2020年12月31日木曜日

R.シュトラウス メタモルフォーゼン_ケンペ

 今年の締めの曲は、R.Strauss「メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作」。今年の世界情勢を振り返ると締めはこの曲しかない気がする。演奏は、ケンペ;ミュンヘンフィル(1968年ライブ録音)。フルヴェン(1947)コンヴィチュニー(1955)クレンペラー(1969)バルビローリ(1969)カラヤン(4回目1969)ケンペ;ドレスデン(1973)オーマンディ(1978)など数々の名盤・名演があるが、これが一番のお気に入り。濃厚な弦楽群の音色、それでいて感情抑制的なケンペの棒、この二律背反が見事なまでの哀切を響かせる。来年は良い年でありますように。

ところで、今朝ニュースで観たが反日・売国報道を相も変わらず繰り返すTBSの親韓「日本レコード大賞」まだやっていたんだな。もはや日本もレコードも関係ないのに。










2020年12月12日土曜日

モーツアルト 交響曲第41番「ジュピター」_ボールト

 エイドリアン・ボールトといえば、ちょっとしたクラシック好きならホルスト「惑星」ね。という答えが返ってきそうだが、ボールトには、貴重な隠れ名盤「モーツァルト 交響曲第41番ハ長調k.551」がある。奇しくも「ジュピター」と惑星名がついているが、こちらはローマの全能の神「ユピテール」のこと。ということで、ボールト、ロンドンフィル(1974年録音)を聴こう。

すべての繰り返しを行い、対向配置により小気味よく鳴り渡る弦。ウィリアム・ベネットのフルートの柔らかさ。祝祭的なティンパニの響き。少し早めのテンポからくる躍動感。一楽器として変に飛び出してこない。揺るぎないアンサンブル。自在なテンポの揺れも心地よい。壮大かつ雄渾な音楽づくり。ボールトの男前さが生かされた演奏だ。


2020年12月7日月曜日

シューマン 交響曲第4番_ボールト

 シューマン 交響曲第4番ニ短調Op.120。エードリアン・ボールト;ロンドンフィルハーモニー(1956年録音)で聴こう。

何と情熱的なことか。冒頭から少し早めのテンポでぐいぐい進んでゆく。低弦を効かせ濃厚な味付け。ロンドンフィルの金管群のバリバリ感も常に強いエネルギーを維持し続ける。
第3楽章は圧巻。コントラバスが主役の重量級のスケルツォ。フィナーレの熱き序奏も、第1主題の決然さも魅力的だ。終始重量級のオーケストレーションの中、快速で進んでいく小気味よさ。ボールトの男気が前面に出た演奏だ。

2020年12月5日土曜日

ブラームス 弦楽六重奏曲_ベルリンフィルハーモニー八十奏団員

 今日のような仄暗い冬の日は、ブラームス 弦楽六重奏曲聴こう。演奏はベルリンフィルハーモニー八十奏団員。1966-68録音なので日本のヴィオラの第一人者「土屋邦雄」氏も参加してます。



2020年11月28日土曜日

ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲_シュナイダーハン・シュタルケル

 最近大学時代の同級生が我が敬愛する「フリッチャイ」にご執心なので触発されて初冬に似合うブラームスのダブルコンチェルト、通称ドッペル(ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲イ短調Op.102)を聴く。フリッチャイ:ベルリン放送交響楽団、シュナイダーハン(V)シュタルケル(VC)<1961年録音>。堂々たるトゥッティとそれを受けるシュタルケルの切れ味抜群の重量感ある太刀筋、続くシュナイダーハンの凛としていながら色気のある太刀筋。そして2つの独奏楽器が絡み合い,オクターブで同じメロディを演奏する時、2つの太刀筋が見事に融合してゆく。第2主題は、ヴァイオリンと木管。その優しく憂いに満ちたメロディも好きだ。第2楽章、ホルンの牧歌的な響きの後、独奏ヴァイオリンとチェロがシンプルに主題をオクターブのユニゾンで演奏する。このふるさと感が郷愁を誘う。中間部でのメロディは、ブラームスの優しさの一面を感じ取れずにはいられない。第3楽章、行進曲風なのに何か暗いチェロの独奏。このロンドは、2つの副主題をもちまるで室内楽のように進む。二人の持ち味を支えながら、重量感を維持しつつ胃もたれさせないフリッチャイと手兵ベルリン放送響の充実ぶりにも感服。



2020年10月17日土曜日

ベートーヴェン 交響曲第4番_ムラヴィンスキー


 今日はゴルフの予定だったが木曜日に早々とキャンセル。強行せずに正解。雨もさることながら寒すぎて書斎の足元のヒーターをつけて音楽鑑賞。ムラヴィンスキー;レニングラード・フィルハーモニー【1973年LIVE録音】によるベートーヴェン 交響曲第4番変ロ調 OP.60。

ムラヴィンスキーのドイツ物といえば、やはりベト4とシューベルトの「未完成」だろう。こちらは、ベト4の有名な東京公演の前のレニングラード大ホールでのLive録音。
シャープな切れ味をもつ見事なアンサンブル、強弱の振幅の大きさ、感傷を排除した純粋さ。特に好きな所は、第2楽章の再現部でとてつもない短調のアンサブルの登場。ここでの峻厳さはムラヴィンスキーならではか。第4楽章、ファゴット巧い!

