番台~41番までの録音集ですが、ペータ・マークのモーツァルトは秀逸です。
「プラハ」は、少し重苦しいAdajioの序奏から始まります。変ロ長調→ト短調→イ短調→ニ短調と変化しながら進む不安と緊張の重厚な響きをマークはじっくりと聴かせます。「ドン・ジョバンニ」を予感させるメロディ。ティンパニーの効果的なアクセント、木管群の
サポート。その後に続くアレグロの爽快さとのメリハリ。マークは、楽譜より幾分余分に強弱をつけることで、室内楽のひ弱さを十二分に補っているのであろう。それが非常に分厚い響きになっているから不思議だ。
おっと年賀状やんなきゃあ!!
マークのモーツァルトは、クセがあるかもしれないが、一度聴くとまた聴きたくなる、そんな演奏だ。
39番もいいのだ。あっ年賀状!年賀状! それではまた・・・


2016年12月23日金曜日

ドイツ・レクイエム 18

月に1度は聴きたくなるブラームス「ドイツ・レクイエム」シリーズ。第18回目となります。クリスマスが近かろうが、何といっても「ドイツレクイエム」で貫きますぞ。
①クレンペラー②サバリッシュ③ヤルヴィ④ジュリーニ➄セル⑥コルボ⑦アーノンクール⑧ケーゲル⑨ロバート・ショウ⑩アクサンチュス⑪コッホ⑫ヘレヴェッヘ⑬シノーポリ⑭クーベリック⑮バレンボイム⑯レヴァイン⑰ケンペ
::::::::::::::::::::::::::::::
第18回目は、マゼール最初の録音:フィルハーモニア管との「ドイツレクイエム」です。イレアナ・コトルバス(S)、ヘルマン・プライ(Br)(録音:1977年)。
マゼールは、最後の来日(ミュンヘンフィル)でサントリーホールで演奏を聴いた忘れられない巨匠です。
そういえば、マゼールの聖ミカエル教会での追悼演奏は、ミュンヘン・フィルと以前に音楽監督をしていたバイエルン放送交響楽団の合同で、ゲルギエフ指揮のもとブラームスの「ドイツ・レクイエム」演奏されましたね。
さてこれは、かなりの名演奏と言って過言ではない。マゼール40代後半のドイツレクイエムは、虚飾を排除しコーラスとオーケストラの見事なバランスの中、無理に細部にこだわることなく、神聖な祈りを捧げるという構築がなされている。
コーラスも素晴らしい、ヘルマン・プライの淡々としたモノローグもそれでいて説得力をもつ。うーんいい声だ。プライほど、悉く「ドイツレクイエム」の名盤に登場する歌手もいないのではないだろうか。クレンペラーから始まり、シューリヒト、アンセルメ、チェリビダッケ、クーベリック、ブーレーズ、そしてマゼール。
コトルバスのソプラノは、柔らかく美しい。クライバーの「椿姫」のヴィオレッタを思い出しました。


2016年12月17日土曜日

チャイコフスキー 交響曲第5番_ケンペン

全集物以外の単独交響曲のCDで2番目に保有数が多いのが、何故か「チャイコフスキーの5番」である。
(1位はブラームスの2番)
今日は、その中からケンペン:アムステルダム・コンセルトヘボウ管を紹介したい。(1951年録音)_<この時代は、アムステルダムでした。ちなみにロイヤルが冠されたのは、1988年です。>
さて、ベイヌムが常任指揮者のころですが、前任のメンゲルベルクの十八番といえば、この5番があるためベイヌムは遠慮したのか、確か録音はないだろうと思われます。

しかし同じオランダ人で、ドイツで活躍していたケンペンが見事な演奏を残してくれていました。
この演奏、メンゲルベルクと同じく、第4楽章の大胆なカットがビックリさせられるでしょう。とにかくケンペンの男気溢れる爽快な5番は他の追随を許さないのでは。
金管群の限界の咆哮、ティンパニーのド迫力、弦楽群のこの時代特有のポルタメント、ピチカートの強めのリズム。第1楽章から圧倒されてしまいます。

第2楽章のアンダンテカンタービレは、重厚な弦楽群の中から浮かび上がるホルン、それを受け継ぐオーボエの音にうっとり。そしてまたトゥッティ部分のトロンボーン、ティンパニーに登場とのメリハリがたまりません。
終楽章の圧巻のコーダ。誰もが指摘するようにまさに重戦車の如く、駆け抜けていく(そのための再現部手前の大胆な100小節超のカット_210~305小節まで)。
そしてメンゲルベルク同様(セルも)の後半部でのシンバル。しかし、1回ではなく2回!!
これは、個人的には貴重な5番の一枚ですね。


