モーツァルトは、4つのホルン協奏曲を書いているが、第15弾はそれとは違います。
ホルン協奏曲も大好きなのでいずれ登場しますが、第15弾は、「ディヴェルティメント 第2番 ニ長調 K131」です。
その後のK136.137.138のおかげで、あまり有名ではありませんが、個人的にはこちらをよく聴きます。この曲はなんとヴァイオリン2、ヴィオラ2、バス、フルート、オーボエ、ファゴット、そしてホルン4つという変わった編成です。
ホルンの独壇場は、2つ目のMenuetto(第5楽章)。最初のトリオでホルンが高らかにそして牧歌的な響きでメロディーを歌い上げます。続く第2トリオはフルートが優しく優雅に囁き、第3トリオは、弦がしなやかに。演奏会などでは、1つ目のMenuetto(第3楽章)がよくとりあげられるでしょうか。あえて、今日は第5楽章を聴いてください。短い曲です。
k.131 - 5. Menuetto (クリック)。それではお楽しみください。
おっと、やはりこの曲を紹介するならAdagioもとりあげないと、K131ファンに怒られますね。と書いてる本人が一番納得しません。「This is Mozart」とも云うべき美しさと優しさに溢れた旋律。このAdagioには木管は登場しません。弦楽四重奏です。そしてウォルフガング旋律美の王様「イ長調」。哀愁もロマンも悲しみもたぶんありません。でもただただ美しいのです。生きる喜びに感謝する、自然に抱かれているのを感謝する、そんな旋律です。
お聴きください。k.131 - 2. Adagio(クリック)。
2007年3月17日土曜日
2007年3月11日日曜日
癖になる音
2/10に美しいメロディーの代表としてボロディンの弦楽四重奏曲第二番第3楽章「ノクターン」を紹介した。この曲は、このまま終わってもいい、いや終わるべきだと思うのだが、実はその後に一種独特のフモールとも言うべき第4楽章{フィナーレ~アンダンテ・ヴィヴァーチェ}がある。
kenさんのブログ2/20「音は自然に寄り添うものだ」でアンサンブルの妙が紹介されているのでご覧いただきたい。正直に述べると、「なんじゃあこりゃあ」という怪しい音で始まる。しかし、その後に出てくる自由闊達な足音のような流れるテンポの中で、弦が一糸乱れず蠢くので話は変わる。半音階の4部音符と全音階の8分音符の違った動機が不思議と合うのだ。鬱なチェロと躁のヴィオラと言ったところか。確かにkenさんが書いているように、もし下手な演奏家のアンサンブルなら聴けたもんじゃないだろう。それこそ「なんじゃこりゃあ」で終わってしまう。しかし、聴けば聴くほど癖になるのだ。このボロディンの第4楽章は。
それではボロディン四重奏団でお聴きください。borodin_2_4 (クリック)。
kenさんのブログ2/20「音は自然に寄り添うものだ」でアンサンブルの妙が紹介されているのでご覧いただきたい。正直に述べると、「なんじゃあこりゃあ」という怪しい音で始まる。しかし、その後に出てくる自由闊達な足音のような流れるテンポの中で、弦が一糸乱れず蠢くので話は変わる。半音階の4部音符と全音階の8分音符の違った動機が不思議と合うのだ。鬱なチェロと躁のヴィオラと言ったところか。確かにkenさんが書いているように、もし下手な演奏家のアンサンブルなら聴けたもんじゃないだろう。それこそ「なんじゃこりゃあ」で終わってしまう。しかし、聴けば聴くほど癖になるのだ。このボロディンの第4楽章は。
それではボロディン四重奏団でお聴きください。borodin_2_4 (クリック)。
2007年3月10日土曜日
天上の音楽~モーツァルトを語る 第14弾
第14弾は「ディヴェルトメント 変ホ長調 K.563」。
まさに天上の音楽。私は、朝いつも通勤電車で、この曲を聴きながら新聞や本を読んでいます。なんという贅沢。混雑している周りを気にすることなく自分の世界に入り込めます。
アインシュタインは、「この世で耳にする中で最も完璧で最も繊細な曲である」と絶賛しています。
6楽章からなる曲は、弦楽三重奏で、一見小さい編成だが、だからこそ難しい編成であるにもかかわらず、見事な和音や技巧で、美しいメロディーを作り出しています。ケッヘル番号でわかるとおり、かなり後期の曲です。1988年、あのジュピターの1ヵ月後に作曲されました。モーツァルト自身も2度ほど演奏しているみたいです。パートは、ヴィオラ。多分この曲でキーを握っている楽器だからでしょうか。モーツァルトファンにお勧め作品ベスト10を選んでもらうと、必ず入ってくる曲だと私は思っています。全てをアップしたいのですが、いずれまた。
今日は、第一楽章をお聴きください。
k.563 - 01 (クリック)してください。
まさに天上の音楽。私は、朝いつも通勤電車で、この曲を聴きながら新聞や本を読んでいます。なんという贅沢。混雑している周りを気にすることなく自分の世界に入り込めます。
アインシュタインは、「この世で耳にする中で最も完璧で最も繊細な曲である」と絶賛しています。
6楽章からなる曲は、弦楽三重奏で、一見小さい編成だが、だからこそ難しい編成であるにもかかわらず、見事な和音や技巧で、美しいメロディーを作り出しています。ケッヘル番号でわかるとおり、かなり後期の曲です。1988年、あのジュピターの1ヵ月後に作曲されました。モーツァルト自身も2度ほど演奏しているみたいです。パートは、ヴィオラ。多分この曲でキーを握っている楽器だからでしょうか。モーツァルトファンにお勧め作品ベスト10を選んでもらうと、必ず入ってくる曲だと私は思っています。全てをアップしたいのですが、いずれまた。
今日は、第一楽章をお聴きください。
k.563 - 01 (クリック)してください。
2007年3月4日日曜日
オルガン~モーツァルトを語る 第13弾
