2021年12月27日月曜日

ベートーヴェン 交響曲第9番_テントシュテット

 今週は、かみさんが実家に帰省しているので只今大音量にて「第九」を聴いています。テンシュテット;ロンドンフィルハーモニー管弦楽団&合唱団、S)マリアンネ・へガンダー、A)アルフレーダ・ホジソン、T)ロバート・ティアー、Bs)グウィン・ハウエル(1985年9月13日、ロイヤルアルバートホール ライヴ録音)。テンシュテットが喉頭がんの告知を受ける1か月前のライブ演奏と言うことになる。テンシュテットには,しばらくベートーヴェンの第9の正規レコーディングはなく,BBSレジェンドが,2001年にこのテンシュテットの第九を発表した。

テンシュテットらしい、緊張感のあるスリリングな演奏だ。第1楽章、特に速いわけではないのだが、重戦車のように進んでいき、まさにテンシュテットらしい高揚感溢れる堂々たる演奏。第2楽章は快速だ!テンシュテットの煽りにさすがのロンドンフィルもついていけない。しかし、逆に観客には異様な緊張感の11分間であったものと思われる。楽章終了後の鬼のような咳払い、どんだけ皆、息を飲んでいたのだ。第3楽章は、懐の深い静謐な演奏。白眉は、何と言っても終楽章か。冒頭から再び重戦車が風の如く進んでいく。歓喜の爆発!!への助走とはかくなるものか。そして初めて現れる歓喜のメロディは爽快な運び。バリトンのグウィン・ハウエルは、堂々たる声量。圧巻のコーダ。このエンディング1990年シカゴ響との「巨人」の思い出してしまった。




2021年12月25日土曜日

サン=サーンス クリスマス・オラトリオ

 「クリスマス・オラトリオ」はバッハだけじゃないよ。サン=サーンスの「クリスマス・オラトリオ」が超絶いいんだよ。オルガンに始まり弦楽群が引継ぐ序奏を聴いただけで、その美しさに心が奪われるだろう。{Oratorio De Noel Op.12}アンデシュ・エビ(指揮)ミカエリ室内合唱団、【録音:1981年 ストックホルム,聖ヨハネ教会】。白眉は、4曲目「 Air and chorus: “Domine, ego credidi,” 」。テナーの優しい歌声と女性コーラス。そして7曲目。ハープが登場するよ。ここでの3重奏の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあるよ。クリスマスの夜にこんな優しい曲に触れてみるのも乙なものです。



2021年12月15日水曜日

ブルックナー 「モテット集」_ガーディナー

 夕食までのひと時、ガーディナーと彼の手兵モンテヴェルディ合唱団によるブルックナー「モテット集」5曲を聴く。『アヴェ・マリア』『マリアよ、あなたはことごとく美しく』『この所を作り給うたのは神である』『正しい者の口は』『キリストはおのれを低くして』。いずれも美しい名曲ばかり。

ガーディナーは、そもそも合唱指揮者あがり。フレージングとアーティキュレーションが精密に統一され、見事なアンサンブルを形成しているなぁ。モンテヴェルディ合唱団は、ソプラノも美しいが、何度聴いてもベースがピカ一にいいなぁ。


2021年12月6日月曜日

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲_シェリング

贅沢な2枚組の中からベートーヴェン。シェリング(V)イッセルシュテット(C)ロンドン交響楽団<録音:1965年>によるヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61を聴こう。このシェリング2度目の録音は、名盤中の名盤。端正で気品ある正統派ベートヴェン。カデンツァは、めずらしく1楽章がクライスラーではなくヨアヒム、3楽章がフレッシュ。イッセルシュテットの伴奏は重厚でありディナーミクが大きく深みのある演奏。圧巻は第2楽章、渋みのある弦楽群の序奏、ホルンが優しく歌うと、シェリングが美音を飛ばしながら応える。凛とした美しさとはこのことか。


2021年11月28日日曜日

BIS盤「バイロイトの第九」

 予約しておいたBIS盤のフルトヴェングラー「バイロイトの第九」届きました。track1は、ウェルカム・アナウンスメント、track2が、プログラム・アナウンスメントで、track3から演奏が始まります。当日のほぼノーカットの実演の全貌が収録されているのは間違いない。ただし、センター盤(バイエルン放送局所蔵)も当日実演奏盤で同じであることが分かりました。



2021年11月6日土曜日

モーツァルト レクイエム_ムーティ

 大学時代の旧友H氏のfacebookでのベルディ「レクイエム」ムティ、バイエルン放送響の投稿につられ、ムーティには、その実力が突き抜けてしまったモツレクの名演があるやん!ということで、モーツァルト「レクイエム ニ短調 K.626」【1987年録音】を聴く。 80年代は、サビーネ・マイヤー事件(1982)を機に険悪・修復不可能となったカラヤンへのベルリンフィルの腹いせで、アバドが1990年に後任となるまでの期間、候補と言われた指揮者たちとの演奏で実に超名演が多い。その中でもムーティ「モツレク」は、エリクソンが合唱指揮をとる「スウェーデン放送合唱団&「ストックホルム室内合唱団」という現代最高の合唱団をすえ、ソリスト陣は、ソプラノが「フィガロ」バルバリーナ役でムーティ、ウィンフィルと競演した透明感溢れるパトリシア・パーチェ、メゾ・ソプラノとバスは、ワグナー歌手としてのし上がるヴァルトラウト・マイヤー、ジェームス・モリス、テノールが高らかな歌声のオペラ歌手フランク・ロパードと一級品を揃え、重厚なベルリンフィルの弦楽群のもと厳粛でいて「美しい」響きの超名演を繰りひろげている。ムーティはこれ以降「モツレク」を録音しなかったのはうなずける。勿論、おまけの「アヴェ・ヴェルム・コルプス k.618」の世界最高演奏も忘れてはならない。