2016年12月10日土曜日

ブラームス ヴァイオリン協奏曲_シゲティ

夜中の3時。こんな時間からまたまたブラームスを聴く。
今夜は、シゲティ:オーマンディ+フィラデルフィア管弦楽団による
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61。(1945年録音:MONO)
しかし意外と録音は良いのだ。シゲティは、カップリングのベートーヴェンとブラームスの協奏曲を3度録音しているが、こちらはともに2度目のもの。ちなみに、一度目は、ハーティ:ハレ管弦楽団(1928年)そして、3回目は賛否両論のメンゲス:ロンドン交響楽団(1959年)である。
シゲティ、オーマンディともにハンガリー出身のフバイ(ヨアヒムの弟子)門下である。そう、オーマンディは20歳で王立音楽院ヴァイオリン科主任教授をするほどヴァイオリンの天才でもあります。さて、もしメンゲスとの59年の老齢のシゲティがシゲティらしい演奏と評されるならば、この演奏は幾分らしさがないとも言える。
しかし、50代の脂の乗ったこの時期が本当のシゲティともいえる。この演奏には、強すぎる指圧による「掠れ」を伴う独特の音色は見られない。深みのある音色に時折見せるルバート。そこには、カントロフやグリュミオーのような甘美さはないが、胸を締め付けられる響きがある。ちょっと第2楽章では涙も出てきそうです。また、サポートするフィラデルフィア管がすばらしい。特にオーボエ協奏曲を思わせる出だしをもつ第2楽章、ジョン・デ・ランシーのオーボエ(R.シュトラウスにオーボエ協奏曲を催促し作曲させた人物)と名手メイソン・ジョーンズのふくよかなホルンも聴ける。そこにシゲティのすすり泣きのヴァイオリン。贅沢の極み。昭和20年当時の敵国は戦争のさなか、このような芸術に溢れていたのだと思うと感慨深いものがある。愛すべき一枚。ワルターとのベートーヴェンは後日。


2016年12月3日土曜日

マーラー 交響曲第2番「復活」_ケンペ

ケンペ:ミュンヘンフィルによる「マーラー 交響曲第2番<復活>」ニュー・フィルハーモニア合唱団、シーラ・アームストロング(ソプラノ)アンナ・レイノルズ(アルト)(1972年:ロイヤルアルバートホール LIVE)を聴こう。
実に芳醇な響きと乱れぬアンサブル。
愛すべき第2楽章のオーケストレーションの面白さを十分に伝えてくれる一枚。3楽章の強めで明確なピチカートも面白い。4楽章、レイノルズの艶やかな歌声もいい。終楽章は、変に深刻ぶらず、それでいて迫力をもつ爽快な賛歌のようだ。実に深みのある音色のマーラーではなかろうか。


2016年11月27日日曜日

ドイツ・レクイエム 17

月に1度は聴きたくなるブラームス「ドイツ・レクイエム」シリーズ。第17回目となります。
①クレンペラー②サバリッシュ③ヤルヴィ④ジュリーニ➄セル⑥コルボ⑦アーノンクール⑧ケーゲル⑨ロバート・ショウ⑩アクサンチュス⑪コッホ⑫ヘレヴェッヘ⑬シノーポリ⑭クーベリック⑮バレンボイム⑯レヴァインン
第17回目は、ケンペ:ベルリンフィル+ベルリン聖ヘトヴィヒ大聖堂合唱団(カール・フォルスター)、エリーザベト・グリュンマー(ソプラノ)ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)<1955年録音>です。
重厚かつ敬虔なケンペの名盤。代表的な1枚であるクレンペラー盤での合唱が今一つ気に入らないという諸氏は、是非こちらを!
ゆっくりとしたテンポでの弦楽群の低重心の歩み、金管群の眩いばかりの輝き、木管群の優しさ、コーラス群の深い響きとケンペの歌心が堪能できます。特に第2曲、変ロ短調で始まる重苦しい出だしと変ト長調へ移行しブラームスが時折見せる暖かみのあるフレーズへの変化、後半アレグロでのフォルテなど聴きものかと。
第3曲、若きフィッシャー=ディースカウのモノローグの緊迫感は群を抜いています。やはり余人をもって代え難いものがあります。ケンペは、ドラマチックな演奏で支えます。
第4曲、Selig動機の変奏であるこの舞曲は、柔らかく心安らぐものであって欲しい私です。このケンペのように。
第5曲、グリュンマーの透明さと凛とした歌声は素晴らしい。特に憂いを含んで伸びてゆく響きがたまりません。
第6曲は、大フーガへ向けてゆっくりとしたテンポで歩みつつ、うねりまくる弦楽群と咆哮する管打!が聴きものです。力強く、ある時は優しく、そして華麗につながってゆく賛歌。最後のフォルテにいたるまでの、ケンペの構築する「変化」が見事に表現されています。「ドイツレクイエム」にとってこちらも貴重な一枚です。


2016年11月26日土曜日

ブラームス ピアノ協奏曲第2番_バレンボイム

今朝の一枚。ブラームス ピアノ協奏曲第2番。バレンボイム+バルビローリ:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1967年録音)。
名盤の多い、当曲にあって、交響曲的展開における風合いを一体化で表現した異彩を放つ名盤と信じて疑わない演奏。
バルビローリの圧の強い弦楽群が繰り広げるブラームス節に、青年バレンボイム(25歳)が情熱的な鍵打と独特のルバートで迎え撃つ。特に情感深いスケルツォの第2楽章は圧巻。何度も訪れるバルビローリの繰り出す、オーケストラの音の高波に、バレンボイムは溺れることなく一体化しながらともに昇華してゆく。ちょっとここで「ブラボー!」と叫んでしまいそうだ。
大好きなアンダンテの第3楽章は、バルビローリの得意の泣き節。バレンボイムのピアノも強いタッチながら、深い低重心の響きでそれに応える。こちらも貴重な1枚。