2020年9月26日土曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲19番&23番_グリモー

 エレーヌ・グリモーの弾き振りによるライブ盤【2011年)で、モーツァルト ピアノ協奏曲19番、23番を聴いています。オーケストラは、バイエルン放送室内管弦楽団(いわゆるバイエルン放送交響楽団メンバー)。グリモーの1音1音は明快に粒立ち煌く。そして流れるようなタッチは、モーツァルトの明るいアレグロによく似合う。23番第1楽章のカデンツァは、ブゾーニによるもの。これは、ホロヴィッツ:ジュリーニ(ミラノ・スカラ座O)以外聴いたことがなかった。こういうのは、得した気分になる。アダージョは、淡々としてるが美しい響きが心に浸みわたります。さて余談ですがバイエルンのファゴットは、激ウマです。




2020年9月19日土曜日

シューベルト 交響曲 偶数番一人チクルス

 今頃は、本当ならプラハに向けてドバイを出発している頃だ。無念。4連休初日、曇り空。しょうがないのでまったりと<シューベルト 交響曲 一人偶数チクルス>スタート。考え抜いて決めたのは、2番変ロ長調は「シャルル・ミュンシュ;ボストン交響楽団」4番ハ短調”悲劇的”は「ペーター・マーク;フィルハーモニア・フンガリカ」6番ハ長調は、「ヘルベルト・ブロムシュテット;スターツカペレ・ドレスデン」8番ロ短調””未完成”は「フェレンツ・フリッチャイ;ベルリン放送交響楽団」。








2020年8月29日土曜日

ブルックナー 交響曲第7番_アイヒホルン

ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調 (Nowak版)、アイヒホンル、リンツ・ブルックナー管弦楽団。(1990年録音)
コロナ禍がなければ、来月おとずれる予定だった「リンツ:ブルックナーホール」にて録音された演奏を聴く。無念。
リンツは、モーツァルトが交響曲第36番「リンツ」をベートーヴェンが交響曲第8番を作曲したオーストリアの第3の都市。 そしてブルックナーが生まれ、この街の旧聖堂のオルガニストを務めていた。リンツ・ブルックナー管弦楽団は、リンツ州立劇場のオーケストラであったが、1968年に「ブルックナー管弦楽団」の名称を冠する。アイヒホルンは、この7番を皮切りにブルックナーチクルス録音を始めたが「5.2.9番」を終えた段階で道半ば逝去した。滋味に満ちた優しさ溢れる柔らかな演奏。何ら小細工なしに、ブルックナーのゼグエンツ、和声を紡いでゆく。


2020年8月20日木曜日

サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」_パレー

サン=サーンス 交響曲第3番ハ短調 Op.78「オルガン付き」、ポール・パレー:デトロイト交響楽団、(Or)マルセル・デュプレ(1957年録音)を聴く。まず最初に「オルガン付き」となっているが実は「オルガン・ピアノ付き」であることを断わっておこう。第1部①、序奏部、弦楽の下降音に、オーボエが上昇音で応える。主題は、死の象徴としてのグレゴリオ聖歌「ディエス・イレ=怒りの日」の旋律を循環主題として用いているのだが、出だしがシューベルトの未完成と同じ音型<16音符1拍ずれ>をしているのも興味深い。第1部②に初めてオルガンが登場。その神秘的な変ニ長調の主和音に乗って、弦楽群が奏でる少し悲し気な主題が何ともいえず心を打つ。中間部、第1・第2ヴァイオリンが掛け合いを始め、ピチカートが循環主題を再現したあと、再び弦楽群による主題を謳い宗教的な法悦に導かれる。
第2部①、ティンパニーを伴ってエネルギッシュに弦楽が奏でる有名な旋律。「宝酒造」を思い出す。トリオでピアノが登場。木管と戯れながらリリカルに舞う。第2部②、ハ長調のオルガンの印象的な和音に導かれ、①後半で暗示されたコラールが展開されると、リリカルなピアノが循環主題を長調で変奏され、オルガンのトッティと金管のファンファーレが壮麗なカテドラルを構築する。弦楽のフガートが始まるとクライマックスへ向けて荘厳さが増してゆく。ラスト、ティンパニーとオルガンが絢爛たるハ長調を決め込み金管が咆哮するともうブラボーとしか出てこないだろう。



