2016年10月30日日曜日

シューベルト「グレイト」_コンヴィチュニー:チェコフィル


昨日の登山で雄大な景色を眺めたのが影響しているのか、今朝は無性に「グレイト」が聴きたくなった。
今朝の一枚。シューベルト 交響曲第9番{ザ・グレイト}。
(@最近は8番となっていることの方が多いですが、CDの記載通り9番とさせていただきます。:私が持っているものは旧いものが多いのでだいだいが9番ですが・・)
演奏は、コンヴィチュニー指揮:チェコフィルハーモニー(1962年:ステレオ録音)の名演。何故、初演をした手兵「ゲヴァントハウス管」との録音がないのか不思議であるが、チェコフィルも良い良い。冒頭のホルンは、この時代だとミロスラフ・シュテフェックであろうが、いい響きである。そしてビロードにくすみをかけたようなチェコフィルの弦楽群も味がある。激情的にならず爽快感のある「大人の」コンヴィチュニーの演奏だ。大好きな2楽章Andante、第3楽章Scherzo、木管群の巧さも手伝い、コンヴィチュニーの「中庸」のテンポと強弱がメリハリを生み安心して聴いていられる。
フィナーレも淡々と進んでいくが、「慌てす騒がずの」テンポに、コンヴィチュニーのシューベルト観を嗅ぎ取ることができる。思い切りロマンティシズムを排除したことで、浮かび上がるものがある。そんな演奏だ。

2016年10月23日日曜日

ブラームス ピアノ協奏曲第1番_カッチェン

今日の一枚。カッチェンによるブラームス ピアノコンチェルト。
1番は、モントゥー:ロンドン交響楽団(1959年録音)、2番はフェレンチク:ロンドン交響楽団(1960年録音)。
「カッチェンといえばブラームス、ブラームスといえばカッチェン」なのだが、意外にデビューは「モーツァルトのK.466」らしい。といっても10歳の時なのだが。その素晴らしさに、オーマンディ、バルビローリと立て続けに、10歳のカッチェンと23番の演奏をしたそうである。
さて、今日はモントゥーを迎えての1番を紹介したい。(カッチェンはブール、コンヴィチュニーとも録音している)
出だしから男気溢れるのモントゥー(83歳)の音作り。それに負けない若さと情熱溢れる32歳のカッチェンの硬質なピアノは圧巻。独特のルバートと予想以上の鍵打。弱音やアルペジオの柔らかさ。こうあるべしという言葉しか見つからない。
それにしてもモントゥー爺さんの迫力は凄まじい。これは24歳のブラームスの作品なのだ。この爺さんには、やはり老齢という言葉は存在しないのだ。
カッチェンの白眉は第2楽章。決して甘ったるくならず、ブラームスの精神性と相対するクララに対する真っすぐな情感を上手にとらえている。だからカッチェンのブラームスはやめられない。モントゥーの重すぎないサポートもさすがだ。
終楽章のピアノから始まる一気呵成のロンドはカッチェンのリードでテンポが刻まれる。第一副主題でのチェロとの掛け合い、第二副主題の弦楽の美しさが堪らなく好きだな。
そんなわけで、2番はまたの機会に・・・。


2016年10月22日土曜日

R.シュトラウス_4つの最後の歌

今日の一枚。シュワルツコップの「R.シュトラウス歌曲集」より
<四つの最後の歌>。
歌唱力が素晴らしいヤノビッツを聴くために、しょうがなく唯一持っているカラヤン盤と当該セル:ベルリン放送交響楽団(1965年録音)は、双璧をなす不滅の演奏であろう。
私の好みは、ヤノビッツの声なのだが、今日はシュワルツコップで。二羽の「雲雀」はフルートにより表現され、最後には深い夕映えの中に静かに高らかに天に昇っていきます。いずれにしてもアイヒェンドルフによる理想の死が、死を間近にしたシュ
トラウスにより美しくも儚く表現されています。



シューベルト 八重奏曲



秋の夜長の一枚。シューベルト 「八重奏曲 へ長調 D.803」。
シュナイダーハン弦楽四重奏団+オットー・リューム(コントラバス)レオポルド・ウラッハ(クラリネット)ゴットフリート・ファン・フライベルク(ホルン)カール・エールベルガー(ファゴット)<1948-49年録音>。
錚々たる面々での名盤。録音は古いが、往年のスタープレーヤーが織りなす、味わいのある演奏。