2016年11月23日水曜日

チャイコフスキー 交響曲第4番_モントゥー

今朝の一枚。チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調Op.36。
モントゥー:ボストン交響楽団(1959年録音)にて聴く。
いつも書いているが、モントゥーは、本当に聴きたい楽器の音、こんな音が鳴っているんだという楽器の音を浮かび上がらせてくれる天才だと思う。
モントゥーの4番は、極めて爽快なテンポでありながら、アクセント、強弱、揺れによりドラマチックで骨太の演奏だと感じる。
4番は、もちろん「運命」がテーマに用いられているわけだが、作曲された時期(1877年)に着目しなくてはならない。
露土戦争への突入という時代背景と、チャイコフスキー自身のアントニーナ・ミリュコーヴァとの結婚と早すぎる離婚(わずか2か月)、フォン・メック夫人との出逢い(パトロン:一度も逢っていない膨大な手紙だけの関係)の年である。
そもそも、この4番は「フォン・メック夫人」に捧げられた交響曲であるが、ダモクレスの剣の如く幸福への希望、平和や癒しへの憧れを阻止するかのように立ちはだかる「運命」。それに強靭な意志で抗う姿、怒り哀しみを乗り越えての歓喜を描くとともに、チャイコフスキー自身の憂鬱と酩酊の感情を内包させた曲といえる。
それゆえ、第2楽章を如何に演奏するかは、非常に重い。
モントゥーの感情的にならずに、それでいて音の一つ一つを大事に扱う演奏に、その格調の高さを感じる。
そして終楽章のクライマックへ向けての追い込みも「モントゥー爺さん」のお家芸だ。これは、貴重な一枚である。


2016年11月12日土曜日

ドヴォルザーク チェロ協奏曲_堤・コシュラー

今朝の一枚。ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 OP.104。
堤剛+コシュラー:チェコフィルハーモニー(1981年録音:プラハ芸術の家)。まず、このCDのプロデューサーは大賀典雄氏であると聞いたことがあります。(間違っていたらすいません)録音も素晴らしいです。
さて、序奏を聴いただけで、実はこの演奏の虜になりました。
ノイマン時代のチェコフィルにコシュラー!!深い弦楽の響き、あの哀愁を帯びた第二主題のホルンの朗々さ、木管の煌き。おちついたシンフォニックなトゥッティ。コシュラーはやはりいいです。
日本の第一人者たる堤氏も負けてはいません、線が細いとコメントされているのを見かけますが、どうしてどうして格調高く、ある時は艶を膨らませた実に好きな演奏です。
郷愁に満ちた第2楽章、木管のまろやかな響きに誘われてチェロが応える冒頭は実に美しい。中間部へ向かう直前のオーケストラの見せる毅然とした一瞬の爆発力。コシュラーの凄みを感じます。
ドヴォルザークの「泣き」のメロディーをチェロとオーケストラの掛け合いで紡いでいく面白さを十分に感じ取ることができます。
堤氏の高音部の美しさも格別です。
舞曲風のワクワクした冒頭のオーケストラから各楽器の魅力全開の面白さをもつ終楽章は、チェロとの掛け合いが見事に融合されており、管楽群の明るさが、ボヘミアンなローカル色を醸し出すだけでなく、哀愁を帯びたチェロと絹のような弦楽群の美しさを堪能できます。コシュラーは、もっと演奏を残してくれればよかったです。
マイベストは、フルニエ:セルですが、こちらも貴重な一枚です。



2016年11月11日金曜日

ドイツ・レクイエム 16

月に1度は聴きたくなるブラームス「ドイツ・レクイエム」シリーズ。第16回目となります。
①クレンペラー②サバリッシュ③ヤルヴィ④ジュリーニ➄セル⑥コルボ⑦アーノンクール⑧ケーゲル⑨ロバート・ショウ⑩アクサンチュス⑪コッホ⑫ヘレヴェッヘ⑬シノーポリ⑭クーベリック⑮バレンボイム
第16回目は、ジェームス・レヴァイン:シカゴ交響楽団&合唱団、キャスリーン・バトル(ソプラノ)ホーカン・ハーゲゴール(バリトン)による1983年録音です。「合唱の神様」と言われたM.ヒリス女史の指導による合唱の美しさが何といっても魅力です。
レヴァインは、曲の入りを比較的明るめの中庸な音のバランスで、テンポも引きずることなく、淡々とコーラスに歌わせます。これは淡白かと思いきや、第2曲は、じっくりとしたテンポでドラマチックな構築をしていきます。ティンパニーの使い方、コーラスの強弱感、中間部の長調から「人はみな草のごとく」へ戻る時の間のとり方など独特かもしれない。後半部アレグロの起伏にとんだ喜びの表現は、レヴァインらしくオペラ的な要素を感じることができる。これは、CSOの金管群の成せる業か。
第3曲、バリトンのハーゲゴールは、いい声なのだが少し私には艶っぽすぎる声だ。後半の壮麗なフーガは、やはりもう少し速いテンポで駆け抜けてもらいたかった。
第5曲、キャスリン・バトルの声はさすがです。この曲をここまで可憐に歌えるのはキャスリンだけかも。極めて耽美的な「慰め」の1曲ではないでしょうか。
第6曲、2曲同様にドラマチックな構築。大フーガのテンポ感も実に巧みだ。
第7曲、第1曲同様に、淡々と終わりを迎えます。
総じて、救いと報いを大らかに歌い上げる形式でのドイツレクイエムといえるでしょう。

