2020年4月30日木曜日

シューマン 交響曲第1番(初稿)_スウィトナー



今日は、シューマン 交響曲第1番変ロ長調 Op.38 「春」,スイトナー、ベルリン・シュターツカペレ【1986年録音】にて聴こう。この演奏は、改訂版(1953年)と異なり、1841年3月31日、メンデルスゾーン指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された初稿(自筆譜)版によるもので史上はじめて録音されたれものだ。
改訂版との違いは、第1楽章、序奏のボルンとトランペットのファンファーレが3度低いことや展開部が管楽群だけで登場したり、第2主題が何故か短調へ導かれたりします。終結部でもファンファーレが装飾音的に吹かれたりしながら、非常に短く終わりを告げます。
第2楽章は、それほど違いはないかな。低音の対旋律がずっと鳴ってるとか、メロディがオクターブ下で奏される程度。
第3楽章は、スケルツォの第2トリオがまんまないという不思議な構成です。しかし第1トリオで繰り返し2回目でホルンが対旋律で登場する。
終楽章は、序奏後フルートソロがいち早く登場することかな、トロンボーンも何らやおかしいなぁ。他にもあるだろうが、楽譜もないのでこれ以上は素人にはわからない。
いずれにしても、少し翳りを持つ「春」といった感じ。今年の「春」にはいいのかもしれない。
第2楽章のメロディはたおやかで美しい、第3楽章は、主題のリズムの刻みが恰好良すぎて好きだ。スイトナーは少し遅いテンポだが、これは好みかもしれない。あまり速いのもどうかと思う。(クーベリックは死ぬほど早いが)

2020年4月28日火曜日

シューマン 交響曲第3番_クーベリック

クーベリック、バイエルン放送交響楽団(1979年録音)にてシューマン 交響曲第3番 変ホ長調 Op.97「ライン」 を聴く。
3番は、実質4番目(最後)の交響曲。「ライン」の副題は、シューマン自身が付けたものではないが、シューマンがライン川の川下りやそれを取り巻く環境に大いに触発されのは間違いない。
第1楽章(ローレライ)、ローレライ付近は、河の流れが速く航行の難所。N響アワーのOpening曲としても使われまた。
第2楽章(コブレンツからボン)、
第3楽章(ボンからケルン)、
第4楽章(ケルンの大聖堂)、
第5楽章(デュッセルドルフのカーニヴァル)
という感じ。
さて、第1楽章、クーベリックのテンポは、極めて良きかな。速くても遅くても気に入らない、岩々を抜けながらも滔々と流れる印象付が必要だからだ。第2主題のオーボエとクラリネット、そしてフルートが奏でるほの暗い旋律が何を意味しているのかいまだに分からないが、その後の谷間に吹き渡るようなホルンの音色に救われる。クーベリックは、メリハリが良くシューマンの奥底にある苦悩を吹き飛ばすような爽やかな推進力で堂々たるライン川の幕開けといった印象である。
第2楽章、ヴィオラ、チェロ、ファゴットで始まるレントラーの舞曲。展開部の駆けあがるホルンがカッコいい。クーベリックは、我々が思っているよりラインは逆巻く川だと捉えていると思う。
第3楽章、ここでは、金管群は沈黙。バイエルンの明るく円やかな弦楽群を堪能しよう。
第4楽章、ご存じ調性表記はホ長調だが、実際はホ短調。全体からして異質な楽章であるが、ホルン好きには堪らない。そして初めてアルトトロンボーンが登場。なるほど、それでE♭か。私のイメージは荘厳というより敬虔。この章では、バイエルン弦楽群の低弦の魅力が十分に発揮されている。
第5楽章、文字通り金管のファンファーレを伴い祝祭的な雰囲気。クーベリックは、テンポをかなり揺らすが、金管群をキッチリと制御し、端正な形でこの曲を締めくくる。
「大人じゃん!」。



2020年4月26日日曜日

ブルックナー 交響曲第4番_ケルテス

ケルテス、ロンドン交響楽団(1965年録音) ブルックナー4番 ホ長調 WAB.104『ロマンティック』を聴く。ケルテスのブルックナーはお目にかかったことがなかったので5年位前に中古で買ったCDだ。 他にあるんだろうか??
第1楽章、少し強めの原始霧の奥からバリー・タックウェルのホルン。森の奥から聴こえてくるようだ。そして徐々に近づいてくる。コラールは華々しい。金管楽群はとても筋肉質だ。その分、メロディアスなところを弦楽群はよく謳う。トゥッティの唐突さにハッとするがこれは録音のためか。
第2楽章、ヴァイオリンとヴィオラに導かれチェロの主題。ここが妙に好きだ。情感あふれるヴィオラの感情のこもった副主題もいい。
第3楽章、ご存じホルンの重奏で始まる生命感溢れる主部。ケルテスは、オケを豪快に鳴らして一気に突き進む。トリオも少し早いテンポのようだ。この楽章、ケルテスの真骨頂か。
第4楽章、やはりテンポは速め。金管楽群は、相変わらず豪快だ。第二主題も爽やかに謳う。コーダも情緒的で魅力あふれる鳴りっぷりというほかはない。「ブルックナー的な」という言葉は、素人にはよくわからないが、もしこの演奏がそうでないとしても新鮮な息吹を感じる演奏だと感じた。