2021年10月23日土曜日

ブルックナー 弦楽五重奏曲_ラルキブテッリ

 ブルックナー 弦楽五重奏曲ヘ長調WAB.112を聴く。ラルキブデッリで(録音:1993年)。ガット弦が妙に透明感があり意外にブルックナーに合っていて驚き。究極の美しさを持つAdagioのしっとり感も2年前に亡くなったアンナー・ビルスマのチェロが効いていて深みのある演奏。



2021年10月10日日曜日

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番_リヒター=ハーザー

 久々にベートーヴェン ピアノ協奏曲を聴く。ピアノ協奏曲第3番ハ短調OP.37、リヒター=ハーザー、ジュリーニ;フィルハーモニー管弦楽団(1963年録音)。4番ほどの革新性はみられない3番は、古典的なスタイル、第1楽章、ハ短調 アレグロ・コン・ブリオは、あの「運命」と同じで、先んじて使われている。自らの耳の疾患への逆境に強い意志で立ち向かうといった精神性あふれる曲性。第2楽章、ホ長調ラルゴは、ピアノ協奏曲中1番美しい祈りの音楽。低弦の支えの中を飛び回る様に戯れるピアノが印象的で大好きだ。第3楽章、ハ短調-ハ長調 モルト・アレグロは、型通りのロンド形式、オーケストラのトゥッティ、ピアノのプレスティッシモの華麗なパッセージ後に現れるコーダのスピード感は堪らない。リヒター=ハーザーは、堅牢にしてある時は、リリカル。骨太の音の中に華やかさをもつ稀有なピアニスト。第2楽章に見せる深い陰翳を宿した響きはハーザーの心の奥底に眠る色気を感じる。ジュリーニは重厚でいつも通り男気溢れる伴奏。しかし、時より見せる抒情性につい耳が行ってしまう。というわけで60年代の隠れた名盤としたい。


2021年9月26日日曜日

フォーレ レクイエム_アンセルメ

 フォーレ「レクイエム OP.48」アンセルメ;スイス・ロマンド管弦楽団 トゥール・ド・ペイルス合唱団 ジェラール・スゼー(Br)  シュザンヌ・ダンコ(S)<1955年1月録音>を聴く。何故、アンセルメはこのド素人合唱団で録音したのか謎の一枚。それにしてもテナーは酷すぎる。しかし、バリトンのジェラール・スゼー!!がとてつもなくいいのだ。彼の声を聴くだけで十分に聴く価値のある一枚。



2021年8月29日日曜日

メンデルスゾーン 交響曲第5番「宗教改革」_マゼール

 今日の1曲は、メンデルスゾーン交響曲第5番ニ短調「宗教改革」、マゼール;BPO<1961年録音>。

この曲の厳かな序奏部、弦楽器による「ドレスデン・アーメン」を聴くたびに何故か胸が熱くなる。決然とした第1主題!伸びやかな旋律の第二主題!展開部ではフガート的なその旋律を疾風怒濤の如く快速で走り抜けるマゼールの棒。再現部では、「ドレスデン・アーメン」が何気に現れ、低重心で全奏の第1主題で幕を閉じる。第2楽章、何と優雅なスケルツォ。遠くでホルンのファンファーレ。トリオは流麗で美しい。やはりマゼールの3拍子は格別だ。
第3楽章、わずか54小節の短い楽章ながら、1stヴァイオリンの物悲しい旋律に狂おしさを感じずにおれない。フルートの切ない響きも手伝っ心に染み入る哀切。終楽章のつなぎとは思えないメンデルスゾーン旋律。終楽章、フルートによるルター作曲のコラール「神は我がやぐら」。カールハインツ・ツェラーのフルートは魅力的な音。他の木管も加わり美しく音場が広がっていき、金管が加わると神々しささえ響いてくる。vivaceのブリッジを経て、maestosoのニ長調Allegro。壮麗な第1主題と軽やかな第2主題。弦楽器のフガートの上に管楽器によるコラール旋律が奏されると、もはや誰もが音階の昇華を待ち望むであろう。コーダでは、コラール主題が全奏で力強く現れ、改革の勝利を表すかの如く雄雄しい響きをもって賛美歌「神は我がやぐら」を歌い上げる。マゼールのテンポは確かに速い。しかし活力に溢れ、深みもある名演ではないかと思っております。

2021年8月27日金曜日

ハイドン スターバト・マーテル_ピノック

 ちょっと渋いですが、ハイドン「スターバト・マーテル ト短調 Hob XXbis」を視聴。ピノック(C) イングリッシュ・コンサート &コーラス<1989年録音:オール・セインツ教会>。編成は、オーボエ2(コーラングレ持ちかえ:2曲10曲)、弦楽、オルガン。どことなくペルコレージの風味を感じさせる短調、優美さと晴れやかさ兼ね備えた長調。6曲目(テノール独唱)、どことなくモツレクの基となる音階を感じる。8曲目、Sancta Materは、美しい曲。9曲目、Fac me vere のアルト独唱は、哀切の「白眉」。11曲目、Flammis orci ne succendarは、バス独唱は、疾風怒濤。13曲目、Quando corpusのアルトとソプラノの独唱は、やはりペルコレージを彷彿させる。終曲、Paradisi gloriaは、打って変わって華やかなアーメンコーラス、かなり異質な終わりを迎える。