2016年10月30日日曜日

シューベルト「グレイト」_コンヴィチュニー:チェコフィル


昨日の登山で雄大な景色を眺めたのが影響しているのか、今朝は無性に「グレイト」が聴きたくなった。
今朝の一枚。シューベルト 交響曲第9番{ザ・グレイト}。
(@最近は8番となっていることの方が多いですが、CDの記載通り9番とさせていただきます。:私が持っているものは旧いものが多いのでだいだいが9番ですが・・)
演奏は、コンヴィチュニー指揮:チェコフィルハーモニー(1962年:ステレオ録音)の名演。何故、初演をした手兵「ゲヴァントハウス管」との録音がないのか不思議であるが、チェコフィルも良い良い。冒頭のホルンは、この時代だとミロスラフ・シュテフェックであろうが、いい響きである。そしてビロードにくすみをかけたようなチェコフィルの弦楽群も味がある。激情的にならず爽快感のある「大人の」コンヴィチュニーの演奏だ。大好きな2楽章Andante、第3楽章Scherzo、木管群の巧さも手伝い、コンヴィチュニーの「中庸」のテンポと強弱がメリハリを生み安心して聴いていられる。
フィナーレも淡々と進んでいくが、「慌てす騒がずの」テンポに、コンヴィチュニーのシューベルト観を嗅ぎ取ることができる。思い切りロマンティシズムを排除したことで、浮かび上がるものがある。そんな演奏だ。

2016年10月23日日曜日

ブラームス ピアノ協奏曲第1番_カッチェン

今日の一枚。カッチェンによるブラームス ピアノコンチェルト。
1番は、モントゥー:ロンドン交響楽団(1959年録音)、2番はフェレンチク:ロンドン交響楽団(1960年録音)。
「カッチェンといえばブラームス、ブラームスといえばカッチェン」なのだが、意外にデビューは「モーツァルトのK.466」らしい。といっても10歳の時なのだが。その素晴らしさに、オーマンディ、バルビローリと立て続けに、10歳のカッチェンと23番の演奏をしたそうである。
さて、今日はモントゥーを迎えての1番を紹介したい。(カッチェンはブール、コンヴィチュニーとも録音している)
出だしから男気溢れるのモントゥー(83歳)の音作り。それに負けない若さと情熱溢れる32歳のカッチェンの硬質なピアノは圧巻。独特のルバートと予想以上の鍵打。弱音やアルペジオの柔らかさ。こうあるべしという言葉しか見つからない。
それにしてもモントゥー爺さんの迫力は凄まじい。これは24歳のブラームスの作品なのだ。この爺さんには、やはり老齢という言葉は存在しないのだ。
カッチェンの白眉は第2楽章。決して甘ったるくならず、ブラームスの精神性と相対するクララに対する真っすぐな情感を上手にとらえている。だからカッチェンのブラームスはやめられない。モントゥーの重すぎないサポートもさすがだ。
終楽章のピアノから始まる一気呵成のロンドはカッチェンのリードでテンポが刻まれる。第一副主題でのチェロとの掛け合い、第二副主題の弦楽の美しさが堪らなく好きだな。
そんなわけで、2番はまたの機会に・・・。


2016年10月22日土曜日

R.シュトラウス_4つの最後の歌

今日の一枚。シュワルツコップの「R.シュトラウス歌曲集」より
<四つの最後の歌>。
歌唱力が素晴らしいヤノビッツを聴くために、しょうがなく唯一持っているカラヤン盤と当該セル:ベルリン放送交響楽団(1965年録音)は、双璧をなす不滅の演奏であろう。
私の好みは、ヤノビッツの声なのだが、今日はシュワルツコップで。二羽の「雲雀」はフルートにより表現され、最後には深い夕映えの中に静かに高らかに天に昇っていきます。いずれにしてもアイヒェンドルフによる理想の死が、死を間近にしたシュ
トラウスにより美しくも儚く表現されています。



シューベルト 八重奏曲



秋の夜長の一枚。シューベルト 「八重奏曲 へ長調 D.803」。
シュナイダーハン弦楽四重奏団+オットー・リューム(コントラバス)レオポルド・ウラッハ(クラリネット)ゴットフリート・ファン・フライベルク(ホルン)カール・エールベルガー(ファゴット)<1948-49年録音>。
錚々たる面々での名盤。録音は古いが、往年のスタープレーヤーが織りなす、味わいのある演奏。