2020年8月11日火曜日

ベートーヴェン 交響曲第2番_コンヴィチュニー

今週からまた暫く在宅勤務が続く。そして恒例の盆休みの下関帰省も今年は断念。とはいえ来週は暑休休暇。如何にして過ごすかと思案しながら音楽鑑賞。
ベートーヴェン 交響曲第2番ニ長調OP.36を聴く。コンヴィチュニー、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1959年録音)にて。2番は、最も地味で中々演奏会でも扱われることのない影の存在。しかし、モーツアルトのジュピターを引き継ぎ、第九へと通じる下地的な曲であり、「遺書」を書いた1802年にハイリゲンシュタットで作曲された実はかなり重要な曲でもある。楽曲的にも長い序奏の展開、メヌエットからスケルツォへの変貌など革新への下地でもある。今晩のように、ちょいとベトシンでも聴こうかとした時に手に取るのはコンヴィチュニー盤。その分厚い音の響きが安心感をもたらす。低重心でありながら木質な弦楽群、まろやかな木管群が耳に心地よい。第1楽章、序奏部途中、ニ短調のアルペジオの下降旋律に第九の予感を感じる。第2楽章は、この曲の白眉ともいえる。一般的なベートーヴェン像を覆す甘美で優しさに満ちたメロディ。しかしコンヴィチュニーはそんな情緒にとらわれず、男前に演奏する。しかし弦楽群の暖かみのある音色が加わりいい塩梅となっている。弦楽群とホルンとの対話、フルートとオーケストラの対話も楽しみたい。第3楽章、非常に短い舞曲であるが、トリオにおいて第九のトリオを暗示させる。強弱・高低の面白さも味わおう。終楽章、快速展開。チェロの温かな主題に続いて木管群の第2主題が即座に現れる。キビキビとした動きの中で、管楽群が有機的に絡んでくる。ひっそり始まると思いきややや情熱的なコーダに胸を弾ませながらエンディングを迎える楽しさを有難う。2番、たまに聴くといいですね。


2020年8月2日日曜日

マーラー 交響曲第1番「巨人」_アンチェル

カレル・アンチェルのマーラーの録音は、1.5.9番しかない。
いずれも素晴らしい演奏であるが今日は、その中で1番ニ長調「巨人」を聴こう。チェコフィル【1964年録音】。
第1楽章、まず驚かされるのが、弦楽群のAのフラジオレットに乗せて下降するオーボエとファゴットに始まり、登場する木管群の良質の音色、そしてホルンのいかにも牧歌的な響き。チェロの第1主題が始まる頃には、誰もがこのバランスの良い色彩感に魅了されているであろう。そうボヘミアの「朝の野ばらを歩く」姿が明確に見えてくるようだ。またノヴァークのフルートが素晴らしい。展開部のホルン斉奏後の弦楽群の何とシルキーで魅了的なこと。すべての楽器が明確に分離され耳に届けられる。アンチェルの尋常ならざるバランス感覚の成せる業か。第2楽章、低弦による力強いオスティナート・リズムによる心地よいテンポ。中間部の弦楽群の優美さ。第3楽章、コントラバスで始まるフレールジャック。決して重すぎず淡々と。オーボエも巧い。中間部の弦楽群も艶っぽい。第4楽章、激しい中にも美しいと表現したくなるのは、アンチェルの品性の由縁か。(余談だが、展開部で好きな所はハ長調で凱歌を挙げると見せかけてニ長調へ上昇するところ)管楽器を含め、巧みに音量がコントロールされ、決して暴発しない。コーダ直前に徐々にテンポをあげながらコーダ・フィナーレに突入するさまもアンチェルならではの至芸。更に付け加えるなら、ケイマル入団前にもかかわらずトラッペットの巧さ。アンチェルも是非、チェコフィルで5番を録音しておいて欲しかった。



2020年7月26日日曜日

チャイコフスキー 序曲「1812年」 聴きだめ

お篭り日曜日、チャイコフスキー 序曲「1812年」変ホ長調 OP.49、11連続鑑賞。①まずは、千秋真一;ルー・マルレ・オーケストラ(実際はブルノ国立フィルハーモニー<チェコのオーケストラ>)②ストコフスキー;ロイヤル・フィル③ドラティ;ミネアポリス交響④シモノフ;ロイヤル・フィル⑤メータ;ロスアンジェルス・フィル⑥ケンペン;ロイヤルコンセルトヘボウ⑦マルケビッチ;アムステルダム・コンセルトヘボウ⑧ゲルギエフ;キーロフオペラ管⑨ドミンゴ;フィルハーモニア管⑩プレヴィン;ロンドン交響⑪ムーティ;フィラデルフィア・・・・カノン砲あり、鐘の大音量あり、ロシア国歌、グリンカあり、花火あり、の熱演ばかり。
初めて圧倒されたのが、スピーカー音量に気をつけろと言われたドラティ、醍醐味NO.1はストコフスキー、総合点ではプレヴィン、ムーティか。。。千秋真一も良かったよ。余談ですが、この「1812年」の【のだめ】の撮影場所は、スロヴァキアのブラティスラヴァにあるレデュタ劇場、外観はスロヴァキア国立劇場です。