2016年10月16日日曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第11番_ゼルキン

今日の一枚。ゼルキンによるモーツァルト ピアノ協奏曲11番・12番・16番・17番 収録の一枚。
11.12_シュナイダー;マルボロ音楽祭管弦楽団。16_シュナイダー:コロンビア交響楽団、17_セル:コロンビア交響楽団(実は、クリーヴランド管弦楽団といわれています)。(1955-57年のもの)。
ゼルキンは80歳を越えて80年代にアバト:ロンドン交響楽団でピアノ協奏曲集を録音していますが、こちらは、脂の乗り切った50歳代の演奏。盟友アレクサンダー・シュナイダー、巨匠ジョージ・セルのバックアップによる演奏です。
今日の紹介は、11番 へ長調 K.413。
社交的な明るさと華麗さを持ち合わせたこの曲の第1楽章、少しフライング気味に登場するピアノの可憐な響きをゼルキンは柔らかいタッチで弾いてくれてます。短調部分は、少し打鍵を強くし切迫感のある響きでこの曲の色彩感をうまく表現しています。
緩徐楽章では、子守歌のような優しいメロディに合わせ、ゆったりとした中にも強弱の使い分けをしっかりし、特にフォルテピアノにおけるアクセントを大事に弾いています。このあたり、ゼルキンもモーツァルトが好きなんだなぁと思う。
終楽章、まず驚くのはオーケストラのポリフォニックな主題です。モーツァルトは通常ピアコンの終楽章はAllegroやAllegrettoによる飛び回るような曲想と高揚感のあるメロディで始めます。それは27番まで続いています。映画「アマデウス」に使われた15番や22番などはその典型かと。その中でこの11番の異質さに耳を奪われます。緩徐楽章の続きのような優しさと幸福感に包まれています。
ちなみに、指揮のアレクサンダー・シュナイダーは、ブダペスト弦楽四重奏団のセカンド・ヴァイオリンです。
ゼルキンは、この終楽章が持つ「やすらぎ」「くつろぎ」といったモチーフの中でモーツァルトが一瞬見せる「孤独感」をよく感じ取っていると思う。(149小節~164小節部分:ここが滅茶苦茶好きです)やはり、ゼルキン!!モーツァルトが好きなんだなぁと思う。


2016年10月7日金曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第25番_ハイドシェック

3連休前の金曜日は、「クラシック三昧」で。
まずは、モーツァルト ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K.503から。
ピアノは、ハイドシェック。ヴァンデルノート:パリ音楽院管弦楽団(1961年録音)です。
このコンビは、全集を見かけたことがなく、9.12.18-27番と、バラバラと持っています。ハイドシュエック、20代中頃の若々しい自由闊達な演奏だ。それを、巨匠ヴァンデルノートと明るい音色のパリ音楽院管(1967年解散、後のパリ管)が支える。
さて、名曲ひしめくモーツァルトの20番台のピアノコンチェルトにおいて、影が薄い25番を敢えてチョイス。
実は、「ジュピター協奏曲」と渾名されており、実に壮麗なファンファーレで始まり、非常にシンフォニックな曲調なのである。
ハイドシェックは、この第1楽章のもつ華やかさと軽やかさを爽やかに弾いているが、一音一音が実に「堅音」である。それが、この曲の格調高さに合っているような気がする。
堂々としたファンファーレで始まる曲も、そう!過ぐにお得意の短調(ハ短調)が登場。そして案の定、短調と長調の間を行ったり来たりする。でもその中で、第二主題のピアノの可愛いらしいこと。この1楽章で見せるモーツァルトの心の振幅には驚かされます。
白眉は「展開部」。主題を1音ずつ上げながら、ピアノ、ファゴット、オーボエ、フルート、弦楽と入り乱れてのポリフォニー。圧巻。第2楽章は、安らぎの極致。満たされた眠りから醒めた時に味わう「心の落ち着き」を与えてくれるそんな緩徐楽章である。
ハイドシェックの語りかけてくるような音の響きが良い。
第3楽章は、明るく晴れやかなロンド。ハイドシェックの強弱の巧さ、流れるようなパッセージに付加された装飾音の軽やかさが光ります。今夜はこの一般的には影の薄い、隠れた名曲からスタート。

2016年10月1日土曜日

マーラー「復活」_テンシュテット:北ドイツ放送交響楽団Live

満を持してテンシュテット:北ドイツ放送響 1980年9月29日LIVEによるマーラー 交響曲第2番 「復活」を聴こう!!
ソリストは、エディット・マティス(s)とドリス・ゾッフェル(ms)。
これほどデモーニッシュな「復活」は、他に類を見ないであろう。
この演奏は、ご存知の方はわかると思いますが「私」は土曜日でなければとても聴けない。それほどの緊張と感動を伴う90分間の凄演。

ドイツ・レクイエム 15

月に1度は聴きたくなるブラームス「ドイツ・レクイエム」シリーズ。第15回目となります。
①クレンペラー②サバリッシュ③ヤルヴィ④ジュリーニ➄セル⑥コルボ⑦アーノンクール⑧ケーゲル⑨ロバート・ショウ⑩アクサンチュス⑪コッホ⑫ヘレヴェッヘ⑬シノーポリ⑭クーベリック
第15回は、バレンボイム指揮ロンドンファイル+マティス&フィッシャーデュスカウ(1972年録音)。バレンボイムは、後年、シカゴ交響楽団・合唱団、ジャネット・ウィリアムズ、トマス・ハンプソンとの演奏もあるが、貫禄のソリストということで、こちらを選択。バレンボイム盤は、どちらもたっぷりと歌わせる構成となっている。特に第1曲。遅すぎるという批評もあるが、私は決して気にならない。合唱も美しい。(テノールには少し難があるが)。
第2曲は、ティンパニーが印象的だ。もともと変ロ短調で極めて深刻に始まるが、So seid nun geduldig, lieben Brüder,から変ト長調へ。この部分の優しさが堪らなく好きだ。第3曲、フィッシャーデュスカウはさすがだ。まるで歌曲風の哀歌を聴いているようだ。答えの得られないもどかしさを見事に表現している。第5曲、マティス30代の歌声は、実に美しく透明感がある。フィッシャーディスカウ、マティスといえば、バッハの教会カンタータを思い浮かべる人も多いだろう。ドイツレクイエムにおける、この二人の競演は、貴重だ。
第6曲、大フーガへ至るまでの抑揚と盛り上げは合格点をあげたい。
バレンボイムの几帳面さと歌心がにじみ出る演奏である。