2016年10月16日日曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第11番_ゼルキン

今日の一枚。ゼルキンによるモーツァルト ピアノ協奏曲11番・12番・16番・17番 収録の一枚。
11.12_シュナイダー;マルボロ音楽祭管弦楽団。16_シュナイダー:コロンビア交響楽団、17_セル:コロンビア交響楽団(実は、クリーヴランド管弦楽団といわれています)。(1955-57年のもの)。
ゼルキンは80歳を越えて80年代にアバト:ロンドン交響楽団でピアノ協奏曲集を録音していますが、こちらは、脂の乗り切った50歳代の演奏。盟友アレクサンダー・シュナイダー、巨匠ジョージ・セルのバックアップによる演奏です。
今日の紹介は、11番 へ長調 K.413。
社交的な明るさと華麗さを持ち合わせたこの曲の第1楽章、少しフライング気味に登場するピアノの可憐な響きをゼルキンは柔らかいタッチで弾いてくれてます。短調部分は、少し打鍵を強くし切迫感のある響きでこの曲の色彩感をうまく表現しています。
緩徐楽章では、子守歌のような優しいメロディに合わせ、ゆったりとした中にも強弱の使い分けをしっかりし、特にフォルテピアノにおけるアクセントを大事に弾いています。このあたり、ゼルキンもモーツァルトが好きなんだなぁと思う。
終楽章、まず驚くのはオーケストラのポリフォニックな主題です。モーツァルトは通常ピアコンの終楽章はAllegroやAllegrettoによる飛び回るような曲想と高揚感のあるメロディで始めます。それは27番まで続いています。映画「アマデウス」に使われた15番や22番などはその典型かと。その中でこの11番の異質さに耳を奪われます。緩徐楽章の続きのような優しさと幸福感に包まれています。
ちなみに、指揮のアレクサンダー・シュナイダーは、ブダペスト弦楽四重奏団のセカンド・ヴァイオリンです。
ゼルキンは、この終楽章が持つ「やすらぎ」「くつろぎ」といったモチーフの中でモーツァルトが一瞬見せる「孤独感」をよく感じ取っていると思う。(149小節~164小節部分:ここが滅茶苦茶好きです)やはり、ゼルキン!!モーツァルトが好きなんだなぁと思う。


2016年10月7日金曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第25番_ハイドシェック

3連休前の金曜日は、「クラシック三昧」で。
まずは、モーツァルト ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K.503から。
ピアノは、ハイドシェック。ヴァンデルノート:パリ音楽院管弦楽団(1961年録音)です。
このコンビは、全集を見かけたことがなく、9.12.18-27番と、バラバラと持っています。ハイドシュエック、20代中頃の若々しい自由闊達な演奏だ。それを、巨匠ヴァンデルノートと明るい音色のパリ音楽院管(1967年解散、後のパリ管)が支える。
さて、名曲ひしめくモーツァルトの20番台のピアノコンチェルトにおいて、影が薄い25番を敢えてチョイス。
実は、「ジュピター協奏曲」と渾名されており、実に壮麗なファンファーレで始まり、非常にシンフォニックな曲調なのである。
ハイドシェックは、この第1楽章のもつ華やかさと軽やかさを爽やかに弾いているが、一音一音が実に「堅音」である。それが、この曲の格調高さに合っているような気がする。
堂々としたファンファーレで始まる曲も、そう!過ぐにお得意の短調(ハ短調)が登場。そして案の定、短調と長調の間を行ったり来たりする。でもその中で、第二主題のピアノの可愛いらしいこと。この1楽章で見せるモーツァルトの心の振幅には驚かされます。
白眉は「展開部」。主題を1音ずつ上げながら、ピアノ、ファゴット、オーボエ、フルート、弦楽と入り乱れてのポリフォニー。圧巻。第2楽章は、安らぎの極致。満たされた眠りから醒めた時に味わう「心の落ち着き」を与えてくれるそんな緩徐楽章である。
ハイドシェックの語りかけてくるような音の響きが良い。
第3楽章は、明るく晴れやかなロンド。ハイドシェックの強弱の巧さ、流れるようなパッセージに付加された装飾音の軽やかさが光ります。今夜はこの一般的には影の薄い、隠れた名曲からスタート。

2016年10月1日土曜日

マーラー「復活」_テンシュテット:北ドイツ放送交響楽団Live

満を持してテンシュテット:北ドイツ放送響 1980年9月29日LIVEによるマーラー 交響曲第2番 「復活」を聴こう!!
ソリストは、エディット・マティス(s)とドリス・ゾッフェル(ms)。
これほどデモーニッシュな「復活」は、他に類を見ないであろう。
この演奏は、ご存知の方はわかると思いますが「私」は土曜日でなければとても聴けない。それほどの緊張と感動を伴う90分間の凄演。