2020年7月25日土曜日

ベートーヴェン ピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲_フリッチャイ

ベートーヴェン「ピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲ハ長調 OP.56」を聴く。シュナイダーハン(Vn)フルニエ(Vc)アンダ(Pf)フリッチャイ,ベルリン放送交響楽団。(1960年録音)この演奏の品格の高さを決めているのは、ひとえにフルニエのチェロだということを最初に言っておこう。第1楽章、冒頭はチェロとコントラバス(弱音器つき)の重厚な第1主題、それを受け継ぎ第1ヴァイオリンが第2主題をト長調で奏し、ティンパニーを交えたオーケストラが提示部を締めくくり、フルニエの独奏を迎える。この瞬間にこの演奏の気品が決定づけられる。フルニエの柔らかく美しいその音は特級品だ。サポートのフリッチャイは、低重心の弦楽群、くぐごもった管楽群の良さを引き出す。ピアノのアンダは脇役だが、展開部で少しメロディを鼻歌っぽく歌っているように聞こえるのは気のせいだろうか??第2楽章は短い(53小節)。フルニエが高音部で独奏し、アンダのピアノに支えられ、何とも言えない木管群の音色。シュナイダーハンとフルニエが重なると夢心地の時間が過ぎてゆく。第3楽章、つぎめなく始まる。中間部が聴きどころ。独奏が、ポロネーズのリズムに乗って動き回り絡み合う。コーダに入るとオーケストラも含め一気呵成に終結を迎える。この三重奏の定番と言えば、オイストラフ(Vn)・ロストロポーヴィチ(Vc)・リヒテル(Pf)といったさしずめ、1985年バース・掛布・岡田、1990年の秋山・清原・デストラーデ。3人の名手をそろえカラヤン・BPOがささえるというオールスターの演奏があるが、私はフリッチャイ盤に軍配を挙げたい。フルニエはやはり素晴らしい。

2020年7月22日水曜日

ブラームス ヴァイオリン協奏曲_バティアシヴィリ



ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調 OP.77、リサ・バティアシヴィリ、ティーレマン:ドレスデン・シュターツカペレ 【2012年録音・ルカ教会】を聴く。
ドレスデンの豊潤な響きが、バティアシヴィリの美音を支える。バティアシヴィリは、日本音楽財団よりストラディバリウス1709年「エングルマン」、1715年「ヨアヒム」を貸与されていたが、この演奏では「ヨアヒム」を使用している。なお現在は、グァルネリ デルジェス1947年「ドナルドソン」を使用している模様。第1楽章、冒頭の第1主題は、朗々。低重心の弦楽群がコデッタを力強く下降してリサの独奏が情熱的に応える。リサは、美音でありながら線もしっかりしており、重音奏法でも濁らず。カデンツァは、「ブゾーニ」版という珍しいもの。(「ヨアヒム」使用してるのに・・・)これは、ティンパニーが先に入り、オーケストラの伴奏が入るもので、ルッジェーロ・リッチ、イザベル・ファウストしか聴いたことがない。第2楽章、オーボエの響きが綺麗。リサは、コロラトゥラのアリアを自在のテンポで揺らす。ある時は溜め、ある時は堰を切って。オーケストラはしっかりついてくる。これは、リサのテンポなのかティーレマンのテンポなのかわからない。第3楽章、軽快なロンドをキレをもって颯爽と駆け抜ける。重音音型でもやはりしっかりと美音を保つ確かな技術で弾き切る。SKDの厚みのあるサポートを受けた名演といえるだろう。

2020年7月18日土曜日

シューマン 交響曲第3番「ライン」_ジュリーニ



シューマン 交響曲第3番変ホ長調「ライン」、ジュリーニ:フィルハーモニー管弦楽団(1958年録音)にて聴こう。ご存じジュリーニのシューマン交響曲は「ライン」の録音しか見当たらない。「ライン」のジュリーニと言えば、「ロスフィル版1980年録音」が名盤として名高いが、私はこちらがお気に入りだ。しょっぱなから44歳の<男気>ジュリーニの颯爽とした音作りで幕開けする。ジュリーニはすでにフィルハーモニー版で、「マーラー改訂版」の採用による分厚いオーケストレーションを実現している。男ジュリーニのキビキビさ、金管の強奏・ティンパニーの迫力による躍動感、奔流のような推進力。と思いきやこれぞジュリーニを感じさせる感情移入に寄らない気高い旋律の歌いまわし、清冽なカンタービレ。すでにジュリーニはジュリーニだ。特に肝となる第4楽章の重層感は最高。そして2年前にデニス・ブレインは去っているのに、この時代のフィルハーモニー管のホルンは抜群に味があることも付け加えておきたい。

2020年7月11日土曜日

シューベルト 交響曲第8(9)番「ザ・グレート」_フリッチャイ

今朝は、ALTUSの「TAHRA復活シリーズ」から、シューベルト 交響曲第8(9)番ハ長調「ザ・グレート」、フリッチャイ(指)ヘッセン放送交響楽団(1955年ライブ)を聴く。
幾多ある「グレート」の名盤の中でも5本の指に入ると思っている造形美豊かな隠れ名盤。ヘッセン・・とは、現在のフランクフルト放送交響楽団のことです。フリッチャイ唯一の録音でもある。テンポのメリハリに加え符点リズムの跳ねとレガートの息の長さを自然な形で表現する棒振りの上手さ。躍動と雄大さ、美しさと優しさを併せ持つ「グレート」のコントラストを余すところなく構築するフリッチャイに一言「ブラボー!!」


2020年6月27日土曜日

マーラー 交響曲「大地の歌」_クリップス



今朝は、マーラー 交響曲「大地の歌」を聴こう。クリップス、ウィーン交響楽団、ヴンダーリヒ(T),フィッシャーディスカウ(Br)<1964年ウィーンムジークフェラインライブ録音>。
2011年にクリップスの遺族が保管していたテープからのCD化したもの。ディースカウ40歳、ヴンダーリヒは亡くなる2年前の34歳、両雄絶頂期の歌声を堪能しよう。

