2007年2月18日日曜日

雨の日は何故か

雨に日は、何故かペルゴレージ「スタバト・マーテル」が聴きたくなる。
スターバト・マーテルとは、13世紀のイタリアの修道士、ヤコポーネ・ダ・トーデが書いたとされるラテン語詩で、18世紀には「聖母マリアの七つの悲しみの祝日」のためのセクエンツィアとしてローマ教会の公式ミサ典礼曲に採用された。普通、「悲しみの聖母」と訳されることが多いだろうか。わが子イエス・キリストが磔刑となった際、母マリアが受けた悲しみを思う内容となっている。
ペルゴレージのスターバト・マーテルは、ソプラノとアルトの二重唱に弦楽というシンプルな編成で、美しいメロディとハーモニーを響かせる30分ほどの音楽で、病弱であったペルゴレージの最後の作品でもある。ペルゴレージは、若くして26歳でこの世を去っているのだが、病床でこの曲に取り組んでいたところは、モーツァルトを彷彿させる。

さてこの曲は、12章(曲)からなっていますが、とにかく一曲目から惹きこまれ美しさを持っています。たまには、こういう曲を聴く休日があってもいいかな。

歌詞)

悲しむ聖母がたたずんでおられた。
十字架の下で涙にむせばれていた。
御子が十字架にかかっていたからです。
嘆かれ
悲しまれ、苦しまれる聖母の魂を
剣が刺し貫いていたからです。
おお、なんという悲しみと傷つき方だろう、
祝福された
神のひとり子の母だったというのに。
聖母は悲しみ、苦しまれていた。
聖母はふるえ、見つめておられた。
誰も知らぬ人はいない御子の救いのわざを。

涙しない者がいるだろうか、
キリストの母を目にして。
そのような苦しみの中の聖母を見て。

悲しまない者があろうか?
あわれみ深い聖母のことを思い浮かべて。
御子と共に苦しまれた聖母のことを。


ご自分の民の罪のために
イエスが責められ、
鞭打たれるのを聖母は見ておられた。


愛する御子が

死の苦しみに打ちすてられ、
息絶えるのを見ておられた。
ああ、愛の泉である御母よ、
わたしにもあなたと同じ悲しみを感じさせ、
あなたと共に苦しませて下さい。
聖母よ、お願いします。
十字架の傷を
わたしの心の力とさせて下さい。

あなたの御子が傷つけられたのは
わたしのためでした。
わたしにもその苦しみを分け与えて下さい。

あなたと共に真実の涙を流し、 
十字架の苦難を味合わせて下さい。
わたしが生きている限り。

十字架の下であなたと共に立ち、
進んであなたと
悲しみを共感したいのです。

乙女の中でもすぐれた乙女よ、
どうかわたしを退けずに
一緒に嘆かせて下さい。
わたしにキリストの死と
受難の道を歩ませて下さい。
わたしにイエスの傷をもう一度つけて下さい。

わたしに傷を負わせて下さい。
十字架を味合わせて下さい。
御子の愛に報いるために。
地獄の火と炎から
乙女よ、わたしをお守り下さい、
裁きの日には。

わたしを十字架によって守護し、
キリストの死によって守り、
わたしを恵みで満たして下さい。
この体が死を迎える時、
わたしの魂に
天国の栄光を与えて下さいますように。
アーメン。

12曲目「肉体は死んで朽ち果てるとも」は、以前(06/5/1)、映画「アマデウス」で使われていたと書いたが、今日は、第5曲目「Quis est homo~涙しなものはいるだろうか」を紹介する。
まず、ソプラノとアルトが語り合うように交互に歌い始める。終盤突如として、鞭打ちのような8分音符の連打が入る。それでは、お聴きください。音源は、古楽器による、アレッサンドリーニ/コンチェルト・イタリアーノ盤です。弦は一声部ひとりだけ(5人)の最少人数編成。ほとんど室内楽です。鋭角的な古楽器奏法でアクセントを効かせ、歌唱も表情たっぷり、聖母マリアの慟哭を見事に表現した、個性的で緊張感あふれる演奏です。05pergolesi_quis_est_homo(クリック)。

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