第13弾は、「教会ソナタ 第1番 変ホ短調 K.67」「教会ソナタ 第17番 ハ長調 K.336」の2曲です。コロレド大司教の下、宮廷お抱え音楽家であったモーツァルトにとって、教会のミサのための音楽を作曲することは、重要な仕事でした。ザルツブルグでの当時のミサに用いられる音楽の中に「ソナタ・アレピストラ」という曲が含まれていおり、モーツァルトが残した17曲の教会ソナタはこの部類に属します。すべてが、1楽章形式で短いものです。編成は、ほとんどがヴァイオリン1、2、バス、オルガンです。中には、モーツァルトが大嫌いなトランペットその他オーボエ、ティンパニー、ホルン、チェロが加わっている曲もあります。(14番や15番)。そして17番だけは「オルガン協奏曲」とも呼べるソナタ形式で描かれています。初版は、1780年にオッフエンバッハのアンドレ社より「オルガン、またはピアノのためのソナタ」として出版されました。当時は、モーツァルト自身がオルガンを弾いていたと思われます。
さて1番ですが、10歳の時に作曲されたものです。信じられません。まさに奇跡のメロディーーーーーー。どこか優しさに溢れています。
それでは、お聴きください。17_k.336(クリック)01_k67(クリック)。
演奏は、Chorzempa, Deutsche Bachsolisten, Winschermann です。
2007年2月25日日曜日
3分間~モーツァルトを語る 第12弾
誰もがこの3分間で優しい気持ちになれると思っている曲を紹介しよう。第12弾は、「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調 K424」です。
友人のミヒャエル・ハイドンはコロレド司教から6曲のヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲を命じられるが、4曲を完成させたところで、病気になってしまう。当時ウィーンに住んでいたモーツァルトは、妻のコンスタンツェとともにたまたまザルツブルクに帰省した際、ミヒャエル・ハイドンが病気で役目を果たせないでいることを知り、ミヒャエル・ハイドンの手法にならって急遽作曲したのが、K423,K424の2曲である。たった2日で仕上げたといわれている。ミヒャエル・ハイドンといえば、こんにち欠番になっている交響曲第37番の本当の作曲者で、時間がない売れっ子だったモーツァルトが急遽、序奏をつけて演奏した曲です。それで、現在は欠番にしているか、序奏のみ演奏するかのどちらかになっているのです。
さてK424に戻ります。
第一楽章の出だしは、弦楽四重奏曲のK387の第4楽章の出だしと同じ音使いで始まります。その後の歌うようなヴァイオリンは美しくヴィオラを従えて軽やかに踊っていきます。
第二楽章のアンダンテ・カンタービレは、人の心を優しくしてくれます。腹が立って納まりがつかない時はこの曲を聴いてください。きっと心が静かになれます。
それでは、第二楽章をお聴き下さい。
k.424 - 2.Andantecantabile(クリック)。
2007年2月24日土曜日
オーボエの名曲~モーツァルトを語る 第11弾
第11弾は、オーボエとまいりましょう。といっても「のだめの黒木君」のオーボエ協奏曲ハ長調K314ではありません。
期待された方、ごめんなさい。いずれそちらも紹介します。
「オボーエ四重奏曲ヘ長調K370」である。名オーボエ奏者にして友人のフリードリッヒ・ラムのためにミュンヘンで作曲されました。第2楽章には、めずらしく「カデンツァ」の機会が与えられています。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロはオーボエの引き立て役に留まることなく、時には主役のオーボエと積極的に対話をしていくところも魅力の一つです。しかし何といってもオーボエの美しい音に皆魅了されずにはいられないでしょう。オーボエ奏者にとっての至宝の一曲です。今日は、病気のため頭がさっぱり廻らず、うまい言葉がでてきません。
それでは、mozart_k.370 (クリック)お聴きください。演奏はAmerican Baroqueです。
風邪の日はバロック?
昨日の午前中から、完全に風邪をひいた。私の場合、咳も鼻水も熱も出ない。ただ身体が異常に痺れてだるくなるのだ。いつものことだ。1年に1度、この2月~3月初旬にかけて必ずと言っていいほどこの日が来る。何もしたくない。本当なら、玄関側のベニハナトキワマンサクを移植したかったのだが、今日は無理。こんな日は、バロックを聞いておとなしくしていよう。
まずは、ブランデンブルグ4番でも聴こうか。
bach_no.4 in G Major BWV 1049 - I Allegro (クリック)。
まずは、ブランデンブルグ4番でも聴こうか。
bach_no.4 in G Major BWV 1049 - I Allegro (クリック)。
2007年2月18日日曜日
雨の日は何故か
雨に日は、何故かペルゴレージ「スタバト・マーテル」が聴きたくなる。
スターバト・マーテルとは、13世紀のイタリアの修道士、ヤコポーネ・ダ・トーデが書いたとされるラテン語詩で、18世紀には「聖母マリアの七つの悲しみの祝日」のためのセクエンツィアとしてローマ教会の公式ミサ典礼曲に採用された。普通、「悲しみの聖母」と訳されることが多いだろうか。わが子イエス・キリストが磔刑となった際、母マリアが受けた悲しみを思う内容となっている。
ペルゴレージのスターバト・マーテルは、ソプラノとアルトの二重唱に弦楽というシンプルな編成で、美しいメロディとハーモニーを響かせる30分ほどの音楽で、病弱であったペルゴレージの最後の作品でもある。ペルゴレージは、若くして26歳でこの世を去っているのだが、病床でこの曲に取り組んでいたところは、モーツァルトを彷彿させる。
さてこの曲は、12章(曲)からなっていますが、とにかく一曲目から惹きこまれ美しさを持っています。たまには、こういう曲を聴く休日があってもいいかな。
歌詞)
悲しむ聖母がたたずんでおられた。
十字架の下で涙にむせばれていた。
御子が十字架にかかっていたからです。
嘆かれ
悲しまれ、苦しまれる聖母の魂を
剣が刺し貫いていたからです。
おお、なんという悲しみと傷つき方だろう、
祝福された
神のひとり子の母だったというのに。
聖母は悲しみ、苦しまれていた。
聖母はふるえ、見つめておられた。
誰も知らぬ人はいない御子の救いのわざを。
涙しない者がいるだろうか、
キリストの母を目にして。
そのような苦しみの中の聖母を見て。
悲しまない者があろうか?