2021年8月19日木曜日

モーツァルト ハイドン・セット_エマーソン弦楽四重奏団

 モーツァルト 「ハイドンセット」弦楽四重奏曲14番-19番、エマーソン弦楽四重奏団(1988-1991年録音)を聴く。

弦楽四重奏曲を本格的に聴きだしたのは、このエマーソン弦楽四重奏団のハイドン「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」【2002年録音】の弦楽四重奏版のCDを購入したのがきっかけでした。さて、ハイドンがモーツァルトに及ぼした影響は大きく、「ハイドンセット」は、1785年1月15日と2月12日に、ハイドンをウィーンの自宅に招き、これらの新曲を披露し献呈した。モーツァルト自身がヴィオラを担当したとも言われている。最初に魅了されたのは、何と言っても14番第4楽章。複数のフガートが重なる時の立体感。もはや弦楽四重奏であることを忘れさせてくれる壮大な音楽。「ジュピター」の登場のはるか前に、フーガとソナタ形式の見事な統合を完成せしめていたのだ。そして、ベートーヴェンが愛してやまない18番。モーツァルトオタクのベンちゃん、彼の弦楽四重奏曲5番が凄い。イ長調の調選択、両端楽章にソナタ形式を置き中間部にメヌエットと変奏曲、そのコーダの規則的なチェロの歩み、1楽章の6/8拍子からの逸脱、終楽章副主題の類似などなど共通項のオンパレード。どこまでオタクやねん って話し。エマーソンは、ある時は陰影に富み、またある時は軽やかに。ヴィブラートを効かせた起伏に富んだ表情によってふくよかな音像を紡ぐため、モーツァルト独特の柔らかい風合いが心地よい。ピュアな音色、やや硬めに厳格なリズムの刻みなど、現代音楽が得意と評されいるが、モーツァルトに十二分に合っていると思っている。


2021年8月8日日曜日

ブラームス ドイツレクイエム 40

 ドイツ・レクイエムを聴く。40

ヘルムート・リリンク(C)シュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊、シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム 、ドナ・ブラウン(ソプラノ)ジル・カシュマイユ(バリトン)聴く。名盤復活シリーズ!1991年に録音し現在では入手が難しくなってしまった名盤の再発売CDです。宗教曲の合唱指揮者としても名高いリリングならではの各パート、声部まできめ細かな解釈が魅力の演奏。1曲目、冒頭かなりゆったりとしたテンポの中でコーラスを馥郁と歌わせる。重さ暗さの面は一切ない。只々美しく「祝福されたるは・・慰められるのですから。」と奏でてゆく。コーラスも力みなくリリンクの解釈に沿って歌いこなす。第2曲、起伏を伴って始まるオーケストラに暗さはなく、ただ重い足取りを表現するかのような出だし、繰り返しに力強さを増し訴えかけるような表現へと変貌する。長調へ転じた75小節からは、暖かさに満ちた歌声とともに軽やかさが加わり、前節との対比をうまく表現する。
198小節、「Aber des Herrn Wort」も、力みもなくすっと謳いあげ少しゆっくり目のアレグロへ。嬉々としたコーラス群の上手さが光る賛歌。第3曲、カシュマイユ(バリトン)の声は、包容力のあるいい声。模倣するコーラスは、前面に出ずに影絵のような存在。「Nun Herr, wes soll ich mich trösten?」からは、緊張をたかめつつ、コーラスの面白さをうまく表現している。そしてフーガ。その壮麗さを頑張って歌ってくれた。第4曲、その舞曲は、一時の清涼剤が如く。流れような表彰の違いを巧みにこなす。ハープの刻みが印象的。第5曲、ブラウン(ソプラノ)の声は、伸びのあるいい声だが個人的にはもう少し憂いを・・・第6曲、スフォルツァンドへの展開は少し迫力に欠けるが。大好きな大フーガ前の七色のコーラス変化は美しい。大フーガのアルトの入りは落ち着いた入りでOK。テーノルのカンカンさはカッコいい。ベースの落ちつきも締りをつける。ソプラノが時々声に硬さが見られるのは致し方なしか。全体的には圧倒的な賛歌にふさわしいコーラスぶりを発揮。終曲、テンポは比較的ゆったり目で、最後まで祝福と慰めをしっかりと謳わせたいリリンクの解釈か。個人的にはかなり評価の高い名盤の一つとしたい。






2021年7月11日日曜日

マーラー 交響曲第5番_ガッティ

 朝からガッツリ。マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調、ダニエレ・ガッティ;ロイヤルフィルハーモニー【1997年録音】を聴く。「クセがつよーい!」第1楽章、鋭いトラッペットのファンファーレの後、極めて重い足取りの葬送行進曲。一転トリオからは激しくテンポを揺らしながら流動的に。木管による主題に移るとゆったりと。第2トリオの弦楽群は引きずるような節回し。第2楽章、高速のテンポで入り、チェロのユニゾン(第2主題)は、弱音の効いた淡々とした歌いまわし。終わりの金管のコラールは、癖のあるアクセント。第3楽章、緩徐部分に繊細さを感じる。第4楽章、甘さほどほど、静謐の中に愛おしみを感じる演奏。フィナーレは、十分な躍動感あるが狂気じみてはいない。オーケストラの機能美を活かし展開する。そしてクライマックスは、パワーアップして迎える。繊細さの中に粘着性のないスタイリッシュさを持ち合わせた演奏であった。さあ、朝風呂はいろ!



