2016年7月31日日曜日

ドイツ・レクイエム 13


月に1度は聴きたくなるブラームス「ドイツ・レクイエム」シリーズ。第13回目となります。
①クレンペラー②サバリッシュ③ヤルヴィ④ジュリーニ➄セル⑥コルボ⑦アーノンクール⑧ケーゲル⑨ロバート・ショウ⑩アクサンチュス⑪コッホ⑫ヘレヴェッヘ。
今朝は、シノーポリ:チェコフィル&プラハフィルハーモニー合唱団(1983年録音)。ソプラノ:ルチア・ポップ、バリトン:ヴォルフガング・ブレンデルです。
たぶん、シノーポリのブラームスはこの「ドイツ・レクイエム」しか録音が残されていないのではないだろうか?
若きシノーポリ(30代)の名盤の一つといえよう。
美しいチェコフィルの弦楽群、見事なコーラス、ルチア・ポップの哀愁に満ちた歌声が嬉しい。
シノーポリのp、ppを特に大事にした演奏は随所に現れ、テンポを動かしながらの慈愛へのこだわりを見せる。そのため第1曲・終曲はゆったりとしたテンポでコーラスに大事に歌わせている。
そのこだわりの最たるものは第4曲に現れている。そのテンポは極めて遅い。通常5分ちょい程度のところ7分30秒もある。かのジュリーニ先生ですら6分10秒(VPO:1987年)、チェリビッダケ爺さんも6分3秒(MPO:1981年)であることを思えば、いかばかりかである。心安らぐ舞曲を朗々とである。
実に面白い!

2016年7月30日土曜日

ベーム バイエルン放送響の爽演_グルダとのMOZART:ジュノム

今朝の一枚は、大のお気に入りのベーム:バイエルン放送響のLIVE盤です。(1969年:ミュンヘン宮殿ヘラクレスザールLIVE)
これは、両演奏とも外せない名演である。
まずは、9/30のグルダとの共演。
モーツァルト ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 k.271「ジュノーム」。
グルダ、ベームは、滅多にお目にかかれない。そして、何よりグルダの9番は、私にはこの一枚だけという貴重かつ神聖な一枚である。ベームらしいゆったりとしたテンポの第1楽章冒頭のオーケストラの主題に導かれ、グルダの極上の美音が始まる。ベームの伸びやかで明るい演奏が、グルダのピアノを引き立てます。そして一音一音、確信に満ちたグルダのタッチに陶然とする。
第二楽章は、白眉。深く沈みこんだ翳りの中に見える一点の「光」を求めて彷徨うモーツァルトの心の奥底に沈む<悲しみ>をかくも繊細なタッチで表現しつくすグルダの天才性を垣間見ることができる。
そして、10/2のブラームス 交響曲第1番。
ベームの1番は、私には1959年のベルリンフィルとのスタジオ録音が何といってもNo.1であるが、こちらのLIVEもその高揚感は素晴らしいものがある。ベームのライブでみられる野性味溢れる部分を思う存分味わえる爽演。録音がもう少し良ければ・・。
弦楽群も金管群もそのパフォーマンスを思う存分発揮しており、とにかく「鳴る 鳴る」。この終楽章を生で聴いていたら度肝を抜かれ昇天したに違いない。


2016年7月24日日曜日

ブルクッナー 交響曲第3番 第1稿_インバル

ブルックナー 交響曲第3番 ニ短調。
エリアフ インバル:フランクフルト放送交響楽団で聴こう。
(1982年録音:第1稿)
「ワグナー交響曲」と呼ばれるに値する1稿にもかかわらず、ジャケットに「ワグナー」の文字なし。
ワルキューレ、タンホイザー、パルジファル、幾つものワグナーの引用を織り込んでいて、これかと見つけるのが楽しい。
特に第2楽章のタンホイザーの伴奏からのローエングリンの「エルザの大行進」のモチーフと思われるところなど、一番の聴きどころであろうが、それよりも第一主題の繰り返しの美しい旋律を聴くにつけ、第1稿いいなぁと思う。だから3番はこのAdagioだけを聴くことも多々ある。今日はじっくり丸ごと聴いてみよう。