あわれみ深い聖母のことを思い浮かべて。
御子と共に苦しまれた聖母のことを。
ご自分の民の罪のために
イエスが責められ、
鞭打たれるのを聖母は見ておられた。
愛する御子が
死の苦しみに打ちすてられ、
息絶えるのを見ておられた。
ああ、愛の泉である御母よ、
わたしにもあなたと同じ悲しみを感じさせ、
あなたと共に苦しませて下さい。
聖母よ、お願いします。
十字架の傷を
わたしの心の力とさせて下さい。
あなたの御子が傷つけられたのは
わたしのためでした。
わたしにもその苦しみを分け与えて下さい。
あなたと共に真実の涙を流し、
十字架の苦難を味合わせて下さい。
わたしが生きている限り。
十字架の下であなたと共に立ち、
進んであなたと
悲しみを共感したいのです。
乙女の中でもすぐれた乙女よ、
どうかわたしを退けずに
一緒に嘆かせて下さい。
わたしにキリストの死と
受難の道を歩ませて下さい。
わたしにイエスの傷をもう一度つけて下さい。
わたしに傷を負わせて下さい。
十字架を味合わせて下さい。
御子の愛に報いるために。
地獄の火と炎から
乙女よ、わたしをお守り下さい、
裁きの日には。
わたしを十字架によって守護し、
キリストの死によって守り、
わたしを恵みで満たして下さい。
この体が死を迎える時、
わたしの魂に
天国の栄光を与えて下さいますように。
アーメン。
12曲目「肉体は死んで朽ち果てるとも」は、以前(06/5/1)、映画「アマデウス」で使われていたと書いたが、今日は、第5曲目「Quis est homo~涙しなものはいるだろうか」を紹介する。
まず、ソプラノとアルトが語り合うように交互に歌い始める。終盤突如として、鞭打ちのような8分音符の連打が入る。それでは、お聴きください。音源は、古楽器による、アレッサンドリーニ/コンチェルト・イタリアーノ盤です。弦は一声部ひとりだけ(5人)の最少人数編成。ほとんど室内楽です。鋭角的な古楽器奏法でアクセントを効かせ、歌唱も表情たっぷり、聖母マリアの慟哭を見事に表現した、個性的で緊張感あふれる演奏です。05pergolesi_quis_est_homo(クリック)。
スターバト・マーテルとは、13世紀のイタリアの修道士、ヤコポーネ・ダ・トーデが書いたとされるラテン語詩で、18世紀には「聖母マリアの七つの悲しみの祝日」のためのセクエンツィアとしてローマ教会の公式ミサ典礼曲に採用された。普通、「悲しみの聖母」と訳されることが多いだろうか。わが子イエス・キリストが磔刑となった際、母マリアが受けた悲しみを思う内容となっている。
ペルゴレージのスターバト・マーテルは、ソプラノとアルトの二重唱に弦楽というシンプルな編成で、美しいメロディとハーモニーを響かせる30分ほどの音楽で、病弱であったペルゴレージの最後の作品でもある。ペルゴレージは、若くして26歳でこの世を去っているのだが、病床でこの曲に取り組んでいたところは、モーツァルトを彷彿させる。
さてこの曲は、12章(曲)からなっていますが、とにかく一曲目から惹きこまれ美しさを持っています。たまには、こういう曲を聴く休日があってもいいかな。
歌詞)
悲しむ聖母がたたずんでおられた。
十字架の下で涙にむせばれていた。
御子が十字架にかかっていたからです。
嘆かれ
悲しまれ、苦しまれる聖母の魂を
剣が刺し貫いていたからです。
おお、なんという悲しみと傷つき方だろう、
祝福された
神のひとり子の母だったというのに。
聖母は悲しみ、苦しまれていた。
聖母はふるえ、見つめておられた。
誰も知らぬ人はいない御子の救いのわざを。
涙しない者がいるだろうか、
キリストの母を目にして。
そのような苦しみの中の聖母を見て。
悲しまない者があろうか?
あわれみ深い聖母のことを思い浮かべて。
御子と共に苦しまれた聖母のことを。
ご自分の民の罪のために
イエスが責められ、
鞭打たれるのを聖母は見ておられた。
愛する御子が
死の苦しみに打ちすてられ、
息絶えるのを見ておられた。
ああ、愛の泉である御母よ、
わたしにもあなたと同じ悲しみを感じさせ、
あなたと共に苦しませて下さい。
聖母よ、お願いします。
十字架の傷を
わたしの心の力とさせて下さい。
あなたの御子が傷つけられたのは
わたしのためでした。
わたしにもその苦しみを分け与えて下さい。
あなたと共に真実の涙を流し、
十字架の苦難を味合わせて下さい。
わたしが生きている限り。
十字架の下であなたと共に立ち、
進んであなたと
悲しみを共感したいのです。
乙女の中でもすぐれた乙女よ、
どうかわたしを退けずに
一緒に嘆かせて下さい。
わたしにキリストの死と
受難の道を歩ませて下さい。
わたしにイエスの傷をもう一度つけて下さい。
わたしに傷を負わせて下さい。
十字架を味合わせて下さい。
御子の愛に報いるために。
地獄の火と炎から
乙女よ、わたしをお守り下さい、
裁きの日には。
わたしを十字架によって守護し、
キリストの死によって守り、
わたしを恵みで満たして下さい。
この体が死を迎える時、
わたしの魂に
天国の栄光を与えて下さいますように。
アーメン。
12曲目「肉体は死んで朽ち果てるとも」は、以前(06/5/1)、映画「アマデウス」で使われていたと書いたが、今日は、第5曲目「Quis est homo~涙しなものはいるだろうか」を紹介する。
まず、ソプラノとアルトが語り合うように交互に歌い始める。終盤突如として、鞭打ちのような8分音符の連打が入る。それでは、お聴きください。音源は、古楽器による、アレッサンドリーニ/コンチェルト・イタリアーノ盤です。弦は一声部ひとりだけ(5人)の最少人数編成。ほとんど室内楽です。鋭角的な古楽器奏法でアクセントを効かせ、歌唱も表情たっぷり、聖母マリアの慟哭を見事に表現した、個性的で緊張感あふれる演奏です。05pergolesi_quis_est_homo(クリック)。
2007年2月12日月曜日
アリアのごとく~モーツァルトを語る 第10弾
記念すべき(自分だけだが)第10弾は、「ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216」である。モーツァルトは、ヴァイオリン協奏曲をわずか5曲しか(7曲ということもあるが)書いていない。それも、19歳(1975年)にしか作曲されていないのだ。(不思議です:名曲K364はありますが)
とにかく3番の明朗にして優雅な美しい旋律には溜飲が下がります。
第一楽章は、ソナタ形式。まず重音で始まるリズミカルな第一主題(おしゃべりをやめない貴族らを音楽に惹きつけるがごとく)、ホルンが引き継ぎオーボエが応える流れるような素朴な第二主題、そして壮大な展開部へ。
そして第二楽章には、まいります。あの映画「アマデウス」でのサリエリのように楽譜を落としてしまいそうです。弱音器をつけた弦の合奏と柔らかいフルートの音色の中で、独奏のヴァイオリンがデリケートな情感をもって柔らかく進んでいきます。優しい心を歌うアリアのように。