2020年6月21日日曜日

ブルックナー 交響曲第8番_プレトール

朝からブルックナー。交響曲第8番ハ短調Wab.108(Nowak版)、プレトール、ウィーン交響楽団(2008年ライブ録音)で聴く。アゴーギク豊かなプレトール流の潤いのある8番。第3楽章の表情のある美しさも独特。一番好きなチェロで始まる第2主題も丹念に謳わせ木管へとつなぎ、ワグナーチューバへ。再現部はドラマチックすぎるとの声も聞こえそうだが、敬虔さが失われているとは言えない。全休符前の弦楽五部の堰を切ったテンポでの美しさも惚れ惚れ。コーダの少し乾いたホルンの主導も悪くない。終楽章は、それまで抑え気味であったティンパニが前のめりに襲い掛かる。第2主題は低弦の響きが重厚感を与える。終結部のミレドは、一気に決然と決まったところで、久々にゴルフ練習場へGO! 

2020年6月13日土曜日

ショパン ピアノ協奏曲1番&2番_クピーク



いつぶりだろうかと調べてみると2月のリヒター・ハーザー、ザンデルリンク&デンマーク響によるブラームス ピアノコンチェルト1番以来4か月ぶりのCD購入。
「ショパン ピアノ協奏曲1番・2番」を聴こう。
エヴァ・クピーク(P)スクロヴァチェフスキ(指)ザールブリュンゲン放送交響楽団。
ミスターSことスクロヴァチェフスキ、日本ではもちろんブルックナー指揮者として名をはせているが、ポーランド人。ショパンでは過去にルービンシュタインやワイセンベルク、N響&ダビドヴィチとの競演もある。2番の評判がいいのでこちらを購入。ピアニストは、こちらもポーランド出身のクピーク。
木管群、金管群の役割が細部にわたってよく分かる構成であり、ピアノとの一体性の強い演奏。1番はあくまでシンフォニックに2番がコンチェルトしての色彩を多く持ち合わせている。クピークは繊細なタッチで強打においても濁りがなくスマート。超濃厚な演奏が好きな人には不向きだろうが、シニア世代の私には、実に大人っぽく好感が持てるピアノであった。

2020年5月26日火曜日

シューマン ピアノ協奏曲_リパッティ

シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 op.5を聴く。
この曲の愛聴盤は、ルプー、プレヴィン+ロンドン交響楽団。
しかし、今日は原点と言うべき一枚。リパッティ、アンセルメ+スイスロマンド管弦楽団(1950年2月ライブ録音)を久しぶりに聴こう。もっとも定番なのは48年のカラヤンとの共演だが、その評判には首をかしげなくてはならなかった。このライブ録音が残っていたおかげで、たとえ録音が悪くともリパッティの本当の凄みを知ることができた一枚である。もちろん、前日には40度の高熱があり、医師が止めるのも聴かず行った演奏会ということもあるだろう。しかし、いささかもそんな苦痛を感じさせない演奏だ。何気ないフレージングで見せる悲哀、情熱、硬質なピアノタッチの奥に見せる抒情。アンセルメは、リパッティの如何なるフレージングにも素早く対応する。これを寄り添うというのであろう。
魂を揺さぶる演奏とはまさにこのようなものなのだろう。


2020年5月16日土曜日

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」_バッカウアー



マーキュリーレーベルからのジーナ・バッカウアー;スクロヴァチェフスキ、ロンドン交響楽団によるベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73「皇帝」(1962年録音)を聴こう。バッカウアーといえば、ブラームスの2番だが、今日はこちらを。粒ぞろいの音色、疾走感、切れ味どれをとっても素晴らしい。女流にして剛腕とのイメージを覆す第2楽章の
優しくキラキラしている演奏は特質すべきものがあります。

2020年5月13日水曜日

爆演を! ブラームス 交響曲第2番_ミンシュ

今晩は急に「爆演」が聴きたくなった。
ブラームス 交響曲第2番ニ長調 Op.73。シャルル・ミュンシュ;フランス国立管弦楽団【1965年シャンゼリゼ劇場ライブ】


2020年5月10日日曜日

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」_クレツキ

クレツキ;チェコフィルによるベートーヴェン 交響曲全集より3番ホ長調 OP.55「英雄」(1967年録音)を聴こう。この全集が録音されたのはプラハのルドルフィヌム:ドヴォルザークホールだ。程よい残響とクリアな音の響き。これによりクレツキ率いるチェコフィルの力量の素晴らしさ、解像度と伸びやかさが思う存分発揮されている。チェコフィルと言えばそのシルキーな音色の弦楽群が真っ先に頭に浮かぶであろう。その上、この時代のチェコフィルの管楽群は素晴らしい。英雄と言えば「ホルンの重要性」に議論の余地はないが、シェテフェック率いるホルン軍団の輝きは本物中の本物だ。(この時、ティルシャルも吹いていたのだろうか?もしかして3番ホルンか?)有名なスケルツォのトリオの3重奏。ほんのり遠くから、何の力みもない柔らかさ、それでいてメロディックなハーモニーの3本効果をいともたやすく表現している。adagioのオーボエの憂いある音色も出色だ。ティンパニーの歯切れの良さは、冒頭から感激しっぱなし。第1楽章コーダにおけるトランペットの「俺様」感も印象的だ。Adagioは往々にして引きずるような粘りに辟易する場合があるが、クレツキは各楽器がフーガ風に広がりを見せる場面から金管とティンパニーの最初の頂点へ向けてある意味淡々と紡いでゆく憎らしさ。しかし中後半の低弦群の利き所はしっかり歌うように。終楽章、その変奏曲群は、オーケストラの楽しみ・醍醐味を教えてくれた珠玉の一大叙事詩。木管群の戯れ、とりわけフルートソロの扱い、そしてアンサンブル、ホルンの力感、低弦群のフーガの連携、「まさにオーケストラの宝石箱や!!」。進軍ラッパとともにいざクライマックスへ。