2016年7月23日土曜日

クリップスのチャイコフスキー NO.5

今日の一枚。
チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調 Op.64 
ヨーゼフ・クリップス:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団。
(1958年録音)
まずは、このジャケットがお洒落で好きです。
当盤には、ロシア的な匂いは微塵もありませんが、オーケストラが非常に綺羅びらかでお気に入りの一枚です。
ウィーンフィルの弦の美しさとホルンの響きを十分に堪能できるところがいいです。
ピチカートに現れる豊かな表情や少しのポルタメントなどウィーンフィルらしさが随所に登場します。
特に第2楽章がいいですネ。
ホルンソロの素朴な音。チェロのまろやかな歌いっぷり。「運命動機」のトロンボーンの割れっぷり。剛と柔の変化。楽しいですネ。
第3楽章のワルツは、まさにウィンナワルツ。弦楽群と木管群との連携も見事。これがお洒落とか粋というやつかな。
フィナーレは、ワザとらしい煽りもなく、雄渾な響きと歌を重視した演奏といえよう。トランペットもホルンの決して高圧的でなく流麗な推進力の中を滔々と燃え上がります。
こんな5番もあっていい。いや、やはり知る人ぞ知る名盤なのだろう。


2016年7月22日金曜日

徹夜祷


今夜の音楽。ロシア正教会の奉神礼音楽である
ラフマニノフ 「徹夜祷作品37」を聴く。今夜の「徹夜祷」は、ポリャンスキー盤(1986年)ではなく、少し合唱っほさが強い、2000年録音のイェウヘン・サブチュク 指揮ウクライナ・ナショナル・カペラ 「ドゥムカ」 で聴く。
当該CDは、「聖金口イオアン聖体礼儀作品31」「たゆまず祈る聖母」「精霊たちの合唱」「治療者パンテレイ」ポリャンスキー:ロシア国立交響カペラ という作品もカップリングされている。
「徹夜祷」は、以前にも書いたが知る人ぞ知る名曲である。
ラフマニノフといえば、誰もが当然「ピアノ・コンチェルト!」だが、それ以上の美しさがこの曲にはある。
まさに合唱曲の至宝!
(ラフマニノフ自身の葬式の曲に第5曲「「主よ今汝の言葉に従い」を希望しました。)
この第5曲、アルトとテナーが揺れ動くような和音を反復する中、悲哀をこめたテナーソロが歌いだす。やがて、そのメロディーはバスから対位法的に積み上げられ、今度は逆にソプラノから下声部に向かつて順次重ねられ、拍子記号が小刻みに変わりながら、再び、テナーソロが加わり、バスが見事な全曲の最低音である単一の変ロ音のオクターブ配置で閉じられる。
この最低音、ロシア人しかできない!!と思う。
ぜひ一度聴いていただきたいと強く思います。

2016年7月18日月曜日

マーラー 交響曲第1番_イッセルシュテットのTAHRA盤より


今朝の音楽。
イッセルシュテット:北ドイツ放送交響楽団によるTAHRA盤。
Vol.1は、ブルックナー 4番と7番、Vol.2は、マーラー 1番と4番。
Vol.1は、以前紹介させていただきました。
http://mozartgogo.blogspot.jp/2015/07/47.html に掲載)
今朝は、Vol.2 マーラー交響曲第1番(1969年ライブ録音)について一言。
第1楽章・・・優しく温かみのある音。深き森で聴いているような安心感と安らぎを感じることができます。
第2楽章・・・驚くべき遅いテンポです。オスティナート・リズム、史上最も遅い演奏ではないでしょうか。(9:38)
低中音域重視の作りこみで全く違った表現が味わえます。
第3楽章・・・フレール・ジャックのメロディも極めてスローなテンポでスタートする。ハープの弾きが印象的で、中間部では強くボヘミアンな匂いのする演奏で面白い。
第4楽章・・・NDRの弦楽群の堂々たる弾きぶり。フィナーレまで、決して逸らず音色に重きを置くイッセルシュテットならではの大人の演奏。
60年代のマーラーの演奏は、面白いものが多い気がします。
4番だけ、モノラル録音ですがこれも素敵な演奏です。
また機会があれば触れたいと思います。