2021年7月10日土曜日

ブラームス ドイツレクイエム 39

 久々のブラームス ドイツ・レクイエム シリーズ 39。

クリストフ・シュペリング (指揮):アンドレアス・グラウ (ピアノ)ゲッツ・シューマッヒャー (ピアノ)、ソイレ・イソコスキ(ソプラノ)アンドレアス・シュミット(バリトン):コルス・ムジクス・ケルン<録音1996年>。【2台のピアノ版】。ちなみにピアノ版は、1869年に完成され1871年にロンドンにてヴィクトリア女王を前に初演されたため「ロンドン版」と呼ばれる。第1曲、ピアノ伴奏に続くコーラスは、淡々と明るい色調。sindを切り気味に歌うのが特徴か。コーラスに力みはなく、シュペリングは、あくまでも「慰め」の1曲として力こぶなしで終始させる。第2曲、「人はみな・・」のユニゾンは、重苦しくはないが、続くソプラノとの陰影を考えて暗くスタート。中間部の長調は、語り掛けるような温かさを含む。Aber des Herrnは、テンポを落とし、しっかりと、特にベースの声がいい。喜びのアレグロは、少しもたつき加減だが朗々さは失わず。第3曲、バリトンのシュミットは、同じ年。本業のオペラっぽい歌いまわし。しかし、さすがに声はいい。独白の迫力は前面に出ている。模倣のコーラスは少し明るすぎるか。フーガは、どうしてももたつき気味。(これはピアノ版の部分でもあるのだが)第4曲、心安らぐ舞曲。比較的ゆっくり目のテンポで、各声部を謳わせている。第5曲、イソコスキのソプラノは、高音が美しい。フィンランド人のようだ。第6曲、Hölle, wo ist dein Sieg?の聴き所、コーラスは美しい。大フーガの入り口のアルトは合格点(ピア版だと入りやすいのか?)テノールは少し声が疲れ気味なのはしょうがないのか。第7曲、出だしのソプラノは、もう少し穏やかに入ってほしいが・・・。中間部の解き放たれ、祝福される「救いと報い」の命題はコーラスが優しく謳ってくれたのは良し。






2021年7月4日日曜日

バッハ モテット集BWV.225-230_ヘレヴェッヘ

 日曜日の夕方に聴いているのは、バッハ モテット集BWV.225-230。フィリップ・ヘレヴェッヘ(指揮)、シャペル・ロワイヤル、コレギウム・ヴォカーレ(1985年録音)。ヘレヴェッヘ1回目の録音(2回目は2010年)。バッハのモテットといえば BWV 225~230 の6曲しか存在していない。(その中でBWV.230は偽作ではと疑われているが)バッハのものとしては唯一、楽譜上では声楽のみによる作品だ。古いポリフォニーのスタイルで、二群の四部合唱に分かれた八声の「二重 合唱」といった技法を駆使し複雑な声部の展開がある通好みの作品だ。ソプラノの柔らかい歌声とヘレヴェッヘのゆったりとしたテンポが相まって変な力感がないのが特徴でバッハらしい繊細さをうまく表現している大変な名盤だと思う今日この頃である。



2021年7月1日木曜日

J.S.バッハ フルート・ソナタ全集_パユ

 エマニュエル・パユ「J.S.バッハ:フルート・ソナタ全集」【2008年録音】よりフルートと通奏低音のためのソナタ BWV1033-1035を聴く。チェンバロ奏者は、トレヴァー・ピノックという豪華な取り合わせ。この時代は、ブランネン社のフルートか。数年前から、今や中国企業に買収されたヘインズ社のフルートも併用らしいが。



2021年6月30日水曜日

J.S.バッハ イギリス組曲BWV.806-811_アンドレ・シフ

 J.S.バッハ イギリス組曲BWV.806-811 アンドレ・シフ 2003年ライブを楽しむ。80年代録音のベーゼンドルファーではなく、おそらく「スタインウェイ ファブリーニ」。目を閉じて聴くと、リリックで爽やかなそよ風のような演奏。



2021年6月29日火曜日

バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(全曲)_グリュミオー

 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(全曲)。 アルテュール・グリュミオーにて(録音1960-61年)この当時は、1957年にベルギーのルノア伯爵から貸与された1727年製ストラディヴァリウス「ジェネラル・デュポン」。自ら求めバッハの自筆譜により演奏されたことでも有名。比類なき音色の美しさ、意外なほどの力強さ。グリュミオー、特にパルティータ第3番 ホ長調が好きだ。凛とした品格の中に「心優しさ」が滲み出ている。よくネットで、グリュミオーのバッハにケチをつけてる奴らがいるが、いつも「じゃあお前が弾いてみろ!」とモニターに言ってやる。