2020年5月3日日曜日

R・ストラウス 交響詩「英雄の生涯」_ケンペ

今日の1曲。ケンペ:シュターツカペレ・ドレスデンによる
R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」OP.40(1972年録音)を聴く。やはり、ベンちゃんの「英雄」を意識していたのか調性は<ホ長調>。当初、「エロイカ」と呼んでいたらしい。
曲は6つの部分から成り、切れ目なく演奏される。以下
1)英雄、2)・・の敵、3)・・の伴侶、4)・・の戦場、5)・・の業績、6)・・の隠遁と完成。
1)冒頭、ドレスデンの低弦とペーター・ダム率いるホルンでのテーマの上昇音型に思わずニッコリ。2)はスケルツォ風で木管楽器による戯画的な音楽。「敵」はフルートで表現され、時折チューバが敵意を顕す。
3)独奏のヴァイオリン、ペーターミリングの美しくも儚い音色が抜群に良い。ヴァイオリン・ソロが恋人(伴侶)を表わす。何やら二人の駆け引きが続き、やがて壮大な愛の情景へ。暫し甘美なメロディを堪能。
4)遠くからトラッペットのファンファーレ。戦場へ。小太鼓のリズムに乗って「敵」のテーマがトランペットに出て来て,行進曲風に進んで行く。勝利を謳歌するところでは4本のハイトーンのホルンの咆哮が聴こえる。
5)英雄の業績は、「ドン・ファン」「ツァラトゥストラはかく語りき」「死と変容」「ドン・キホーテ」「マクベス」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」など,よくぞこれだけ,という感じで主題が絡み合って演奏されてゆく。そうだ、英雄とはR・ストラウス自身なのだ。
6)イングリッシュホルンが鳴り響くと静かなメロディに。そして、浮き立つホルンに、美しいヴァイオリン・ソロがぴったりと寄り添うようにして優しく幕は閉じられる。
ケンペは、豪快で推進力のある場面、蕩けるような情景も
ドレスデンのコクのある響きを余すことなく引き出し表情豊かな交響詩を繰り広げてくれた。


2020年4月30日木曜日

シューマン 交響曲第1番(初稿)_スウィトナー



今日は、シューマン 交響曲第1番変ロ長調 Op.38 「春」,スイトナー、ベルリン・シュターツカペレ【1986年録音】にて聴こう。この演奏は、改訂版(1953年)と異なり、1841年3月31日、メンデルスゾーン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された初稿(自筆譜)版によるもので史上はじめて録音されたれものだ。
改訂版との違いは、第1楽章、序奏のボルンとトランペットのファンファーレが3度低いことや展開部が管楽群だけで登場したり、第2主題が何故か短調へ導かれたりします。終結部でもファンファーレが装飾音的に吹かれたりしながら、非常に短く終わりを告げます。
第2楽章は、それほど違いはないかな。低音の対旋律がずっと鳴ってるとか、メロディがオクターブ下で奏される程度。
第3楽章は、スケルツォの第2トリオがまんまないという不思議な構成です。しかし第1トリオで繰り返し2回目でホルンが対旋律で登場する。
終楽章は、序奏後フルートソロがいち早く登場することかな、トロンボーンも何らやおかしいなぁ。他にもあるだろうが、楽譜もないのでこれ以上は素人にはわからない。
いずれにしても、少し翳りを持つ「春」といった感じ。今年の「春」にはいいのかもしれない。
第2楽章のメロディはたおやかで美しい、第3楽章は、主題のリズムの刻みが恰好良すぎて好きだ。スイトナーは少し遅いテンポだが、これは好みかもしれない。あまり速いのもどうかと思う。(クーベリックは死ぬほど早いが)