2016年7月15日金曜日

ひとりシューマン シンフォニー・チクルス



今夜は、ひとりシューマン シンフォニー・チクルス。
これぞ名全集と呼びたいサバリッシュ:シュターツカペレ・ドレスデン(1972年:ドレスデン ルカ教会での録音)。言わずと知れた、ペーターダムのホルンの響き、ゾンダーマンのティンパニーの好打撃。ルカ教会の残響。端麗にして芳醇なサバリッシュの構築力。シュターツカペレ・ドレスデンの低重心の弦楽群と彩のある管楽器群は、抜群だ!
そういえばザンデルリンクとブラームス交響曲全集を録音したのとほぼ同時期なんだなぁ。納得!!
1曲1曲は、名盤と呼ばれる演奏が存在するが、シューマンを通して聴くなら、やはりこのサバリッシュ:シュターツカペレ・ドレスデンかコンヴィチュニー:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管ではないだろうか。

2016年7月10日日曜日

マーラー 交響曲第6番_バルビローリ

今日の一枚。
マーラー 交響曲第6番 イ短調。バルビローリ:ニューフィルハーモニア管(1967年8月Live録音)。バルビローリとニューフィルハーモニア管には、1967年に2つの録音があるが、こちらはLIVE盤で、第2楽章Andante、第3楽章にScherzoとしている方だ。
バルビローリは、BPO(1966)、ニューフィルハーモニア(1969)でもこのAndante、scherzoの順をとっている。
第1楽章、独特のスローテンポで入る冒頭のおぞましい音は、まさにバルビローリ盤でしか味わえない息をのむ瞬間だ。そしてこれがまた癖になる。カウベルの音も独特。
第2楽章、Andanteは、バルビローリらしい美しさと愛情あふれる演奏だ。カウベルが響くころには、もう泣いています。
第3楽章、scherzo。バルリローリのおぞましい弦のはじきは、Andanteを挟むことで生きるのかもしれない。
第4楽章、極めて重厚なスケールの大きな演奏といえよう。
6番としては、異様の一枚であるが、捨てがたい一枚といえよう。

2016年7月9日土曜日

フォーレ レクイエム


昨日は、会社の人事異動による送別会があり、5名を送り出し、終電ぎりぎりの午前様でした。でも4時過ぎ、普段通りの時間に目が覚めてしまう悲しい性(サガ)。
そんなわけで今朝の一枚。
フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮アンサンブル・ミュージク・オブリク/シャペル・ロワイヤルcho & サン=ルイ少年合唱隊、アニエス・メロン(S)、ペーター・コーイ(B)による、フォーレの「レクイエム」(1988年録音)。
こちらは、Ⅱ版と言われている1893年版である。Ⅰ版の五曲プラス二曲(②オッフェルトリウム⑥リベラ・メ)計七曲。
ヘレヴェツヘは先ず41歳にこのⅡ版にて録音をしている。
「ドイツレクイエム」に負けず劣らずよく聴くフォーレの「レクイエム」であるが、「ドイツレクエム」のように数多くの演奏を保有しているわけではない。
Ⅲ版(オーケストラ)によるクリュイタンス、コルボ、Ⅲ版(オルガン伴奏)によるマルムベルク:スウェーデン放送合唱団。そしてⅡ版(室内楽曲版)のネクトゥー&ドゥラージュ版によるこちらのヘレヴェッヘとエキルベイ:アクサンチェスほど。
その中で、とりわけ絶品と思っているのが、こちらヘレベッヘ盤。
古楽の一人者アニエル・メロンのソプラノの歌声がまず素晴らし。ほぼノンビブラートの伸びのある透明感溢れるその美しさは圧巻。ピエ・イエズはこうして歌う曲というお手本であろう。
コーラスの純度も高く、室内版でのヴァイオリンのソロやハープの音は極めて効果的になっている。
今朝は少し涼しいようで、書斎の小窓から少しヒンヤリした空気が流れ、いっそうこの曲を聴くのに嬉しい空間です。