2021年6月27日日曜日

シベリウス ヴァイオリン協奏曲_ギトリス

 「THE ART OF Ivry Gitlis」より、シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調 Op.47 (ホーレンシュタイン;ウィーン交響楽団)を聴く。このBOX,チャイコ、ブルッフ、メンデを始め、名だたるヴァイオリンコンチェルトのオンパレード。昨年98歳で他界したギトリス爺さんの若かりし(30代)頃の至芸が聴ける。(モノラル)多様に使い分けられたヴィブラート、迸るように歌うダブル・ストッピング、甘いため息のようなポルタメント、痙攣するようなトレモロ、音符が飛び散るようなピチカート、フィンガリングとボウイングを組み合わせた魔術的な音色変化・・・「クセがつよ-い!」と言えば、八代亜紀の上を行く。

しかし、このシベリウス、第1楽章冒頭、コクのある美音、抑制された趣で次々とパッセージを奏でていく。ソナタ形式の展開部にあたる楽章の中央に位置するという独特のカデンツァ、ギトリスは精緻な指先で難なくこなす。しかもこれといった癖もなく。第2楽章、でました!!木管の導入句に続き、ギトリスの表情豊かな朗々とした音色。中間部以降の駆けあがるような旋律の甘さ、終結分ポルタメント。終楽章、低弦のリズムに乗って走り抜けるギトリスの真骨頂。確かな技術でロンドを奏で次第に燃え上がる音色。ホーレンシュタインも次第に燃えてきているのがわかる。そして最後は駆け抜けるように締めくくる。冷たい「北欧の空気感」かといえば違うでしょうが、満足感充分の一枚。


2021年6月20日日曜日

バッハ ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集BWV.1014-1019_コーガン&リヒター

 コーガンとリヒターという意外かつ豪華な組み合わせによるバッハ「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集BWV.1014-1019」を聴く(録音1972年)。1番ロ短調の悲しみと重荷を背負ったコーガンの重厚な音色に思わず引き込まれる。3番3楽章シャコンヌ、とてつもなく悲しきメロディ、掛け合いながら、時にはヴァイオリンが重音で伴奏を受けったりと魅せられる。4番、《マタイ受難曲》のアリア「憐れみたまえ」にも似た悲哀を込めたメロディ。しかしいつしか長調へ変わることで聴くものを安堵させる。3楽章アダージョがいい。リヒターのリュート的なチェンバロに乗せてコーガンのコクのある音色が哀愁感を増幅させる。続く5番もセンチメントだ。この作品集は、バッハの人間味が溢れた稀有な作品ではないだろうか。



2021年6月13日日曜日

バッハ チェンバロ協奏曲BWV.972-987_ワッチホーン

 静かな日曜日。意外にも白熱した宮里藍 サントリーレディスオープンゴルフトーナメントを観た後は、<J.S.BACH>。

チェンバロ独奏のための協奏曲集 Bwv.972-Bwv.987 の全16曲。チェンバロのピーター・ワッチホーンにて。こちらは、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲の編曲やマルチェロのオーボエ協奏曲の編曲、トレッリやヘルマンのヴァイオリン協奏曲などの編曲を施したもの。ゆったり過ごすのにちょうどいい。



2021年6月4日金曜日

モーツァルト レクイエム_ケンペ

 このところモーツァルト作曲全曲のNAS(network attached storage)へのリッピング作業をしていたので鑑賞録がご無沙汰となってしまいましたが、昨日無事すべて(一部断片で録音がされていないものを除き)終了したので再開です。カノンやアリアなど小曲がやたらとあるのでやはり大変でした。最後はもちろん、「アレグロ ニ長調 K.626b16」、モーツァルト265回目の誕生日2021年1月27日、ザルツブルクのモーツァルテウムにおいて、新たに発見されたモーツァルトのピアノ曲〈アレグロ ニ長調 K.626b/16〉チョ・ソンジンの演奏です。まあこれは、1分41秒ですが。さて、久々に「モツレク」を聴く。演奏は、ルドルフ・ケンペ(指揮)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン聖ヘトヴィッヒ大聖堂聖歌隊、エリーザベト・グリュンマー(ソプラノ)マルガ・ヘフゲン(アルト)ヘルムート・クレプス(テナー)ゴットロープ・フリック(バス)~1955年MONO録音盤。

あのブラームス/ドイツレクイエムと同じオケ・合唱団。録音年も同年。ゆったりとしたテンポで少しほの暗い雰囲気の中進んでいく。愚直なまでのインテンポ。グリュンマーの気高い独唱。ワーグナー歌手として知られたフリック(BASS)の温かみのある声が素敵です。テノールのクレプスも棘のない柔らかさ、アルトのヘフゲンの深みのある声もさすがです。「レコルダーレ」の独唱陣のハーモニーは最高級品でしょう。


2021年5月18日火曜日

ヴィヴァルディ 「和声と創意への試み」&「調和の霊感」_ビオンディ

 いつもと毛色を少し変えて今日はヴィヴァルディ。ビオンディ:エウローパ・ガランテによる、「和声と創意への試み」&「調和の霊感」を聴こう。1990年代、挑戦的な演奏と言われたビオンディ、急激な強弱、テンポの変化、休符の取り方、今聴いても斬新であるが、決して衝撃的ではなくなっているから不思議だ