2020年4月21日火曜日

チャイコフスキー 交響曲第3番_マゼール

引き籠りが続くといつもにも増して音楽鑑賞がどうしても増えてきます。今日は、めったに聴かないチャイコフスキーの初期交響曲から3番を聴こう。
交響曲第3番ニ長調 OP.23「ポーランド」、マゼール;ウィンフィル(1964年録音)。マゼール30代の時の演奏だ。
3番には、チャイコフスキーの6曲ある交響曲の中で唯一のものが、2つある。1つは、調性が長調であるということ。2つ目は、5楽章あるということ。(スケルツォ2つあるが・・風ともいえるのではずす)
「ポーランド」という標題は、5楽章に「ポロネーズ」のリズムが使われていることから、イギリスで付与されたらしくチャイコフスキーのあずかり知らないことみたいだ。
第3楽章がお気に入りだ。冒頭のフルートから始まりファゴット・ホルン・オーボエと続くなんとも哀愁のある旋律、その後の弦楽の美しさ。5楽章は、冒頭からカッコいい。中間部で主要主題によるフーガが出てきますが、これもお洒落。
壮大なコーダになだれ込み最後は華やかなクライマックスで締めくくられる。
マゼールの演奏は、各楽器のバランスが良く効果的な音の妙を心得ている。テンポの変化は彼ならでは。ウィンフィルによるところも大きいが、よく鳴るオケの響きは満点だ。比較するほど、多くの演奏にありつけない曲あるが、人気のないマゼールであるが、私には明快さ・繊細さの良さは十分発揮されているだろうと思う。<マゼール最後の来日演奏会に行ったのが、ついこのあいだのようです。


2020年4月18日土曜日

シューベルト ミサ曲第2番&スターバト・マーテル_ケーゲル



シューベルト ミサ曲第2番 ト長調 D.167とスターバト・マーテル ヘ短調 D.383 を聴いている。 ヘルベルト・ケーゲル(指)ライプツィヒ放送交響楽団・合唱団(1983年録音)。元々合唱音楽出身のケーゲルの宗教曲は、ドイツ・レクイエムに代表されるように質も高く荘厳さが重視されどれも美しくお気に入りだ。
ミサ曲2番は。キリエは、流麗かつ哀愁を持つシューベルトらしい曲で、ソプラノの独唱が配され一つの歌曲のようである。グロリアは、いきなりの上昇音階で湧き上がるコーラスは、さぞかし楽しかろう。クレドは、独特の4拍のリズムをきざみ(拍子は2/2)信仰の告白のコーラス。その裏で流れる弦楽の流麗さがお気に入り。中間部のコーラスは高揚感をもって歌い上げる。サンクトゥスは、和声的な「サンクトゥス」とフガートの「ホザンナ」の対比を楽しみたい。だがあっという間に終わる。ベネディクスは、ソプラノの美しく優しい独唱に続き、テノールが乗っかり。最後にベース登場。後半はアレグロで、コーラス陣の活気あふれる賛歌。アニュス・デイは、ソプラノ・ベース・ソプラノの独唱に導かれコーラスが3たび応える。ここには、第6番アニュス・デイのような暗黒面は存在しない。只々美しい。
次にスターバト・マーテル。
シューベルトには、ト短調 D.157というもう一つ「スターバト・マーテル」がある。こちらは、ラテン語で、今日聴いている ヘ短調 D.383 は、ドイツ語によるもの。スターバト・マーテル(聖母はたたずめり)は、ヤコボーネ・ダ・トディの詩(ラテン語)を用いて作曲するのが通例であるが、シューベルトは、ドイツ語歌詞の為、併せてドイツの詩人で神学者であるクロップシュトックの詩(少し自由)を用いたとされている。荘厳で深々とした出だし、情感豊かな独唱、慈愛に満ちた曲想。特に好きな第5曲は、女声部のみで始まり、混声になることで哀歌の重みが増す。後段も女声部のみで始まるが、そこには希望の光が見えるだ。ホルンをうまく用い弦楽は終始お休み。第6曲は、テノールの独唱をオーボエが裏で支えるという構成。こうして天才シューベルトならではの色彩感の中で進んでいく。
家にばかりいるので、どうしてもクラシックの寄稿が増えるが致し方なし。