2016年7月3日日曜日

ドイツ・レクイエム 12

月に1度は聴きたくなるブラームス「ドイツ・レクイエム」シリーズ。第12回目となります。
①クレンペラー②サバリッシュ③ヤルヴィ④ジュリーニ➄セル⑥コルボ⑦アーノンクール⑧ケーゲル⑨ロバート・ショウ⑩アクサンチュス⑪コッホ。
今日は、フィリップ・ヘレヴェッヘ:シャンゼリゼ管弦楽団、シャペル・ロワイヤル、コレギウム・ヴォカーレです。(1996年Live録音)
ヘレヴェッヘが創設したシャペル・ロワイヤル、コレギウム・ヴォカーレ両合唱団を総動員しての録音。コーラスの美しさ、柔らかさ、温かみは、どれにも引けを取らない素晴らしさ。
ピリオド楽器による演奏である。弦楽は、両翼ヴァイオリン、左チェロの19世紀型古典配置である。管は倍管もアシストもない純粋な2管編成。透明度の高いオーケストラの響きと合唱の驚異的な美しさに感嘆。残響もちょうどいい!
バリトン:フィンリーの声も柔らかくて好きな声、ソプラノ:エルゼは、優しい透明感のある美声。
第6曲:大フーガの迫力も圧倒的。
ドイツレイクエムの美しさを知らしめる名盤としてお勧めしたい一枚です。

ブラームス 交響曲第2番_ジュリーニ/ロスフィル
























ゴルフ疲れで夕寝をしたせいか、こんな時間に元気溌剌。
今日の一枚。
ジュリーニは、フィルハーモニア管・ウィーンフィルとの全集やシカゴ響とのセッションなど多くのブラームス・シンフォニーがありますが、今日は、ロスアンジェルス・フィルによる「ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 Op.73」(1980年録音)です。
以前、「クラシックを聴こう!」グループでクイズとして出題しました数少ない第1楽章提示部繰り返し演奏をしています。
(クイズはウィーンフィル盤の3名の指揮者で出題でした)
第1楽章の最長録音(22:31)が、このジュリーニ:ロスフィルでしょう。しかし、ジュリーニもフィルハーモニア、ウィーンフィルでは提示部繰り返しをやっていません。
さてこちらの演奏は、一大叙事詩のような2番といえるでしょう。朗々としたジュリーニ節満載です。全編美しく明るいサウンドで貫かれており、ドイツ的でもブラームス的でもありませんが、ロスフィルは、バランスの良い濁りのない美しい演奏をしてます。さすが、覆面コロンビア交響楽団の伝統を受け継いでいるだけありますね。

2016年7月1日金曜日

ブルックナー 交響曲第6番_カイルベルト

今日は、早く帰ってきたのでゆっくり音楽の時間を楽しめます。
敢えてのブルックナー 「交響曲第6番 イ長調 」カイルベルト:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1963年録音)。
よほどのブルファンでなければ聴かないのが6番ではないか。
第1楽章、低弦のテーマから始まり金管が炸裂する冒頭には、一種のワクワク感がある。実にメリハリの効いた演奏。ベルリンフィルの重厚な音質を見事に発揮させ、それでいて「帝王」のようなしつこさや諄さがない。溌剌とした展開の中、往年のベルリンフィルの金管の響きがまたいい。
白眉は、第2楽章Adagioの深淵なる美しさにある。重層的な音の切り貼りが紡ぎだす幸福感を、さりげなく作り出すカイルベルトの手腕に脱帽。
第3楽章スケルツォは、勇壮さと管弦楽のもつ音色の多彩さを余すところなく聴かせてくれる作品ではないだろうか。カイルベルトは、その一つ一つが「浮いて」聴こえないというかバランスよくつなげているところが流石だと思える。
第4楽章は、重厚な推進力の中でも、弦楽の美しさを失わず、濁りのない演奏といえるだろう。
やはり、この時代のカイルベルトやケンペの振るベルリンフィルはいいなぁ。