2021年5月14日金曜日

ショパン ピアノ協奏曲第1番_ジーナ・バッカウアー

 ショパン ピアノ協奏曲第1番ホ短調 Op.11、(P)ジーナ・バッカウアー(C)ドラティ+ロンドン交響楽団【1963年録音】にて聴く。

ドラティの管弦楽提示部は、ドライに入ったかに見せ緩急のコントラストで弦楽群に謳わせるところはしっとりと変化に富んだもの。バッカウアーは、硬質な音で突入し、第1主題も男前、繰り返しからはリリカルに変化。第2主題も硬めにキッチリと弾いてゆく。オーケストラもバッカウアーに合わせドラティが持ち前の男気を発揮。展開部出だしはバッカウアーは思いのほかピアノスティックックだ。
第2楽章、硬質ながら優しさを秘めた音色、ショパンゆえの極上のリリシズムを堪能できる。
終楽章、厚味のあるドラティのシンフォニックな序章の後、バッカウアーの弾むようなピアノ。イ長調のユニゾンのメロディー を奏でる息抜きの箇所も粋で艶やか。中間部以降ももたれることなく安心して聴いていられる。終結部、華やかなユニゾンの後のドラティの決然さもいかしてます。


2021年4月24日土曜日

マーラー 交響曲第4番_ホーレンシュタイン

 マーラー 交響曲第4番ト長調、ホーレンシュタイン(c)ロンドンフィルハーモニー管弦楽団、 マーガレット・プライス(S)【1970年録音】を聴く。ホーレンシュタインと言えば3番だが、この4番もなかなかの名盤。副題に「大いなる喜びへの讃歌」と付けられている(誤用だったが)。しかしワルターもこの曲について「天上の愛を夢見る牧歌である」と表現しているように明るく瑞々しい音楽だ。第1楽章、ホーレンシュタインのテンポは極めてゆったりだが軽やかさは失われていない。第2主題のチェロの美しさはひとしお。第2楽章、ヴァイオリンの2度上げ調弦でコケティッシュな音色が奏でられるスケルツォ。ホーレンシュタインのテンポはここでもゆったりだ。第3楽章は白眉。最も美しく慈愛に満ちたメロディ。しかしこの幸福感に満たされた楽章の最後にマーラーは非常に驚くべきコーダを添えた。祈りが天に届かんとするその静寂の中、突然fffでホ長調の主和音がトランペットとホルンによって鳴り響く。終楽章、マーガッレット・プライスの歌声は、牧歌的な雰囲気で美しく歌い上げた後、見事に連酷・淡々とその表情を変え最後は幸福感に満ちた歌声に。盤石です。コントラバスとハープの最低音で終わる3音を欠いたエンディングは何を意味するのだろうか?



2021年4月11日日曜日

ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲_マルツィ

 3月中旬から始まった桜巡りもひと段落で今週は「オコモリ」の週末でした。マスターズの松山の活躍で、いつもよりさらに夜中に起きているのでお昼寝で過ごす2日間だった。

夕方、ふと気になったのが、ヨハンナ・マルティによるドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲イ短調 op.53 (C)フリッチャイ、ベルリンRIAS交響楽団 【1953年録音:イエス・キリスト教会】。ハンガリー人同士の組み合わせ。マルティの凛としていながらどこか温かみを感じる音質は心地よい。フリッチャイの50年代前半特有の明朗にして熱量の高い伴奏を仕掛けるが、マルツィは、ある時はいなし、ある時は寄り添い渡り合う。第2楽章の美しさは白眉。美しく静謐な香りをもつ濁りのない素晴らしい演奏に感嘆。



2021年3月22日月曜日

ブルックナー 交響曲第5番_ケンペ

 まったり雨の日曜日、外へは千葉県知事選、市長選の投票へいっただけでお篭り。ブルックナー 交響曲第5番変ロ短調WAB.105、ケンペ、ミュンヘンフィル【1975年録音】にて聴きく。ゆったりテンポで情感豊かに謳わせて、重厚なブルックナーサウンドを構築。ケンペだけに木管群の役割が明確だ。特に第2楽章のオーボエ(ゲルノート・シュマルフス)の侘し気な響きは最高。そして弦楽群の第2主題の哀愁感、ケンペとグントナーの息はピッタリ。ケンペの5番は、実に堅牢にして品格の高い5番である。



2021年3月19日金曜日

マーラー 交響曲第3番_レヴァイン

 40年以上にわたってニューヨークのメトロポリタンオペラを率い、世界でも有数のオペラ座にのし上げたジェームス・レヴァインが3月9日にカリフォルニア州のパームスプリングスで死去していたことがわかった。享年77歳。晩年、セクハラ・スキャンダルで評判を落としたが、解雇したメトロポリタンを不当解雇で訴え勝訴している。沈黙していたレヴァインは、今年1月イタリアで復活するはずだった(ベルリオーズ《ファウストの劫罰》、ブラームス《ドイツ・レクイエム》、モーツァルト:交響曲39,40,41番) が、コロナ過でそれもなくなり、そもまま死去。残念。そんなわけで、マーラー 交響曲第3番ニ短調(レヴァイン:シカゴ交響楽団、録音1975年)を聴く。3楽章、ハーセスのポストホルンはいつ聴いても絶品だ。終楽章の極めて遅いテンポは有名。同じCSOのショルティと6分12秒も違う。夜中の3時に聴くにはこのテンポでちょうどいい。