第3楽章はアレグロのロンド形式で書かれていますが、主題の間に挿入された民謡調の軽快なアレグレットのメロディーがまたかわいらしいこと。しかし終わり方がちょっと淡白だけど。いずれにしてもどの章でも、時折覗かせる短調がまた抜群の味付けとなっている。
それでは、その中でやっぱり第二楽章をお聴きください。
演奏は、アーノンクル+クレーメルです。グリュミオーを期待した方々すいません。
k.216 - 2.Adagio (クリック)。
2007年2月10日土曜日
2007年2月3日土曜日
ローディー~モーツァルトを語る 第9弾
第九弾は、モーツァルト14歳の作品「弦楽四重奏曲第1番 ト長調 K.80 {ローディー}」。モーツァルトは、13歳の時に始めてのイタリア旅行に出かけている。
1969年12月13日から1971年3月28日までの1年4ヶ月もの旅行だ。
その旅行でミラノからボロ-ニャに向かう途中「ローディー」という町で書かれたとされるのがこの作品だ。ローディーは、イタリアのロンバルディア州の県都で現在は人口4万強の小さな町である。最初は、第3楽章まで出来ていて18歳の時最終楽章のロンドを書き加えている。第1楽章のアダージョの透き通るメロディーは美しい。そしてこの曲は、モーツァルト独特の所謂、モーツァルト音型なるものが様々に登場する。「あっこの音!」ってな感じで。それでいて何故か聴いていてホッとする曲だ。14歳でね~。天才モーツァルトの将来を予見する1曲ではないだろうか。この曲の構成は極めて単純なためハーモニーは重要な要素です。
それでは、透明で明るい音色の今はなきイタリア弦楽四重奏団でお聴きください。K.80.mp3 (クリック)。
2007年2月1日木曜日
アンダンテ カンタービレ
最近、TV・漫画「のだめカンタービレ」のおかげでクラシックブームだという。
秋川雅史の「千の風にのって」が紅白出場でオリコン1位になったりもしている。
それにしても確かにカンタービレという言葉が有名なった。
さて私にとってカンタービレといえば、やはりチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11の第二楽章~アンダンテ・カンタービレということになろうか。
1876年12月、モスクワにきた文豪トルストイに敬意を表して、ニコライ・ルービンシテインは特別の音楽会を催した。この時「アンダンテ・カンタービレ」が演奏され、チャイコフスキーの隣に座っていたトルストイが感動のあまり、この曲を聴きながら涙を流しはじめたというエピソードは有名である。妹アレクサンドラの領地ウクライナのカメンカで職人がを歌っていた「ワーニャは長椅子に座って、コップにラム酒を満たす、満たしもやらずもエカチェリーナのことを思う」という歌詞の民謡をもとにしているらしいが、それにしても美しいメロディーである。どこまでも広がる大地を思い浮かべながら聴くといい。心を落ち着けたい時、心を休めたい時、ぜひどうぞ。
それでは、andante_cantabile(クリック)をお聴きください。演奏はエマーソン四重奏団です。
秋川雅史の「千の風にのって」が紅白出場でオリコン1位になったりもしている。
それにしても確かにカンタービレという言葉が有名なった。
さて私にとってカンタービレといえば、やはりチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11の第二楽章~アンダンテ・カンタービレということになろうか。
1876年12月、モスクワにきた文豪トルストイに敬意を表して、ニコライ・ルービンシテインは特別の音楽会を催した。この時「アンダンテ・カンタービレ」が演奏され、チャイコフスキーの隣に座っていたトルストイが感動のあまり、この曲を聴きながら涙を流しはじめたというエピソードは有名である。妹アレクサンドラの領地ウクライナのカメンカで職人がを歌っていた「ワーニャは長椅子に座って、コップにラム酒を満たす、満たしもやらずもエカチェリーナのことを思う」という歌詞の民謡をもとにしているらしいが、それにしても美しいメロディーである。どこまでも広がる大地を思い浮かべながら聴くといい。心を落ち着けたい時、心を休めたい時、ぜひどうぞ。
それでは、andante_cantabile(クリック)をお聴きください。演奏はエマーソン四重奏団です。
2007年1月21日日曜日
春を待つ~モーツァルトを語る 第8弾
第八弾は、春を待つこの時期にふさわしい「ヴァイオリンソナタ 第28番 変ホ短調 K304」だ。何故この曲を選んだか。それは数あるヴァイオリンソナタの中で唯一短調で書かれた曲だからである。K301からK306のヴァイオリンソナタは通称「マンハイムソナタ」と呼ばれている。しかしこの曲はパリで完成している。
第1楽章の冒頭のピアノとヴァイオリンのユニゾンはとにかく悲しい。まるでシチリアーノのようなメロディーだ。深い寂寥感。しかしこれを突き破るような長調のテーマ。そしてまた悲しみのメロディーに。音楽性の詳しくは{池晋}が書いている(モーツァルトの音符たち)ので省略だ。
私が好きなのは、何といっても第2楽章の冒頭である。ピアノで始まり、ヴァイオリンで繰り返すこの第1テーマは、「はかなく切ない」とはこの音であるとしか言いようがない。やっぱりモーツァルトはすごい。
それでは、k.304.2.(クリック)をお聴きください。
2007年1月15日月曜日
国歌
タイトルは、「国歌」だが別に国粋的なことを書くつもりはありません。
まずフランス国歌「ラ・マユセイエーズ」について。
その歌詞の日本語訳を見ると驚かされる。
祖国の子どもたちよ、栄光の日がやってきた!
我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗がかかげられた
血塗られた軍旗がかかげられた
どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか?
子どもや妻たちの首をかっ切るために、
やつらは我々の元へやってきているのだ!
武器をとれ、市民たちよ 自らの軍を組織せよ
前進しよう、前進しよう!
我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!
日本の「君が代」は天皇賛歌だと批判されるが、フランス国歌に比べれば、可愛らしいもんだと思う。
さて本題に入ろう。非常に美しいメロディーの国歌がある。サッカーワールドカップで何度も聴いた。
そう ドイツ国歌である。ドイツ国歌は、ハイドン作曲 弦楽四重奏曲OP76-3 第77番ハ長調「皇帝」なのだ。もとはこれは、オーストリア国歌だった。
なにせハイドンはオーストリア人なんだから。快活かつさわやか そして甘美。そんな曲である。
それでは、原曲 emperor_poco_adagio_cantabile (クリック)をお聴きください。
まずフランス国歌「ラ・マユセイエーズ」について。
その歌詞の日本語訳を見ると驚かされる。
祖国の子どもたちよ、栄光の日がやってきた!