2020年4月28日火曜日

シューマン 交響曲第3番_クーベリック

クーベリック、バイエルン放送交響楽団(1979年録音)にてシューマン 交響曲第3番 変ホ長調 Op.97「ライン」 を聴く。
3番は、実質4番目(最後)の交響曲。「ライン」の副題は、シューマン自身が付けたものではないが、シューマンがライン川の川下りやそれを取り巻く環境に大いに触発されのは間違いない。
第1楽章(ローレライ)、ローレライ付近は、河の流れが速く航行の難所。N響アワーのOpening曲としても使われまた。
第2楽章(コブレンツからボン)、
第3楽章(ボンからケルン)、
第4楽章(ケルンの大聖堂)、
第5楽章(デュッセルドルフのカーニヴァル)
という感じ。
さて、第1楽章、クーベリックのテンポは、極めて良きかな。速くても遅くても気に入らない、岩々を抜けながらも滔々と流れる印象付が必要だからだ。第2主題のオーボエとクラリネット、そしてフルートが奏でるほの暗い旋律が何を意味しているのかいまだに分からないが、その後の谷間に吹き渡るようなホルンの音色に救われる。クーベリックは、メリハリが良くシューマンの奥底にある苦悩を吹き飛ばすような爽やかな推進力で堂々たるライン川の幕開けといった印象である。
第2楽章、ヴィオラ、チェロ、ファゴットで始まるレントラーの舞曲。展開部の駆けあがるホルンがカッコいい。クーベリックは、我々が思っているよりラインは逆巻く川だと捉えていると思う。
第3楽章、ここでは、金管群は沈黙。バイエルンの明るく円やかな弦楽群を堪能しよう。
第4楽章、ご存じ調性表記はホ長調だが、実際はホ短調。全体からして異質な楽章であるが、ホルン好きには堪らない。そして初めてアルトトロンボーンが登場。なるほど、それでE♭か。私のイメージは荘厳というより敬虔。この章では、バイエルン弦楽群の低弦の魅力が十分に発揮されている。
第5楽章、文字通り金管のファンファーレを伴い祝祭的な雰囲気。クーベリックは、テンポをかなり揺らすが、金管群をキッチリと制御し、端正な形でこの曲を締めくくる。
「大人じゃん!」。



2020年4月26日日曜日

ブルックナー 交響曲第4番_ケルテス

ケルテス、ロンドン交響楽団(1965年録音) ブルックナー4番 ホ長調 WAB.104『ロマンティック』を聴く。ケルテスのブルックナーはお目にかかったことがなかったので5年位前に中古で買ったCDだ。 他にあるんだろうか??
第1楽章、少し強めの原始霧の奥からバリー・タックウェルのホルン。森の奥から聴こえてくるようだ。そして徐々に近づいてくる。コラールは華々しい。金管楽群はとても筋肉質だ。その分、メロディアスなところを弦楽群はよく謳う。トゥッティの唐突さにハッとするがこれは録音のためか。
第2楽章、ヴァイオリンとヴィオラに導かれチェロの主題。ここが妙に好きだ。情感あふれるヴィオラの感情のこもった副主題もいい。
第3楽章、ご存じホルンの重奏で始まる生命感溢れる主部。ケルテスは、オケを豪快に鳴らして一気に突き進む。トリオも少し早いテンポのようだ。この楽章、ケルテスの真骨頂か。
第4楽章、やはりテンポは速め。金管楽群は、相変わらず豪快だ。第二主題も爽やかに謳う。コーダも情緒的で魅力あふれる鳴りっぷりというほかはない。「ブルックナー的な」という言葉は、素人にはよくわからないが、もしこの演奏がそうでないとしても新鮮な息吹を感じる演奏だと感じた。


2020年4月21日火曜日

チャイコフスキー 交響曲第3番_マゼール

引き籠りが続くといつもにも増して音楽鑑賞がどうしても増えてきます。今日は、めったに聴かないチャイコフスキーの初期交響曲から3番を聴こう。
交響曲第3番ニ長調 OP.23「ポーランド」、マゼール;ウィンフィル(1964年録音)。マゼール30代の時の演奏だ。
3番には、チャイコフスキーの6曲ある交響曲の中で唯一のものが、2つある。1つは、調性が長調であるということ。2つ目は、5楽章あるということ。(スケルツォ2つあるが・・風ともいえるのではずす)
「ポーランド」という標題は、5楽章に「ポロネーズ」のリズムが使われていることから、イギリスで付与されたらしくチャイコフスキーのあずかり知らないことみたいだ。
第3楽章がお気に入りだ。冒頭のフルートから始まりファゴット・ホルン・オーボエと続くなんとも哀愁のある旋律、その後の弦楽の美しさ。5楽章は、冒頭からカッコいい。中間部で主要主題によるフーガが出てきますが、これもお洒落。
壮大なコーダになだれ込み最後は華やかなクライマックスで締めくくられる。
マゼールの演奏は、各楽器のバランスが良く効果的な音の妙を心得ている。テンポの変化は彼ならでは。ウィンフィルによるところも大きいが、よく鳴るオケの響きは満点だ。比較するほど、多くの演奏にありつけない曲あるが、人気のないマゼールであるが、私には明快さ・繊細さの良さは十分発揮されているだろうと思う。<マゼール最後の来日演奏会に行ったのが、ついこのあいだのようです。