2021年2月23日火曜日

シューマン ピアノ協奏曲_バイロン・ジャニス

 バイロン・ジャニスと言えばラフマニノフ3番の脅威的な疾走。そのすご技は、アルゲリッチやカッチェンをも凌ぐ。なんせ、ホロビッツが自ら弟子に誘った唯一のヴィルトゥオーソ。しかし、今日は、シューマン ピアノ協奏曲イ短調Op.54を聴く。共演は、Ms.Sことスクロヴァチェフスキ、ミネアポリス交響楽団。(1962年録音)マーキュリーレーベルにて、鮮明さは時代を感じさせずやはり素晴らしい。冒頭の有名な「雪崩式ブレンバスター」は、ピアノ・オケともに極めて明確に力強く。第1主題のオーボエも変わらぬ力感をもち哀切というよりも苦悩を感じさせる響き。しかしジャニスのピアノが主題を引き継ぐとそこに憂いが生まれる。その意外な抒情的なタッチに思わず引き込まれる。アルペジオの上手さは流石。ジャニスのピアノは、どの音も一つずつ輝いている。第2楽章、Intermezzo にふさわしい愛らしい主題。オケとの掛け合い、中間部のチェロとの見事なロマンチシズムを奏でる。第3楽章、軽く弾むようなメロディ。ピアノの波打つようなパッセージと、それを彩るオーケストラが絡み合いながら、勢いよく進んでいく。(ある時はピアノのに対し、オケはヘミオラで掛け合いながら)技巧的なパッセージでは、ジャニスのセンスが冴えわる。スクロヴァチェフスキは、ジャニスの良さを十二分に引き出すメリハリの利いた骨太の構築、そして、ジャニスの鍵打に負けない厚みのある絢爛なオケぶりを披露。スカッとする演奏です。



2021年2月21日日曜日

フォーレ レクイエム_アントニー・ウォーカー

 フォーレ「レクイエム」。アントニー・ウォーカー&カンティレイション、シンフォニア・オーストラリスにて。1893年ネクトゥー&ドラージュ校訂版使用。この曲は、ブルックナーの交響曲に負けないくらい様々な版があり、各指揮者も結構バラバラで演奏している。4度録音してるコルボなどは、1回目(72年:聖ピエール=オ=リアン・ド・ビュル聖歌隊)2回目(92年:ローザンヌ声楽)は、1900年第3版、3回目(2005年東京ライブ:ローザンヌ声楽)4回目(2006年:ローザンヌ声楽)は1893年ネクトゥー&ドラージュ校訂版。2度録音しているヘレヴェッヘは、1回目(88年:ラ・シャペル)は1983年ラター版、2回目(2001年:ラ・シャペル・ロワイヤル)は、第3版である1900年版を第2稿の校訂者であるジャン=ミシェル・ネ クトゥーが1998年に手直しした1901年版を使用と、同じ指揮者でも版を変更しているから面白い。通常演奏される第3版とこの1893年ネクトゥー&ドラージュ校訂版は、もっとも言われる違いは、フルオケか室内楽かというところだろう。しかしそれ以外にも多々ある。編成で言えば、TimとHpが意外と違うところで登場する。またLibera Meの"Dies irae" に入る前52小節目のHrのリズム(すべて4分音符)など。譜割りもIntroit 24小節目・テナーのパートソロの5小節目<ここは版によりすべて違うので、ここを聴けば何版かわかる>、Offertoire 58小節目・バリトン・ソロなどなど。さて話が横にそれたが私がウォーカー版で好きな個所は、Offertoireの出だし、弦楽の浮かび上がる鮮明さだろうか。全体を通してウォーカーのテンポ設定は極めて「ゆったり目」。コーラスのアンサブルは成熟度が高く、綺麗に揃っている。ソプラノの声も柔らかく落着きがあり、テナーも変な頑張りがなくて良い。ソロのサラ・マクリヴァー(Sp)は、かなり好きな声だ。透き通って伸びのある高音部、柔らかい低音部。テディ・タフ・ローズ(Br)も力強い声。オルガンとの倍音にもってこいの声だ。次回、この曲の説明は、曲自体について書いてみたいものだ。



2021年2月11日木曜日

モーツァルト ヴァイオリン協奏曲集_シュナイダーハン


 祝日の昼下がり、シュナイダーハン指揮振りによるベルリンフィルとのモーツァルト ヴァイオリン協奏曲全集(5曲)&ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ、ロンド(2曲)を聴いている。(録音:1965&1967年:ベルリン・イエス教会)。指揮振りだけでなくカデンツァもすべて自作。ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョK.261もお気に入り。この曲は、協奏曲第5番の緩徐楽章(第2楽章)の代用の楽曲。もともとこの5番は、ザルツブルク宮廷楽団の楽長であったアントーニオ・ブルネッティのために書かれたが、そのアダージョが、あまり技巧の達者でないブルネッティには無理筋と思ったのか、急拠新しくこのアダージョを仕上げて入れ替えたらしい。ともにアダージョ、ホ長調をとるが、このK.261では、協奏曲全楽章を通じて使われていたオーボエがフルートに替えられている。K.269のロンドは、1番の終楽章の代用としてといわれているが、こちらは定かではない。K.373のロンドは、フルート版もあり(K.Anh.184)ニ長調に移調して作られている。シュナイダーハンの柔らかく温かみのある演奏を満喫。

2021年1月29日金曜日

ブラームス 交響曲第4番_イッセルシュテット

 手兵「北ドイツ放送交響楽団」とハンス・シュミット・イッセルシュテットのブラームス交響曲集より交響曲第4番ホ短調Op.98を聴く(1973.5.21ライブ録音)。彼はこの1週間後の5/28に亡くなっているので、まさに「白鳥の歌」というべき演奏。