我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗がかかげられた
血塗られた軍旗がかかげられた
どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか?
子どもや妻たちの首をかっ切るために、
やつらは我々の元へやってきているのだ!
武器をとれ、市民たちよ 自らの軍を組織せよ
前進しよう、前進しよう!
我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!
日本の「君が代」は天皇賛歌だと批判されるが、フランス国歌に比べれば、可愛らしいもんだと思う。
さて本題に入ろう。非常に美しいメロディーの国歌がある。サッカーワールドカップで何度も聴いた。
そう ドイツ国歌である。ドイツ国歌は、ハイドン作曲 弦楽四重奏曲OP76-3 第77番ハ長調「皇帝」なのだ。もとはこれは、オーストリア国歌だった。
なにせハイドンはオーストリア人なんだから。快活かつさわやか そして甘美。そんな曲である。
それでは、原曲 emperor_poco_adagio_cantabile (クリック)をお聴きください。
2007年1月4日木曜日
2007年 正月 - モーツァルトを語る 第7弾
12/31NHK モーツァルト・イヤー2006ハイライト みてしまいました。そのあと録画で、何度もある1曲だけを繰り返し繰り返し聴いています。
クレーメル・バシュメット う~んジジイになったなあ、いやいやでも最高でした。
ということで第七弾は、「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調 K.364」である。やはりこの曲は紹介せねばならないだろう。
アインシュタインは「ヴィオラはより明るく、より輝かしく響いて、オーケストラのヴィオラ群からくっきり浮き出なくてはならない。この二重コンチェルトは、モーツァルトがヴァイオリン・コンチェルトで追求したものの頂点でもある。」と書いている。
悲哀の満ちた第2楽章を聴くと、ヴァイオリンとヴィオラのすすり泣きに思わず涙してしまうのは私だけではないだろう。単に古典派音楽と呼んでいいはずがない。単純にそう思う。23歳の青年が何を思い描けばこのメロディーが出てくるのであろうか。母の死か、アロイジアとの別れか などとよく書かれているが、果たしてそれだけだろうか。凡庸なる者には理解できないか。
まあとにかくsymphonia_concertante_in_es_dur_andante_k_364 (クリック)をお聴きください。
若き日のクレーメル、指揮アーノンクール(ウィンフィル)でお届けします。よかったらコメントもお願いします。
2006年12月30日土曜日
新たなモーツァルト作品
【ウィーン30日共同】今年で生誕250年の天才音楽家モーツァルト(1756-91年)が幼少期に作曲した可能性が極めて高く、これまで知られていなかった新たなピアノ曲が29日、モーツァルト生誕の地オーストリア・ザルツブルクで演奏された。楽譜は、ザルツブルク大司教区の文書保管所が数カ月前に入手した18世紀後半の楽譜本の中から見つかった。「ウォルフガング・モーツァルトのアレグロ」と書かれている。
同保管所のヒンターマイヤー氏によると、一部欠損もある楽譜本は紙や筆跡の分析から当時モーツァルト一家と関係のあった教会の音楽教師らが書いたとみられ、すでに知られているモーツァルトの曲も含む。同氏はピアノ曲について、モーツァルト作品に間違いないと話している。
2006年12月17日日曜日
冬もアマデウス - モーツァルトを語る 第6弾
第六弾は、弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 K.465「不協和音」。第三弾の「春」に続き、ハイドンセットからです。
この曲の特徴は、題名にあるように「不協和音」から始まる。そしてそれは、2分あまりの序奏の(出だしの22小節の和音効果)だけである。低音のチェロに始まり、ビオラ、第2バイオリン、第1バイオリンと少しずつ遅れながら入ってゆくのだが、その音が、「ド」「嬰ソ(ソの半音上)」「変ミ(ミの半音下)」「ラ」となっており、「嬰ソ」と「ラ」は半音違いしかないわけで、調和していない濁った響きになる。連結すべき2個の和音の構成音のうちに半音階的関係を成す2音が含まれる場合には,それらの2音を同一声部で処理しなければならないという規則がある。(それに反することを「対斜」というが)この禁を破ったのだからたまらない。これがこの曲が「不協和音」と呼ばれる所以である。しかし、現代に生きる我々にはそれは、さほど奇異に感じない音なのだ。ロマン派・現代音楽を経て、こういう音があるとわかっているからだ。しかしモーツァルトの生きた18世紀では理解されなかったであろうと想像する。ハイドンに献呈された中にこれがあるのは、ハイドンならこの斬新さがわかってくれると思ったのではないだろうか。
さて、その不協和音部分はおいといて、それに続くアレグロの主題の快活さはなんだろう。いつもの秩序を取り戻した響きに満ちた音のシャワー。陽の光が燦々と降り注ぐ大地にいるのような気分にさせてくれる。形も色も距離も極めて明確な音楽とはこのことか。
それでは、k.465- 1.Adagio.mp3 (クリック)をお聴きください。
2006年11月26日日曜日
十字架上のキリストの最後の7つの言葉
久しぶりにCDを購入。ハイドン作曲 弦楽四重奏曲版 「十字架上のキリストの最後の言葉」~エマーソン弦楽四重奏団 である。輸入版を買ったので、1000円程安かった。
はじめ司祭による言葉と管弦楽という編成で作曲されたこの作品は、後に作曲者自身によって弦楽四重奏曲用に編曲され、これが人気を呼び、さらには独唱、合唱、管弦楽による大規模なオラトリオ版も作曲された。スペインのカディス大聖堂の依頼により作曲されたもので、聖金曜日に、福音書の七つの言葉を読み瞑想する時間に演奏されるための音楽となっている。調性は、ニ短調。
- 序曲
- 第1ソナタ 「父よ!彼らの罪を赦したまえ」 Largo
- 第2ソナタ 「おまえは今日、私と共に楽園にいる」 Grave e cantabile
- 第3ソナタ 「女性よ、これがあなたの息子です」 Grave
- 第4ソナタ 「わが神よ!何故私を見捨てたのですか?」 Largo
- 第5ソナタ 「渇く!」 Adagio
- 第6ソナタ 「果たされた!」 Lento
- 第7ソナタ 「父よ!あなたの手に私の霊を委ねます」 Largo
- 地震 Presto e con tutta la forza
演奏のエマーソン弦楽四重奏団は、アメリカが建国200年を祝った記念すべき年である1976年に、フィリップ・セッツァーとユージン・ドラッガーというジュリアード音楽院に学ぶふたりのヴァイオリニストが、同窓生の他ふたりと一緒に結成した弦楽四重奏団である。