2020年4月18日土曜日

シューベルト ミサ曲第2番&スターバト・マーテル_ケーゲル



シューベルト ミサ曲第2番 ト長調 D.167とスターバト・マーテル ヘ短調 D.383 を聴いている。 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒ放送交響楽団・合唱団(1983年録音)。元々合唱音楽出身のケーゲルの宗教曲は、ドイツ・レクイエムに代表されるように質も高く荘厳さが重視されどれも美しくお気に入りだ。
ミサ曲2番は。キリエは、流麗かつ哀愁を持つシューベルトらしい曲で、ソプラノの独唱が配され一つの歌曲のようである。グロリアは、いきなりの上昇音階で湧き上がるコーラスは、さぞかし楽しかろう。クレドは、独特の4拍のリズムをきざみ(拍子は2/2)信仰の告白のコーラス。その裏で流れる弦楽の流麗さがお気に入り。中間部のコーラスは高揚感をもって歌い上げる。サンクトゥスは、和声的な「サンクトゥス」とフガートの「ホザンナ」の対比を楽しみたい。だがあっという間に終わる。ベネディクスは、ソプラノの美しく優しい独唱に続き、テノールが乗っかり。最後にベース登場。後半はアレグロで、コーラス陣の活気あふれる賛歌。アニュス・デイは、ソプラノ・ベース・ソプラノの独唱に導かれコーラスが3たび応える。ここには、第6番アニュス・デイのような暗黒面は存在しない。只々美しい。
次にスターバト・マーテル。
シューベルトには、ト短調 D.157というもう一つ「スターバト・マーテル」がある。こちらは、ラテン語で、今日聴いている ヘ短調 D.383 は、ドイツ語によるもの。スターバト・マーテル(聖母はたたずめり)は、ヤコボーネ・ダ・トディの詩(ラテン語)を用いて作曲するのが通例であるが、シューベルトは、ドイツ語歌詞の為、併せてドイツの詩人で神学者であるクロップシュトックの詩(少し自由)を用いたとされている。荘厳で深々とした出だし、情感豊かな独唱、慈愛に満ちた曲想。特に好きな第5曲は、女声部のみで始まり、混声になることで哀歌の重みが増す。後段も女声部のみで始まるが、そこには希望の光が見えるだ。ホルンをうまく用い弦楽は終始お休み。第6曲は、テノールの独唱をオーボエが裏で支えるという構成。こうして天才シューベルトならではの色彩感の中で進んでいく。
家にばかりいるので、どうしてもクラシックの寄稿が増えるが致し方なし。

モーツァルト 協奏交響曲 K.364_デュメイ&ハーゲン

モーツァルト 協奏交響曲変ホ長調 K. 364(K6. 320d) を聴こう。モーツァルト中マイベスト5に入る曲だ。今日は、繊細かつ甘美な音色が持ち味のオーギュスト・デュメイとハーゲン弦楽四重奏団の創設メンバーのひとりでヴィオラ奏者ヴェロニカ・ハーゲンでいこう。オーケストラは、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ。協奏交響曲 sinfonia concertante とい_
dhimeiうジャンルが当時パリやマンハイムで流行していてモーツァルトも手掛けたが残念ながら完成され残っているのはこの曲のみである。独奏ヴィオラはスコルダトゥーラ(半音上げの調弦)が指定されており、楽譜は逆に変ホ長調の半音下のニ長調で書かれている。これにより独奏ヴィオラは張力が増し響きが華やかになると同時にニ長調により多くの開放弦(ソ・レ・ラ・ミ)で倍音が増すのだ。2つの楽器が同等になることでクッキリと音色を浮かび上がらせる工夫がなされている。
第1楽章は、意気揚々とした雰囲気で始まります。独奏ヴァイオリンとヴィオラの登場では、オークタブ離れた2つの楽器が同時にメロディを演奏するので独特の輝きがあります。
実はこの第1楽章にある独奏、一瞬ですが映画「アマデウス」で使われています。サリエリが楽譜を落とすシーンと言えばわかる人もいるかと。
さて第2楽章、この曲の肝です。(2枚目写真冒頭楽譜)これほど深い憂いに満ちた旋律があるのでしょうか。それでいて優しさに包まれているような感覚。この第2楽章が私がモーツァルトに心酔した一番の要因です。これこそがモーツァルトの真骨頂だからです。
第3楽章は、一転してプレスと表記の華やかなロンド。短いながら2つの独奏の掛け合いが面白い。ある時は寄り添い、ある時はヴィオラが先を行くのが面白い。
やはりかけがいのない1曲である。



2020年4月14日火曜日

ハイドン 交響曲第98番_セル

今日は、久方ぶりにハイドンを聴こうか。
交響曲第98番 変ロ長調 Hob.I:98。セル、クリーブランド管弦楽団(1969年録音)。一説にモーツァルトの死を悼んで作られたというこの交響曲が一番のお気に入り。
第1楽章、序奏。何故か短調の弦楽群で始まるのが印象的だ。
第2楽章、イギリス国歌のオマージュと言われているが、私には、モーツァルトの「戴冠ミサ曲」のアニュス・デイ、「フィガロの結婚」の第3幕のアリア伯爵夫人の「楽しい思い出はどこに」にしか聴こえない。また、再現部での対旋律を奏でるチェロの独奏がカッコよすぎて堪らない。
第3楽章、華やかなメヌエットをフルートとファゴットの独奏が彩を添える。
終楽章、飛び跳ねるような軽やかな曲想。展開部では、弦楽合奏となりヴァイオリンの独奏が終結の主題を奏でる。そしてコーダの後、このまま終わるかに見せかけて突然チェンバロが11小節だけ登場。(ここでは、腕自慢のセルが弾いているのだと思うが)そして本当の終結へ。憎い演出。