冒頭の弱起(4拍目)から揃って始まるヴァイオリンの集中力。テンポは中庸、これと言って甘さもないがこのシンフォニーの持つ「幽愁」さをさりげなく醸し出す。優しい木管が登場するとその香りが更に増してくる。第2主題、舞曲風のメロディーから少しテンポを落とし、低弦の響きが脳裏を支配する(ここ好き)。展開部、徐々に悲劇性を高めながら、弦楽群はむせび泣き終結部へ。
第2楽章、フリギア旋法の朗々としたホルンの響き、その抑圧された雰囲気をクラリネットの経過主題を経て縛りが外れヴァイオリンの音色が一気に解放しくれる。そして旋律的短音階の後に現れるチェロ第2主題の何と美しいことか。これは、のちに再現部で弦楽8重奏として重厚さを増す。第3楽章、2拍子のスケルツォ。イッセルシュテットは、比較的遅めのテンポ決然と進んでいく。そしてトライアングル・コントラファゴットの登場。端正でいて悠々たるもの。それでいて厚みのあるオーケストレーション。白眉の終楽章、バッハ カンタータ「主よ、われ汝を仰ぎ望む」BWV.150の終曲にあるシャコンヌに惹かれ、ロ短調ミサ第17曲「Crucifixus」のホ短調の通奏低音に影響を受け、低声部ではなく上声部に扱うというとてつもない変奏曲(30)を仕上げた。冒頭のトロンボーンの響きは、黙示的だ。第4変奏の悲し気なメロディーがあの有名な第12変奏のフルートソロへと誘う。再現部、トローンボーンが天上に向かって響き安らぎに中でフルートが優しく囁きかける。しかし束の間、再び黙示的な響きが流れると音楽は一変。まるで暗闇に向かって落ちてゆくかのようだ。「運命」の3連符が畳みかける。そしてブラームスは救いを求める我々の意を無視するかのように短調のままこの曲を終結する。隠れ名盤とさせていただきます。

2021年1月23日土曜日

ブラームス 交響曲第2番_ハイティンク

 ハイティンク、コンセルトヘボウ管によるブラームス交響曲&協奏曲集より、交響曲第2番ニ長調OP.72を聴く(1973年録音)。余談であるが、ジャケットにもロイヤルの名が入っているが、正式には、「ロイヤル」の称号がついたのは、1988年。よって録音時<1970-1980年>には、アムステルダム・コンセルトヘボウ管が正しい。その点、レニーのマーラー2回目の録音=1.4.9番はいずれもアムステルダム表記でよろしい。横道にそれたが、これは70年代の最高の2番であろう。馥郁たるヘボウ管の管楽器群が2番のもつ陰陽の色彩の豊かさを十分に表現している。第1楽章、冒頭のまろやかなホルンと凛としたフルートの見事な組み合わせ。それに続く弦楽群のシルキーな美しさ。第2主題のチェロの柔らかな音色。決然とした展開部の緊張感。言うことなし。第2楽章もコンセルトヘボウの良さを堪能できる。速度はもう少し遅いのが好みだが、下降旋律のチェロの憂愁感。孤高のホルン。会話のような第2主題の木管と弦楽の受け継ぎ。それぞれの役割の明確さが伺える。第3楽章、純朴なオーボエ、優しいチェロのピチカート。テンポが倍加した時のゆるみのないアンサブル。見事。終楽章、低弦の厚みを膨らませながら中庸のテンポで進んでいく。金管群はどこまでも品性を保ち、木管群は色彩豊かに、ティンパニーも出しゃばらず、エンディングも過度なアッチェランドをせず、ハイティンクの統率力と堅牢さが滲み出る一枚。



2021年1月12日火曜日

メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」_ミュンシュ

メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調Op.56「スコットランド」、ミュンシュ:ボストン交響楽団(1959年録音)にて聴こう。第1楽章、序奏、ミュンシュとしては予期せぬ哀愁感。深みをもち表情豊かに謳いあげる。しかし、一旦ドラマチックの至芸に達したミュンシュは止められない、グイグイとテンポをあげながら進む。低弦群の圧が攻撃性の度合いを増す。しかしときおり出てくる木管の悲哀はくっきりと浮かび上がるから不思議だ。コーダに至ってはもう嵐そのもの。どうおとしまいをつけるのか?なるほどやはりそこまでテンポを落とすか。
第2楽章も快速。ペンタトニックのクラリネットに合わせて疾走してゆく。ティンパニーが少しついていけず。しかしミュンシュはお構いない。一気呵成の高速カウンター。
第3楽章、歌謡的なヴァイオリンが優しく歌う。しかしテンポは速めで感傷的ではない。第2主題からは決然とした男らしさが滲み出る。ティンパニーがミュンシュのドラマチック性を盛り上げる。
終楽章、冒頭の低弦の残響が耳に残る。そしてグイグイ感のテンポ。心象風景を吹き飛ばす筋肉質なオーケストレーション。コーダは堂々した入りから、想定通りの武闘派な締め。賛否はあるだろうが、「スコットランド」のイメージを覆すミュンシュ親分の魅力たっぷりな1枚。


2021年1月2日土曜日

ブラームス 交響曲第1番_コンヴィチュニー

 恒例、年初の1発目視聴はこれ。ブラームス 交響曲第1番ハ短調Op.68。今年は、コンヴィチュニー、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管(1962年録音)にて。その揺るぎない歩み、決して煽らず、焦らず、堂々たる王者の風格。こうした王道にて1年を過ごしたいものである。