エマーソン弦楽四重奏団というこの演奏団体の名称は、アメリカの偉大な哲学者であるラルフ・ウォールド・エマーソンの名前に由来するものである。エマーソン弦楽四重奏団の結成後すぐにときめきと頭角を現し、2年後の1978年にはナハトマジーク室内楽賞を受賞した。そして、1980年にワシントンD.Cスミソニアン・インスティテートのイジデント・クワルテットになった彼らは、その2年後にはニューヨークのリンカーン・センター室内楽協会の第1レジデント・クワルテットにも迎えられ、それ以後は、ハートフォード大学のハート音楽学校で教授活動と演奏活動を行うレジデントになり、1983年にはアスペン音楽祭のレジデント・クワルテットとしても活動するようになった。1985年に初めてヨーロッパに演奏旅行を行なってセンセーショナルな成功を収めた彼らは、間もなく現代を代表する弦楽四重奏団のひとつとして数えられるようになったが、高度な演奏技術とシャープなモダンな感覚を兼備」した彼らはそれによって伝統と矛盾することのない新鮮でみずみずしい演奏様式を打ち出している。(グラモフォン:コメントより)
管弦楽版は持っていたので、とにかく「弦」が聴きたくて。聖堂で聴くには、管弦楽版のほうがいいかもしれないが、弦の引き締まった音は、第一音から背筋に電気が走るのだ。十字架のキリストを瞑想するには、弦楽四重奏曲があっているかもしれない。素人には、音楽性はわからないが、序曲と終曲{地震}以外、7つの言葉に合わせソナタが並ぶという異色さは、ハイドンならではかもしれない。
それでは、序曲introduzione_i__maestoso_ed_adagio(クリック)をお楽しみください。
2006年11月4日土曜日
芸術の秋 - モーツァルトを語る 第5弾
やはりこのところ、モーツァルト生誕250年でTV番組がよく組まれている。昨日も日本テレビで天才の謎をテーマに2時間番組が。
ミーハーの私はつい見てしまう有様。
そういえば、月9の「のだめカンタービレ」も娘の影響で見ているこの頃である。
2台のピアノのためのソナタ 二長調 K.448が、早速出てきたのには驚かされた。なにせモーツァルトは、<2台のため>は1曲しか作曲していないのだから。
さて第五弾は、「大ミサ曲ハ短調K.427」である。
これは、残念ながら未完の曲である。「クレド」は、途中のエト・インカルナトゥスは一部未完であり、クルチフィクスは書かれていない。「アニュス・デイ」は完全に欠落している。現在は、未完部分を補ったアロイス・シュミット版かロビンス・ランドン校版、最新のレヴァイン版が用いられる。
この曲は、誰からの依頼でもなく自分のために作曲されたものらしいが、初演でのソプラノは妻 コンスタンチェがつとめている。「キリエ」のソプラノの独唱にまず圧倒されてしまう。あわれみたまえ とはこういう音なのかと信じさせるにたるメロディーである。その音の先にキリストの十字架が臨める。(カトリック教徒でもないのに)不思議だ。グロリアの最終節の壮大なフーガは見事で、まるでオペラのラストのような輝きを放つ。クレドは、やっぱり エト・インカルナトゥス・エストのフルートとソプラノの美しい掛け合いだろう。神の恩寵はこうしてもたらされると言われれば、納得するかもしれない。ちなみに私のCDは、ウィーンフィル:レヴァイン指揮 ソプラノは、キャサリン・バトルである。
ブラボー アマデウス!!
それではkyrie_eleison(クリック)をお楽しみください。
2006年11月3日金曜日
芸術の秋 - モーツァルトを語る 第4弾
第四弾は、「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466」である。モーツァルトには、短調のピアノ協奏曲が2曲しかない。20番と24番だ。どちらも名曲である。この曲は、低音域で蠢く悲劇的な音で始まる。悲しみを奏でるピアノは圧巻。弦楽器のシンコペーションは重苦しく、哀願するピアノはカデンツァまで一瞬の緩みもなく続く。心を突き刺すようなファルテシモは、暗闇に出会った死神への驚きのようで恐怖がつきまとう。つづく第二楽章は、ロマンスと呼ばれている。変ロ長調による陽だまりのような甘美なメロディーで始まるが、突如として中間部のト短調では、嵐のような激情につつまれる。また、変ロ長調に戻り安らぎを迎える。第三楽章は、明るいリズムでハッピーエンドのようなエンディングを迎える。何故、この時代(宮廷音楽花盛り)にこのような曲が書けるのか?天才としか言い表せない。さて1984年アカデミー賞作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門の受賞に輝いた「アマデウス」に、この第一楽章と第二楽章が使われている。第一楽章は、サリエリが、父レオポルドに扮するためにマスクを買い、モーツァルトに鎮魂ミサ曲を依頼する場面で使われ、第二楽章は、ラストのサリエリが車椅子で去ってゆくエンディング、エンドロールに使われている。とにかくブラボー、アマデウス!!それでは、第二楽章k_466_2 (クリック)をお楽しみください。
2006年10月22日日曜日
芸術の秋 - モーツァルトを語る 第3弾
第三弾は、「弦楽四重奏曲第14番「春」ト長調K387」である。
14番から19番は、ハイドンセットと呼ばれている。
モーツァルト はハイドンの「ロシア・セット」に啓発され、6曲の弦楽四重奏曲(第14番~第19番)を作曲した。その1曲目がこの「春」で、第15番ニ短調 (K421)、第17番「狩」(K458)、第19番「不協和音」(K465)と、名曲ぞろいで、彼の弦楽四重奏曲全作品の中で頂点をなしている。
この6曲に、まる2年間をかけているが、筆の速い彼としては、異例の時間のかけようである。そこには尊敬するハイドンに捧げるために、全力を尽くす姿が見えてく る。さて、モーツァルトといえば、耳障りの良い肩のこらない曲ばかりが流布され、それがモーツァルトだと思われている。しかしモーツァルトがそうした肩のこらない曲ばかりしか作らなかったとしたら彼の名は現在のように音楽史に燦然と輝く存在とはならなかったであろう。4つの楽章からなるこの曲は、溌剌とした明るい第1楽章から始まり、第2楽章のメヌエット(ハイドン風に)、第3楽章のアンダンテ・カンタービレと続く。しかしなんといってもこの曲のすごいところは第4楽章モルト・アレグロである。簡単に言うと、5分足らずの中に技巧の粋が詰め込まれている。半音階の多用(モーツァルト・クロマティシズム)、そしてフーガとソナタ形式の統合(前人未到のホモフォニーとポリフォニーの統合)は、かの「ジュピター」に先立ちこの曲で見事に完成されていたのである。フーガによるポリフォニックな構成で始まり、第17小節後半より突然古典派特有のホモフォニックな和声が響いてくる。そしてまた第31小節より今度はまたポリフォニックな構成となる。ここは、バロック時代に確立された係留音が伴う。第39小節よりまた今度はホモフォニックな新たな楽句があらわれ、第50小節まで続く。天才モーツァルトを印象付ける一曲である。ブラボー アマデウス!!