ドイツ・レクイエム 15

月に1度は聴きたくなるブラームス「ドイツ・レクイエム」シリーズ。第15回目となります。
①クレンペラー②サバリッシュ③ヤルヴィ④ジュリーニ➄セル⑥コルボ⑦アーノンクール⑧ケーゲル⑨ロバート・ショウ⑩アクサンチュス⑪コッホ⑫ヘレヴェッヘ⑬シノーポリ⑭クーベリック
第15回は、バレンボイム指揮ロンドンファイル+マティス&フィッシャーデュスカウ(1972年録音)。バレンボイムは、後年、シカゴ交響楽団・合唱団、ジャネット・ウィリアムズ、トマス・ハンプソンとの演奏もあるが、貫禄のソリストということで、こちらを選択。バレンボイム盤は、どちらもたっぷりと歌わせる構成となっている。特に第1曲。遅すぎるという批評もあるが、私は決して気にならない。合唱も美しい。(テノールには少し難があるが)。
第2曲は、ティンパニーが印象的だ。もともと変ロ短調で極めて深刻に始まるが、So seid nun geduldig, lieben Brüder,から変ト長調へ。この部分の優しさが堪らなく好きだ。第3曲、フィッシャーデュスカウはさすがだ。まるで歌曲風の哀歌を聴いているようだ。答えの得られないもどかしさを見事に表現している。第5曲、マティス30代の歌声は、実に美しく透明感がある。フィッシャーディスカウ、マティスといえば、バッハの教会カンタータを思い浮かべる人も多いだろう。ドイツレクイエムにおける、この二人の競演は、貴重だ。
第6曲、大フーガへ至るまでの抑揚と盛り上げは合格点をあげたい。
バレンボイムの几帳面さと歌心がにじみ出る演奏である。

2016年9月25日日曜日

モーツァルト 途中楽章の短調 その24(LAST)

今年の初めに、Facebookグループ「クラシックを聴こう!」にて、とある方から
「モホツアルトはたんちやふ(短調)がよひよね。」楽章別の短調のモーツアルトをご推薦ください!
「1楽章(主調)が長調だけど、2楽章や3楽章が短調のものがいいです。」
というコメントが寄せられ、モーツァルティアンの血が騒いだ。
その時に、一気にコメントを入れたが、Facebookはコメントがどんどん流れるので、ブログで書き留めておくことにした。
その24
欠落しているかもしれませんが、もうありません。これだけです。
でも最後に、楽章ではないのですが、せっかくなので紹介しておきたい箇所があるので、お付き合いください。それは、「クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581」のなかにあります。
第3楽章 メニヌエット これは「イ長調」ですが、これには2つのトリオがあります。その中で1つ目のトリオが「イ短調」なのです。短いですが、モーツァルトに魅了された箇所でもあります。そして、クラリネットは演奏されず、弦楽四重奏となっています。
ちょっと泣けてきます。お聴きください。
第3楽章全体の演奏です。第1トリオは、1分25秒あたりかです。是非、最初からお聴きください。

さて、これにて今シリーズは終了です。見逃しているものがありましたら、また後日寄稿したいと思います。

2016年9月24日土曜日

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲_シェリング:イッセルシュテット+LSO

今朝の一曲。ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP.61。
シェリング:イッセルシュテット:ロンドン交響楽団(1965年録音)。比類なき美音と格調の高さに思わず惚れ込んだ演奏です。私の中でのベスト。ヴァイオリン協奏曲といえば、実はチャイコフスキーやメンデルスゾーンの方が圧倒的に人気が高く、誰しも聴く回数も多いはず。若かりし頃、かくいうミーハーな私も然りでした。この演奏に出逢うまでは。カデンツァは、第1楽章がヨアヒム、第3楽章はフレッシュ。フレッシュ・カーロイは、ハンガリー出身で、シェリング始めヌヴー、ギトリスは門弟です。(後の、ハイティンク:RCOでは、どちらもヨアヒム、最初の録音は、師事していたティーボー:パリ音楽院管でティボーのもの)このあたりも律儀そうなシェリングの性格が出ているかも。
さて、イッセルシュテットによるオーケストラは、ドイツのオケと思わせる重厚さで、出過ぎず下がり過ぎす、非常に調和がとれており、流石です。カデンツァもさることながら、第2楽章の「優しさ」「祈り」が一音一音から溢れ出てきており、溜息ものです。

2016年9月22日木曜日

ブラームス 二重協奏曲_シュナイダーハン・シュタルケル

今日の一枚。この前の休みに久しぶりにシュナイダーハンを聴いたので、、これも聴きたくなった。「ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 Op.102」フリッチャイ:ベルリン放送交響楽団+シュナイダーハン+シュタルケル(1961年録音)
こちらは、シュナイダーハンの美しい音色とシュタルケルの引き締まった音色を楽しみめる。両者が寄り添いまたぶつかり合うのを、フリッチャイが見事に統率した名演。えてして、この曲はそのエネルギーのあまり、聴いていて疲れてしまう演奏があったり、逆に綺麗にまとまってしまう演奏があるが、当盤は、味わい深く何度聴いても飽きが来ない。