モーツァルト 協奏交響曲 K.364_デュメイ&ハーゲン

モーツァルト 協奏交響曲変ホ長調 K. 364(K6. 320d) を聴こう。モーツァルト中マイベスト5に入る曲だ。今日は、繊細かつ甘美な音色が持ち味のオーギュスト・デュメイとハーゲン弦楽四重奏団の創設メンバーのひとりでヴィオラ奏者ヴェロニカ・ハーゲンでいこう。オーケストラは、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ。協奏交響曲 sinfonia concertante とい_
dhimeiうジャンルが当時パリやマンハイムで流行していてモーツァルトも手掛けたが残念ながら完成され残っているのはこの曲のみである。独奏ヴィオラはスコルダトゥーラ(半音上げの調弦)が指定されており、楽譜は逆に変ホ長調の半音下のニ長調で書かれている。これにより独奏ヴィオラは張力が増し響きが華やかになると同時にニ長調により多くの開放弦(ソ・レ・ラ・ミ)で倍音が増すのだ。2つの楽器が同等になることでクッキリと音色を浮かび上がらせる工夫がなされている。
第1楽章は、意気揚々とした雰囲気で始まります。独奏ヴァイオリンとヴィオラの登場では、オークタブ離れた2つの楽器が同時にメロディを演奏するので独特の輝きがあります。
実はこの第1楽章にある独奏、一瞬ですが映画「アマデウス」で使われています。サリエリが楽譜を落とすシーンと言えばわかる人もいるかと。
さて第2楽章、この曲の肝です。(2枚目写真冒頭楽譜)これほど深い憂いに満ちた旋律があるのでしょうか。それでいて優しさに包まれているような感覚。この第2楽章が私がモーツァルトに心酔した一番の要因です。これこそがモーツァルトの真骨頂だからです。
第3楽章は、一転してプレスと表記の華やかなロンド。短いながら2つの独奏の掛け合いが面白い。ある時は寄り添い、ある時はヴィオラが先を行くのが面白い。
やはりかけがいのない1曲である。



2020年4月14日火曜日

ハイドン 交響曲第98番_セル

今日は、久方ぶりにハイドンを聴こうか。
交響曲第98番 変ロ長調 Hob.I:98。セル、クリーブランド管弦楽団(1969年録音)。一説にモーツァルトの死を悼んで作られたというこの交響曲が一番のお気に入り。
第1楽章、序奏。何故か短調の弦楽群で始まるのが印象的だ。
第2楽章、イギリス国歌のオマージュと言われているが、私には、モーツァルトの「戴冠ミサ曲」のアニュス・デイ、「フィガロの結婚」の第3幕のアリア伯爵夫人の「楽しい思い出はどこに」にしか聴こえない。また、再現部での対旋律を奏でるチェロの独奏がカッコよすぎて堪らない。
第3楽章、華やかなメヌエットをフルートとファゴットの独奏が彩を添える。
終楽章、飛び跳ねるような軽やかな曲想。展開部では、弦楽合奏となりヴァイオリンの独奏が終結の主題を奏でる。そしてコーダの後、このまま終わるかに見せかけて突然チェンバロが11小節だけ登場。(ここでは、腕自慢のセルが弾いているのだと思うが)そして本当の終結へ。憎い演出。


2020年4月12日日曜日

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲_ゲオルギエヴァ

ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61」を聴く。、ミラ・ゲオルギエヴァ;ロッセン・ミラノフ(指揮)新ソフィア交響楽団【1999年、ブルガリア・ソフィア国民文化会館ライブ】。ミラ・ゲオルギエヴァはブルガリアのソフィア生まれ。わずか10歳で旧チェコスロヴァキアのコチアン国際コンクール、12歳でイタリア・ボローニャのモーツァルト・コンクールに優勝した「ブルガリアの妖精」。ちなみに現在は43歳(写真は20代)。日本にも何度も来日しているので馴染みの方もいるかと。ほとんど無名の指揮者と楽団であり、彼女もさほど有名ではない。しかし何故かこの白熱のライブだけは「通」の間では評価が高く有名なのだ。とにかく艶のある美音のベートーヴェンを聴きたいなら彼女はうってつけだ。現在には、西南ドイツ放送交響楽団のコンサート・ミストレスをしていたりするのも興味深い。
特に第二楽章の変奏曲は、素晴らしい。ベートヴェンの中でも群を抜いて「穏やか・安らぎ」の主題を弱音の弦楽群が奏でると、ゲオルギエヴァの美音がホルンとクラリネットとそして続いてファゴットの周りを艶やかに動き回る。そして中間部以降の音色も息を飲むほど美しい。
終楽章の切れ味も抜群だ。この楽章は、やや感傷的な第2副主題のところが好み。最近お気に入りのライブである。