それではMolto Allegro.mp3 (クリック)をお聴きください。
14番から19番は、ハイドンセットと呼ばれている。
モーツァルト はハイドンの「ロシア・セット」に啓発され、6曲の弦楽四重奏曲(第14番~第19番)を作曲した。その1曲目がこの「春」で、第15番ニ短調 (K421)、第17番「狩」(K458)、第19番「不協和音」(K465)と、名曲ぞろいで、彼の弦楽四重奏曲全作品の中で頂点をなしている。
この6曲に、まる2年間をかけているが、筆の速い彼としては、異例の時間のかけようである。そこには尊敬するハイドンに捧げるために、全力を尽くす姿が見えてく る。さて、モーツァルトといえば、耳障りの良い肩のこらない曲ばかりが流布され、それがモーツァルトだと思われている。しかしモーツァルトがそうした肩のこらない曲ばかりしか作らなかったとしたら彼の名は現在のように音楽史に燦然と輝く存在とはならなかったであろう。4つの楽章からなるこの曲は、溌剌とした明るい第1楽章から始まり、第2楽章のメヌエット(ハイドン風に)、第3楽章のアンダンテ・カンタービレと続く。しかしなんといってもこの曲のすごいところは第4楽章モルト・アレグロである。簡単に言うと、5分足らずの中に技巧の粋が詰め込まれている。半音階の多用(モーツァルト・クロマティシズム)、そしてフーガとソナタ形式の統合(前人未到のホモフォニーとポリフォニーの統合)は、かの「ジュピター」に先立ちこの曲で見事に完成されていたのである。フーガによるポリフォニックな構成で始まり、第17小節後半より突然古典派特有のホモフォニックな和声が響いてくる。そしてまた第31小節より今度はまたポリフォニックな構成となる。ここは、バロック時代に確立された係留音が伴う。第39小節よりまた今度はホモフォニックな新たな楽句があらわれ、第50小節まで続く。天才モーツァルトを印象付ける一曲である。ブラボー アマデウス!!
それではMolto Allegro.mp3 (クリック)をお聴きください。
2006年10月19日木曜日
芸術の秋 - モーツァルトを語る 第2弾
第ニ弾は、「弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K516」である。
この曲の出だしを知らないで「モーツァルトが好き」といってる人は真っ赤な偽者である。
モーツァルトとト短調という調性は切っても切り離せない「宿命の調性」といわれている。
交響曲25番、40番。クラヴィーア四重奏曲。そしてこの曲。
「疾走する悲しみ」と言われたこの曲を聴かずして決してモーツァルトは語れない。心をえぐる という言葉がぴったりくるかもしれない。小林秀雄が有名にした冒頭の第一主題の半音階は、一種独特の情緒を持つ。第二主題は、休止符が絶妙で声の出ない嗚咽のようでもある。第ニ楽章のメヌエットは、あまりに悲しいのだ。下降音階と鋭い和音が悲愴感を込みあがらせる。もし後に続くトリオでのヴァイオリンが明るく振舞ってくれなければ、何処までも落ち込んでしまうだろう。つかのまの安息だ。そしてこの曲の最終楽章(第4楽章)は、悲しいト短調(アダージョ)の調べから突如 ト長調(アレグロ)へ移行する。しかし手放しで明るいものではなく、どこかそこはかとない寂しさの痕跡をなおも引きずっている。「慰めなき長調」と呼ばれるこの音を聴いて初めて天才モーツァルトを知るであろう。ブラボー アマデウス!!
それでは、第一楽章allegro(クリック)をお聴きください。
この曲の出だしを知らないで「モーツァルトが好き」といってる人は真っ赤な偽者である。
モーツァルトとト短調という調性は切っても切り離せない「宿命の調性」といわれている。
交響曲25番、40番。クラヴィーア四重奏曲。そしてこの曲。
「疾走する悲しみ」と言われたこの曲を聴かずして決してモーツァルトは語れない。心をえぐる という言葉がぴったりくるかもしれない。小林秀雄が有名にした冒頭の第一主題の半音階は、一種独特の情緒を持つ。第二主題は、休止符が絶妙で声の出ない嗚咽のようでもある。第ニ楽章のメヌエットは、あまりに悲しいのだ。下降音階と鋭い和音が悲愴感を込みあがらせる。もし後に続くトリオでのヴァイオリンが明るく振舞ってくれなければ、何処までも落ち込んでしまうだろう。つかのまの安息だ。そしてこの曲の最終楽章(第4楽章)は、悲しいト短調(アダージョ)の調べから突如 ト長調(アレグロ)へ移行する。しかし手放しで明るいものではなく、どこかそこはかとない寂しさの痕跡をなおも引きずっている。「慰めなき長調」と呼ばれるこの音を聴いて初めて天才モーツァルトを知るであろう。ブラボー アマデウス!!
それでは、第一楽章allegro(クリック)をお聴きください。
2006年10月7日土曜日
芸術の秋 - モーツァルトを語る 第1弾
芸術の秋を迎えて「モーツァルト」を語りたい。
第一弾は、「ピアノ協奏曲第17番ト長調K453」である。モーツァルトの中で一番好きな曲は、Hpにも書いたが「ピアノ協奏曲第23番」である。でも最近この17番が何故かお気に入りである。優雅な形式の中で虹のような色調の変化に身をゆだねてゆくうちに、「やさしさ」が、いつしか心いっばいにしみ渡ってくる。木管楽器を効果的に使い弦と管、オーケストラとピアノの掛け合いが洗練された色彩豊かな響きを生み出している。
第1楽章は、ロンド風の踊り跳ねまわるような第1主題に始まり、転調を何度も何度も繰り返す。音という個々の素材が、様々に組み合わされていくとき、一つのメロディーとなる。展開部はまさにその真骨頂で、素材は単なる分散和音に過ぎない。それがこのような世界を作り上げるのだからすごい。
第2楽章は、なんと美しいのであろうと思う。荘重なテーマに始まり、長調と短調との間をさまよいながら、抑えきれなくなった感情が徐々に溢れ出してくる。変則的なロンド形式だが、幻想曲と呼ぶのが最も良い気がする。短調に転調したところなどは、ショパンでも聴いているかのようだ。
第3楽章は楽しく軽快に、そしてまたさわやかに流れていく。モーツァルトが飼っていたムクドリがこの楽章の第1主題を歌うことができたというエピソードはよく知られているが、確かに小鳥が歌うにふさわしい旋律ではないだろうか。私たちも社会の喧騒から離れて、鳥のさえずりに耳を傾ける時のように、心を澄ましてモーツァルトの音楽に耳を傾ければ、生命の中にもともとあったものが響きを始めるのであろう。
ブラボー アマデウス!!