2016年9月19日月曜日

シュナイダーハンのブラームス ヴァイオリンソナタ集

週前半はずっと雨が続きそうで嫌ですね。
そんな中、今朝の一枚は、「ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全集」。シュナイダーハン:ゼーマン(1957&1960年録音)で。
シュナイダーハンは、テンポを少し早くし始め、抑揚を抑え始めた頃、甘美から耽美への変貌期の演奏。豊かな音色が魅力的で、それでいて男性的なブラームス。ウィーン派の代表でありながら、どこかドイツ的な響きがいい。ゼーマンの重厚なピアノも極めてシュナイダーハンのヴァイオリンを惹きたてます。3番が特にいいです。



モーツァルト 途中楽章の短調 その23

今年の初めに、Facebookグループ「クラシックを聴こう!」にて、とある方から
「モホツアルトはたんちやふ(短調)がよひよね。」楽章別の短調のモーツアルトをご推薦ください!
「1楽章(主調)が長調だけど、2楽章や3楽章が短調のものがいいです。」
というコメントが寄せられ、モーツァルティアンの血が騒いだ。
その時に、一気にコメントを入れたが、Facebookはコメントがどんどん流れるので、ブログで書き留めておくことにした。
その23
弦楽四重奏曲最後の6曲目は、ウィーン四重奏曲の4番目「弦楽四重奏曲第11番 変ホ長調 K.171」の第3楽章 Andante が「ハ短調」です。この曲だけ唯一第3楽章で短調が使われています。
11番は、第1楽章にAdagioを置いている点でも革新的である。これは、ハイドンセットの「19番:不協和音」とこの11番の2曲のみ。
そして、この第3楽章のまるで心の襞が抉られるような悲しみのメロディが繰り広げられると、人は孤独なのだと思い知らされるであろう。


モーツァルト 途中楽章の短調 その22

今年の初めに、Facebookグループ「クラシックを聴こう!」にて、とある方から
「モホツアルトはたんちやふ(短調)がよひよね。」楽章別の短調のモーツアルトをご推薦ください!
「1楽章(主調)が長調だけど、2楽章や3楽章が短調のものがいいです。」
というコメントが寄せられ、モーツァルティアンの血が騒いだ。
その時に、一気にコメントを入れたが、Facebookはコメントがどんどん流れるので、ブログで書き留めておくことにした。
その22
弦楽四重奏曲残りの2曲は、「ウィーン四重奏曲」の中にあります。
5つ目は、「弦楽四重奏曲第8番 へ長調 K.168」の第二楽章。こちらが、「ヘ短調」です。
どこまでも、付きまとってきそうな
何とも言えぬ暗さを秘めたメロディは、この若者のどこから出てくるのであろうか。

2016年9月17日土曜日

モーツァルト 途中楽章の短調 その21

今年の初めに、Facebookグループ「クラシックを聴こう!」にて、とある方から
「モホツアルトはたんちやふ(短調)がよひよね。」楽章別の短調のモーツアルトをご推薦ください!
「1楽章(主調)が長調だけど、2楽章や3楽章が短調のものがいいです。」
というコメントが寄せられ、モーツァルティアンの血が騒いだ。
その時に、一気にコメントを入れたが、Facebookはコメントがどんどん流れるので、ブログで書き留めておくことにした。
その21
弦楽四重奏曲の4曲目は、「弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 K.159」の第二楽章です。「ト短調」です。
ミラノ四重奏曲の中で、この曲だけが第1楽章にAndanteを置き、「緩-急-急」のテンポとなっている。
すなわち、第1番「ローディ」の形式。その他の5曲は、「急-緩-急」の典型的なイタリアの3楽章形式となっている。
この2楽章は、まさにモーツァルトの疾走する「ト短調」の始まりの曲かもしれない。

さて、このミラノ四重奏曲(6曲)、実は調性がニ長調(2)、ト長調(3)、ハ長調(4)、へ長調(5)、変ロ長調(6)、変ホ長調(7)と5度づつ下げて作曲されているので、とりあえず記載しておく。その意味はわからない。

2016年9月16日金曜日

クリップスのモーツァルト交響曲集

今夜は3連休前の金曜日。「ひとりアマデウス祭り」じゃぁ。
祭りにふさわしいのは、クリップス:コンセルトヘボウ管弦楽団
(1972-74録音)の交響曲集。
この交響曲集は、モーツァルトが序章のみを書いた37番を除く、21番から41番までを網羅。モーツァルティアンには、欠かせない「格別」にして「別格」の名盤。


2016年9月11日日曜日

モーツァルト 途中楽章の短調 その20

今年の初めに、Facebookグループ「クラシックを聴こう!」にて、とある方から
「モホツアルトはたんちやふ(短調)がよひよね。」楽章別の短調のモーツアルトをご推薦ください!
「1楽章(主調)が長調だけど、2楽章や3楽章が短調のものがいいです。」
というコメントが寄せられ、モーツァルティアンの血が騒いだ。
その時に、一気にコメントを入れたが、Facebookはコメントがどんどん流れるので、ブログで書き留めておくことにした。
その20
弦楽四重奏曲の3曲目は、「弦楽四重奏曲第5番 ヘ長調 K.158」の第二楽章です。「イ短調」です。
シチリアーノ風のメロディは、どこか切迫感を感じさせる。