2020年4月8日水曜日

ベルリオーズ 幻想交響曲_クーベリック



ベルリオーズ「幻想交響曲 OP.14(H.48)」クーベリック;バイエルン放送交響楽団(1981年ライブ)にて聴く。これは、意外な取り合わせ。
ヨッフムを継いだ後のバイエルンを急成長させたクーベリック【78年まで首席指揮者】との相性は、退いた後でもやはり本物であった。【79-81年は首席指揮者不在】
第一楽章、テンポはゆっくり目。木管に続く弦楽の揺れ、コントラバスの重厚感、「イデー・フィクス」に突入してもその唸る弦楽群の強めのボーイングが主人公の憂鬱を顕す。
クーベリックがかなり振幅を聴かせドラマチックに構成するが、バイエルンは重心が低く浮ついたところが全く見えないのは流石だ。17年間のコンビの成せるバランスか。
第二楽章、ポルタメントが若干気になるが、情感を込めたワルツの展開。弦楽群は、ピチカートにも余念がなく一音一音が美しい。後半のテンポ早目。木管で思い切りためを作ってのエンディング。
第三楽章、アダージョの緩徐楽章。「田舎の夏の夕方、彼は遠くで2人の羊飼 いが笛でお互いに呼び合っているのを聴く」。ステージ上のイングリッシュ・ホルンと、舞台裏 のオーボエによる、空間的な遠近法が楽譜に指示されてるのだ。中間部の美しい弦楽と恋人の主題後のおどろおどろしい弦楽の使い分けは見事。遠雷。ここは、打楽器をリズム楽器としてではなく、「和音楽器」として使う ベルリオーズの真骨頂だ。バイエルンのティンパニーは図太い。
第四楽章、少しゆっくり目で決然とした出だし。トランペットのバランスも「ちょうどいい」。クーベリックはここでは、かなり冷静だ。低弦が効いててどっしり感がある。
終楽章、「サバトの夜の夢」。このライブ盤の秀逸性はこの楽章にある。サバトとはヴァルプルギスの魔女の宴会のことで、4月30日から5月1 日にかけての夜に行われるという。 「恋人の旋律が聴こえてくるが、今やグロテスクで卑しい踊り。彼女は悪魔の宴に加わる」。小クラリネットによって「恋人の主題」が姿を見せるが、下品な表情に。彼女も化け物になっているのだろうか。金管群の強固さ、バリバリ度、鐘の音もかなり陰湿だ。テューバなどで吹奏される『怒りの日(ディエス・イレ)』もおどろおどろしい。フレーズ事に厚みをつけながら徐々に加速感を増してゆく。そして一気呵成に終幕を迎える。かなりお勧めのライブ盤である。

2020年4月5日日曜日

ドヴォルザーク 交響曲第1番_ケルテス

イシュトヴァン・ケルテス ロンドン交響楽団による「ドヴォルザーク 交響曲全集」より交響曲第1番ハ短調OP.3(B9)「ズロニツェの鐘」<1966年12月1日~3日録音>を聴いている。ズロニツェはプラハ北西部にある町。ドヴォルザーク少年が初めて音楽を勉強した小さな町です。
各楽章の調性を見ると①ハ短調②変イ長調③ハ短調④ハ長調で、ピンとくる方なら「あれ、ベンちゃんの運命と同じやん」と気づくであろう。23歳の時の作品であるが、ベートヴェン風とは言い難く、極めて旋律的でシューベルトやワグナーなどの影響を感じる。いずれにしても多くの作曲家の影響を受けた時期の作品と言えるであろう。
序奏付きの第1楽章は、軽騎兵の突撃合図のような動機の序奏で始まり、モルダウに似た弦楽群による第一主題が提示されていく。ドヴォルザークらしいドラマチックなメロディーラインが印象的だ。ケルテス盤は提示部の繰り返しを行っているがこれは、全集録音だからであろう。(通常は省略)
第2楽章Adagioは、ドヴォルザークらしさ満点の美しい旋律と歌心溢れる楽章だ。木管群の哀愁のメロディがポイント。中間部では、モーツァルトの「後宮からの逃走」を思わせる旋律が出てきたり、後半部に二重フガートが使われいるのも面白い。
第3楽章は、明記こそないがスケルツォに相当。様々なリズムとメロディが展開され、最後にドンと行くと思わせ、シュット終わる所は8番に通じるものがある。
終楽章、1楽章同様騎兵ラッパのような主題がオーボエによってもたらされる。複雑な変化はないものの木管群が起点となりオーケストレーションの面白さを味わえる楽章。極めて陽気な旋律の中、華やかなに曲を締めくくる。
1番はある意味まだ、民族的な要素をさほど見せていない作品であるといえるだろう。