2016年12月30日金曜日

第九_フルトヴェングラーより


本日仕事仕事納めでした。
やっとゆっくり年末の第九が聴けます。
やはりフルトヴェングラーの白鳥の歌とも言うべき「第3楽章」をもつ1954/8/22のルツェルンの第九(フィルハーモニア管)でいきたい。
とにかく第九は第3楽章が好きでたまらない。
冒頭、クラリネットとファゴットで始まる導入部、チェロのGESの音でもう参ってしまうのだ。「伝七捕物帳」ならぬ「減七とりこ調!!」。
その後のヴァイオリンのメロディ(第一主題)の何と美しいことか。そして、ここもチェロの裏の動きがうっとりさせる程いいのだ。
(第二主題)は、あろうことか第2ヴァイオリンとヴィオラがメロデイーラインを奏でる。この中庸の音色がまた心を惹きつける。このあと第1ヴァイオリンに引き継いだところからは変奏部へ。おっとそうこうするうちに、ファンファーレが来ました。もうすぐ第4楽章へ向かいます。長くなりそうなので、このあたりで、書くのは止めて、曲に没頭してまいります。それでは!!

2016年12月25日日曜日

モーツァルト 交響曲集_ペータ・マーク

今日は、年賀状を作成中です。
聴いている音楽は、ペータ・マークのモーツァルト 交響曲集。
オーケストラは、イタリア・ヴェネト州のパドヴァを本拠とする室内オーケストラ「パドヴァ・ヴェネト管弦楽団」。
今、聴いているのは大好きな38番ニ長調 K.504「プラハ」。
こちらは、30番台~41番までの録音集ですが、ペータ・マークのモーツァルトは秀逸です。
「プラハ」は、少し重苦しいAdajioの序奏から始まります。変ロ長調→ト短調→イ短調→ニ短調と変化しながら進む不安と緊張の重厚な響きをマークはじっくりと聴かせます。「ドン・ジョバンニ」を予感させるメロディ。ティンパニーの効果的なアクセント、木管群の
サポート。その後に続くアレグロの爽快さとのメリハリ。マークは、楽譜より幾分余分に強弱をつけることで、室内楽のひ弱さを十二分に補っているのであろう。それが非常に分厚い響きになっているから不思議だ。
おっと年賀状やんなきゃあ!!
マークのモーツァルトは、クセがあるかもしれないが、一度聴くとまた聴きたくなる、そんな演奏だ。
39番もいいのだ。あっ年賀状!年賀状! それではまた・・・


2016年12月23日金曜日

ドイツ・レクイエム 18

月に1度は聴きたくなるブラームス「ドイツ・レクイエム」シリーズ。第18回目となります。クリスマスが近かろうが、何といっても「ドイツレクイエム」で貫きますぞ。
①クレンペラー②サバリッシュ③ヤルヴィ④ジュリーニ➄セル⑥コルボ⑦アーノンクール⑧ケーゲル⑨ロバート・ショウ⑩アクサンチュス⑪コッホ⑫ヘレヴェッヘ⑬シノーポリ⑭クーベリック⑮バレンボイム⑯レヴァイン⑰ケンペ
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第18回目は、マゼール最初の録音:フィルハーモニア管との「ドイツレクイエム」です。イレアナ・コトルバス(S)、ヘルマン・プライ(Br)(録音:1977年)。
マゼールは、最後の来日(ミュンヘンフィル)でサントリーホールで演奏を聴いた忘れられない巨匠です。
そういえば、マゼールの聖ミカエル教会での追悼演奏は、ミュンヘン・フィルと以前に音楽監督をしていたバイエルン放送交響楽団の合同で、ゲルギエフ指揮のもとブラームスの「ドイツ・レクイエム」演奏されましたね。
さてこれは、かなりの名演奏と言って過言ではない。マゼール40代後半のドイツレクイエムは、虚飾を排除しコーラスとオーケストラの見事なバランスの中、無理に細部にこだわることなく、神聖な祈りを捧げるという構築がなされている。
コーラスも素晴らしい、ヘルマン・プライの淡々としたモノローグもそれでいて説得力をもつ。うーんいい声だ。プライほど、悉く「ドイツレクイエム」の名盤に登場する歌手もいないのではないだろうか。クレンペラーから始まり、シューリヒト、アンセルメ、チェリビダッケ、クーベリック、ブーレーズ、そしてマゼール。
コトルバスのソプラノは、柔らかく美しい。クライバーの「椿姫」のヴィオレッタを思い出しました。