それでは、聴いて下さい。mozart_17_k.453(クリック)
第一弾は、「ピアノ協奏曲第17番ト長調K453」である。モーツァルトの中で一番好きな曲は、Hpにも書いたが「ピアノ協奏曲第23番」である。でも最近この17番が何故かお気に入りである。優雅な形式の中で虹のような色調の変化に身をゆだねてゆくうちに、「やさしさ」が、いつしか心いっばいにしみ渡ってくる。木管楽器を効果的に使い弦と管、オーケストラとピアノの掛け合いが洗練された色彩豊かな響きを生み出している。
第1楽章は、ロンド風の踊り跳ねまわるような第1主題に始まり、転調を何度も何度も繰り返す。音という個々の素材が、様々に組み合わされていくとき、一つのメロディーとなる。展開部はまさにその真骨頂で、素材は単なる分散和音に過ぎない。それがこのような世界を作り上げるのだからすごい。
第2楽章は、なんと美しいのであろうと思う。荘重なテーマに始まり、長調と短調との間をさまよいながら、抑えきれなくなった感情が徐々に溢れ出してくる。変則的なロンド形式だが、幻想曲と呼ぶのが最も良い気がする。短調に転調したところなどは、ショパンでも聴いているかのようだ。
第3楽章は楽しく軽快に、そしてまたさわやかに流れていく。モーツァルトが飼っていたムクドリがこの楽章の第1主題を歌うことができたというエピソードはよく知られているが、確かに小鳥が歌うにふさわしい旋律ではないだろうか。私たちも社会の喧騒から離れて、鳥のさえずりに耳を傾ける時のように、心を澄ましてモーツァルトの音楽に耳を傾ければ、生命の中にもともとあったものが響きを始めるのであろう。
ブラボー アマデウス!!
それでは、聴いて下さい。mozart_17_k.453(クリック)
2006年7月9日日曜日
独りで悲しみに浸りたい時は
この美しく、魂をゆさぶられる音はなんだろう。単純な音階だというのに。それは最も私を魅了してやまないピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488 第二楽章である。モーツァルトファンにはおなじみであるが、「アイネクライネ・・」ぐらいしか知らない人からすれば、これがモーツァルト?という曲であろうか。モーツァルトほど悲しみのバリエーションを多くもつ作曲家はいない。この曲は是非、独りで聴いてもらいたい。ゲオンは、弦楽五重奏第4番ト短調K.516の冒頭の譜を書いて、「モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる・・・」と。小林秀雄は「Tristesse(かなしさ)を味わうために涙を流す必要がある人々には、モーツァルトのTristesseは縁がないようである」と書いた。確かに、K.516はそうかもしれない。しかし、このアダージョの、救いようのない悲しさに涙してしまうのは、私だけだろうか。それでは、K488(クリック)第二楽章、お一人でじっくりお聴きください。
2006年5月1日月曜日
何度もアマデウス
今年は、モーツァルト生誕250年である。1984年、今から22年前「アマデウス」という映画が あった。モーツァルトを非常に下品な人物として描いていたのを覚えている。そして、凡庸なる宮廷作曲家アントニオ・サリエリが、凡庸なる自分を生かした神に復讐するため、精神的に追い込み死に至らしめるという内容である。
モーツァルトの音楽の中で好きな曲はいろいろあるが、その中でも好きな「フルートとハープシコードのための協奏曲 ハ長調K299より 第二楽章 Andantino」を紹介しよう。(ピアノ協奏曲第23番 第二楽章が一番好きなのですが・・)
1778年にパリのドゥ・ギーヌ公爵親子とアドリアン・ルイ・ドゥ・ボニエール公爵のために作曲され、モーツァルトとしては最もフランス風の作品。ボニエール公爵がフルートの名手であり、その娘が結婚する際に依頼されたといわれている。モーツァルト特有の天真爛漫で自由に流れる旋律、様々な音色が作品全体に満ち溢れているのでお楽しみください。
映画では、妻コンスタンツェがモーツァルトに無断で楽譜をサリエリに審査してもらいに来た時、「これはオリジナルです」と言い、そしてその言葉を聞いて楽譜を見たサリエリの驚きは、そのままモーツァルトの音楽を聴くすべての人々の驚きにつながるという場面がある。そのオリジナルは一ヶ所の訂正もなく書かれているのだ。誰しもモーツァルトの曲を聴くと、不思議と神がモーツァルトの手を借りて曲を一筆書きしたかのような印象を受ける。映画のこの場面はそのことを表現しているのである。その時に一瞬使われた曲の一つです。13小節めからのフルートが始まると心が洗われます。
さて、このアマデウスにはその他にも多くの曲が登場する。映画の冒頭は、「交響曲第25番・第1楽章」で始まる。モーツァルト登場のシーンでは、「セレナーデ第10番 グランパルティータのアダージョ」。結婚式の場面では、大ミサ曲「キリエ」。もちろん、フィガロの結婚、ドン・ジョバンニ、魔笛といった三大オペラやレイクエムも出てくる。そして、ラストは、ピアノ協奏曲第20番第2楽章で終わる。十分に音楽も堪能できる映画で、古いテープで録画しており今までに年に2回くらいは思い出して見ている。
さて、ここからは薀蓄の世界。モーツァルトが登場して指揮をするグランパルティータの演奏は、実は3番目のアダージョと最後7番目のアレグロの合体である。この映画は前述のようにモーツァルトの曲をふんだんに使っているのだが、1曲だけ違う作曲家の曲がバックに流れている。前半でサリエリが、音楽の道を歩ませてくれたら、神に賛歌を捧げると祈るシーンでは、ペルゴレージの「スタバト・マーテル」の終曲”肉体は死んで朽ち果てるとも”が使われているのだ。こうして結局何度も見てしまう。
それでは、フルートとハープシコードのための協奏曲 ハ長調K299より Andantinono2 (クリック)をお聴きください
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