2016年9月10日土曜日

ウィンナ・ワルツ・コンサート_ケンペ:SKD

本日は、蚊の大群と闘いながら、庭の雑草取り。大量に刺されてしまいました。おっさんの血が何故そんなに欲しいのだ。というわけで「リラックスタイム」!!ケンペ:ドレスデン・シュターツカペレによる「ガラ・コンサート~ウィンナーワルツ・コンサート」(1972-73年録音)。ケンペお得意の「金と銀」もありますよ。ケンペの多彩な表現力がよくにじみ出ている一枚かと思われます。ドレスデン黄金期の録音でもあり、美しき響きは重厚でドイツ的ではあるが、それでいて野暮ったさもなく、颯爽としている。思わず聞き入ってしまう名盤です。

2016年9月9日金曜日

ブラームス 交響曲第2番_カイルベルト

今晩の一枚。ブラームス 交響曲第2番を無性に聴きたい。
「ブラームスがお好き」となって早15年。交響曲全集は、30セットになろうとしているばかりでなく、バラも含めると大変な数となっているが、理想的な2番は数少ない。
カイルベルト:ベルリンフィルハーモニー(1962年録音)。
何といってもK帝王時代にはいっていながら、初期ゆえにまだその色に染まっておらず、昔ながらの力強く野太い燻銀の音色。これぞベルリンフィルを聴かせてくれる。
しかし、ただ無骨さだけではないのだ。
第2楽章は、弦楽の響きの美しさと深さ、テンポの揺らぎ、孤高のホルン、柔らかく詠嘆的な木管群。最上級の素晴らしさ。
第4楽章は、急がず騒がず堂々とした重い質感をもち、それでいてオーケストラは鳴りわたる。さらにレガートはあくまで優しく美しく、大事に音をつないでいく。理想的なコーダのテンポ(私的)。
これは、はずせない隠れた名盤の1枚であり宝物である。


2016年9月6日火曜日

ベートーヴェン クロイツェル・ソナタ_シゲティ&バルトーク


ワシントン国会図書館クーリッジホールでのライブ(1940/4/13)。
シゲティとバルトークの演奏を聴く。
ベートーヴェンのクロイツェルやバルトーク自身の曲も演奏している。バルトークがファシズムを避けてヨーロッパからアメリカに亡命する直前の慌しい時期に訪米した際のリサイタルの記録だという。さすがに音質は古いが、十分にシゲティの潤いあるふくよかな音が聴ける。バルトークは、ルービンシュタインコンクールでバックハウスとピアノの腕を争ったとか。(1905年:バックハウスが1位、バルトークが2位)さすがの腕前です。祖国ハンガリーを渡米・亡命したBIGな2人の競演を暫し楽しむ。

2016年9月5日月曜日

モーツァルト 途中楽章の短調 その19

今年の初めに、Facebookグループ「クラシックを聴こう!」にて、とある方から
「モホツアルトはたんちやふ(短調)がよひよね。」楽章別の短調のモーツアルトをご推薦ください!
「1楽章(主調)が長調だけど、2楽章や3楽章が短調のものがいいです。」
というコメントが寄せられ、モーツァルティアンの血が騒いだ。
その時に、一気にコメントを入れたが、Facebookはコメントがどんどん流れるので、ブログで書き留めておくことにした。
その19
弦楽四重奏曲の2曲目は、「弦楽四重奏曲第4番 ハ長調 K.157」の第二楽章です。Andante「ハ短調」です。

16分音符の伴奏の上に哀歌とも言うべきメロディを第1ヴァイオリンが奏でていくカンティレーナ。
このメロディとホ長調へと変わる優し気なメロディの主題を繰り返しながら展開してゆき、再現部ではハ短調へ戻り静かに終わる。

2016年9月3日土曜日

ハイドン 太陽四重奏曲_ウルブリヒSQ


久しぶりにハイドン「太陽四重奏曲」を聴く。
ウルブリヒ弦楽四重奏団(ドレスデン:ルカ協会 1970年録音)
「太陽四重奏曲」とは、op.20-1 Hob.III:31~op.20-6 Hob.III:36の6曲を指す。(弦楽四重奏曲番号31番から36番)
6曲中、3曲(32番:Op.20-2,35番;Op.20-5,36番;Op.20-6)のフィナーレにフーガが使われている。このフーガが実に素晴らしいのだ。
さて演奏のウルブリヒSQ。素朴で渋い音色が堪らなくいい。
そしてリズミカルな音の処理が実に巧みである。隠れた名盤ではないだろうか。(少なくとも私には)
特にお気に入りは、35番 ヘ短調 Op.20-5である。
3楽章Adagioの美しさ、4楽章フーガの面白さ。5度下がって6度上がって7度下がるという跳躍の主題と、同音反復の主題の二つの主題を持つフーガであるが、ほらモーツァルトの「レクイエムのキリエ」のフーガが聴こえませんか・・・。おそらくモーツァルトの頭のどこかにこの旋律が残っていたのでしょう。。
Op.20-6のフーガも最高です!!一つは飛び跳ねるような主題、もう一つは下降音階主題と2つの主題をもち、何とも粋で美しい!!
ハイドン!「やはり弦楽四重奏曲の父です」なぁ。