2016年12月17日土曜日

チャイコフスキー 交響曲第5番_ケンペン

全集物以外の単独交響曲のCDで2番目に保有数が多いのが、何故か「チャイコフスキーの5番」である。
(1位はブラームスの2番)
今日は、その中からケンペン:アムステルダム・コンセルトヘボウ管を紹介したい。(1951年録音)_<この時代は、アムステルダムでした。ちなみにロイヤルが冠されたのは、1988年です。>
さて、ベイヌムが常任指揮者のころですが、前任のメンゲルベルクの十八番といえば、この5番があるためベイヌムは遠慮したのか、確か録音はないだろうと思われます。

しかし同じオランダ人で、ドイツで活躍していたケンペンが見事な演奏を残してくれていました。
この演奏、メンゲルベルクと同じく、第4楽章の大胆なカットがビックリさせられるでしょう。とにかくケンペンの男気溢れる爽快な5番は他の追随を許さないのでは。
金管群の限界の咆哮、ティンパニーのド迫力、弦楽群のこの時代特有のポルタメント、ピチカートの強めのリズム。第1楽章から圧倒されてしまいます。

第2楽章のアンダンテカンタービレは、重厚な弦楽群の中から浮かび上がるホルン、それを受け継ぐオーボエの音にうっとり。そしてまたトゥッティ部分のトロンボーン、ティンパニーに登場とのメリハリがたまりません。
終楽章の圧巻のコーダ。誰もが指摘するようにまさに重戦車の如く、駆け抜けていく(そのための再現部手前の大胆な100小節超のカット_210~305小節まで)。
そしてメンゲルベルク同様(セルも)の後半部でのシンバル。しかし、1回ではなく2回!!
これは、個人的には貴重な5番の一枚ですね。


2016年12月10日土曜日

ブラームス ヴァイオリン協奏曲_シゲティ

夜中の3時。こんな時間からまたまたブラームスを聴く。
今夜は、シゲティ:オーマンディ+フィラデルフィア管弦楽団による
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61。(1945年録音:MONO)
しかし意外と録音は良いのだ。シゲティは、カップリングのベートーヴェンとブラームスの協奏曲を3度録音しているが、こちらはともに2度目のもの。ちなみに、一度目は、ハーティ:ハレ管弦楽団(1928年)そして、3回目は賛否両論のメンゲス:ロンドン交響楽団(1959年)である。
シゲティ、オーマンディともにハンガリー出身のフバイ(ヨアヒムの弟子)門下である。そう、オーマンディは20歳で王立音楽院ヴァイオリン科主任教授をするほどヴァイオリンの天才でもあります。さて、もしメンゲスとの59年の老齢のシゲティがシゲティらしい演奏と評されるならば、この演奏は幾分らしさがないとも言える。
しかし、50代の脂の乗ったこの時期が本当のシゲティともいえる。この演奏には、強すぎる指圧による「掠れ」を伴う独特の音色は見られない。深みのある音色に時折見せるルバート。そこには、カントロフやグリュミオーのような甘美さはないが、胸を締め付けられる響きがある。ちょっと第2楽章では涙も出てきそうです。また、サポートするフィラデルフィア管がすばらしい。特にオーボエ協奏曲を思わせる出だしをもつ第2楽章、ジョン・デ・ランシーのオーボエ(R.シュトラウスにオーボエ協奏曲を催促し作曲させた人物)と名手メイソン・ジョーンズのふくよかなホルンも聴ける。そこにシゲティのすすり泣きのヴァイオリン。贅沢の極み。昭和20年当時の敵国は戦争のさなか、このような芸術に溢れていたのだと思うと感慨深いものがある。愛すべき一枚。ワルターとのベートーヴェンは後日。


2016年12月3日土曜日

マーラー 交響曲第2番「復活」_ケンペ

ケンペ:ミュンヘンフィルによる「マーラー 交響曲第2番<復活>」ニュー・フィルハーモニア合唱団、シーラ・アームストロング(ソプラノ)アンナ・レイノルズ(アルト)(1972年:ロイヤルアルバートホール LIVE)を聴こう。
実に芳醇な響きと乱れぬアンサブル。
愛すべき第2楽章のオーケストレーションの面白さを十分に伝えてくれる一枚。3楽章の強めで明確なピチカートも面白い。4楽章、レイノルズの艶やかな歌声もいい。終楽章は、変に深刻ぶらず、それでいて迫力をもつ爽快な賛歌のようだ。実に深みのある音色のマーラーではなかろうか。